心理学と脳科学の分野から人間関係を考察し、快適なエンジョイライフを提案する! 読むだけで人生が好転する不思議なブログ -6ページ目

心理学と脳科学の分野から人間関係を考察し、快適なエンジョイライフを提案する! 読むだけで人生が好転する不思議なブログ

メンタル心理士ジュンヤのブログです。
一所懸命に頑張っているのにナゼか結果が出ないアナタに、
毎日の生活が知らず知らずのうちに好転するヒントをお届けします。

心理学と脳科学の分野からアナタを成功に導くとっておきのブログです。





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前回は、「天上天下  唯我独尊」

の間違った解釈を見てきました。

またアインシュタインや

ヘルマン・ヘッセの言葉を引用して、

仏陀がどのように一流の人達から

見られてきたのかをご紹介しました。


それでは今回は、この 「天上天下 唯我独尊」 の

本当の意味を見ていきましょう。

この言葉、実は人生の目的について語った言葉なのです。

これこそが最も大切であると言っている言葉なのです。

ビジネスの世界でも、

野口悠紀夫著 「超」 整理法・時間編という本の中に、

こうあります。

「時間管理法の本がほぼ例外なく忠告しているのは、
人生の目的を把握せよということである」


いくら時間を短縮できたとしても、

何のためかという目的がハッキリしていなかったら、

あまり意味がありません。

80年分の人生を、40年で終わらせたとしても、

残った時間で何がやりたいのかが

ハッキリ分かってないと、

全く意味がありません。

成功している人は、必ず目的を持って毎日を過ごしています。


一流のスポーツ選手や、ノーベル賞をとった学者らもみんな

ハッキリとした目的を持って自分の課題に取り組んでいます。

ただ何となく野球をやっていて、

ある日ふと気がついたら大リーガーになっていた、

なんてことは絶対にありません。

野球1



それでは具体的に、この言葉の意味を見ていきましょう。


「天上天下」、この部分は特に問題ありません。

「この広い世界の中で」 とか

「世界広しといえども」

といった意味です。

問題は後半の 「唯我独尊」 の部分です。

まず 「唯我」 というのは、

オレ一人という意味ではありません。

「我」 というのは、

お釈迦様自身のことを指しているのではなく、

ここでは、われわれ一人一人という意味です。

何故なら、お釈迦様自身のことであれば、

自分のことは 「吾」 という漢字を使っているからです。

それはすぐ後に続く文章から分かります。

このすぐ後には、実は

「三界皆苦    吾当安此 
(さんがいかいく ごとうあんし)
 


 という文章が続きます。

この読み方は、


「三界(さんがい) は
 皆苦(かいく) なり


 吾(われ) 当(まさ) に
此(ここ) に 安ずべし」

となります。

そしてその意味は

「世の中は色々な苦しみが満ち満ちている。
私はその苦しみの世界に身を置きながらも、
安らかである。」

という意味になります。


よって、釈尊は自分のことは

「吾」 と言っていますので、

ここで使っている 「我」

われわれ一人一人という意味になります。


次に間違っているのは、

「尊」 を偉いと解釈している点です。

ここではそういう意味ではありません。

この 「尊」 は、尊い使命とか、

目的ということです。


よって、この 「唯我独尊」 は、


ただ我々人間だけが、
たった一つの尊い使命や目的持って
この世に生まれてきた。

という意味なのです。


つまり他の動物では果たすことのできない尊い使命が、

私達人間にはあるんだということになります。


まとめますと以下のようになり、

「俺一人が偉いんだ!」

という意味とは、程遠いのが分かります。


===============

天上天下     唯我独尊
(てんじょうてんがゆいがどくそん)

三界皆苦     吾当安此
(さんがいかいく  ごとうあんし)

===============

大宇宙広しといえども、私達人間だけが、

ただ一つの尊い使命、目的を持っている。

世の中は様々な苦難が満ち満ちているが、

私はその世界に身を置きながらも、

安らかな気持ちで楽しい。



仏像4







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おはようございます。

さて今年も新しい年がきて、もう3日目になりました。

みなさんは良いお正月を過ごしていらっしゃいますか。

私のブログは正月気分もそこそこに

早速いつもの調子で記事を更新していきます。
(全く空気を読んでいませんね)


さて、昨年の暮れは聖書の話をしましたので

今年の最初は仏教の話で

スタートしたいと思います。

それでは、



「天上天下 唯我独尊」
(てんじょうてんが ゆいがどくそん)


今回はこの言葉を取り上げたいと思います。

お釈迦様が生まれた時、

東西南北に七歩ずつ歩いて、

右手で天を指し、左手で地を指し、

この

「天上天下  唯我独尊」

という言葉を発したと言われます。

しかしこの言葉、今ではかなり誤解されて

使われていることが多いようです。


間違った解釈をしている人は、

「世界広しと言えども、俺一人が偉いのだ!」
 (お前ら虫ケラども!)

といった感じですね。


昔、バイクの集団が道いっぱいになって、

我が物顔で走っている人の中に

この言葉を刺繍した服を着ている人がいましたので、

よほど仏縁の深い人かと思って、

思わず合掌してしまいましたが、

そうではありません。

唯我独尊1



またそこまで行かなくても、

お釈迦様ぐらいの偉い人だと、

「世界広しと言えども、この釈尊こそが、
最高の悟りを開き、人類を苦しみから救ってみせる」

ぐらいのことを言ったのではないか、

と思っている人もいるのではないでしょうか。

しかし本当の意味は違います。


二十世紀最大の天才科学者といわれる

アインシュタインは、

「現代科学に欠けているものを
埋め合わせてくれるものがあるとすれば、
それは仏教です。」

と言っています。

また、ドイツのノーベル賞作家、

ヘルマン・ヘッセは、

その著作 「シッダールタ」 の中で、

次のように言っています。

「仏陀を見たわけだ。そこには、
何の求めるところも、欲するところも、
まねるところも努力するところも認められず、
光と平和があるばかりであった。
その手の指の一つ一つの関節が教えであり、
真理を語り、呼吸し、におわせ、
輝かせている、と思われた。
この人、この仏陀は、
小指の動きに至るまで真実だった。」


ものすごい表現ですね。

さすがノーベル賞作家という感じです。

要するに、全てが完璧だったということですね。


これほどまでの人が、

「おれ一人が偉いんだ!
お前ら虫ケラどもとは違うんだ!」

というハズがありませんね。


今日は、この辺にしておきますが、

次回は、この言葉の真の意味を

もっと深く掘り下げたいと思います。

それでは次回もよろしく!






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新年明けまして

おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

いよいよ新しい年がやってきました。

皆さん、いかがお過ごしですか?

よい新年を迎えることができましたか?


私の方は、気分も新たに

今年もどんどんブログを更新していきますので

よろしくお願いいたします。


さて今年の最初の記事は・・・

そうそう、

昨年最後のブログに掲載いたしました

脳の柔軟体操の解答でしたネ。


内容は以下の9個の点を全て通る直線を

4本で、しかも一筆書きで書くという問題でした。


一筆書き1




どうでしたか?  できましたか?

「そうだった! 考えるの忘れてた!」

という人。

もう一度、あと10分間だけ

考えてみて下さい。

紙と鉛筆を出してきて、もう一度挑戦です。


「やった! できた!」 という人。

おめでとうございます。

「ウ~ン・・・。やっぱり分からない」

という人。 ご安心下さい。

殆どの人が敗北宣言しています。


ではでは、解答です。


                
            正解はこちら!                
           
               

   
一筆書き解答1


どうでしたか。 自分の答えと合ってましたか?


ポイントは、「枠からはみ出る」 という点です。

つまり1本目の線を引く時に、

右端の点を突き抜けるという視点が

この問題を解く最大のカギになります。


どうしても人間って勝手にワクを作ってしまって

自分の既成概念で考えてしまいますネ。

しかも出題時のように、間違った解答例を出されると

思考がそれに引きずられてしまいます。

なかなか既成概念から抜け出すといのは

ムズカシイものですね。



さて次回からは、またいつもの記事に戻ります。


今年も快調に記事を更新しますので、

是非ご期待下さい。

それではよろしく!




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本日は今年最後のブログです。

小難しい話はヌキにして、

頭の柔軟体操をしてみましょう。



では問題です。

下図のように並んでいる9個の点を、

直線で結んで下さい。

ただし条件は、次の3つです。


1)一筆書きで書くこと

2)全ての点を通過すること

3)4本の線で書くこと

一筆書き1


(制限時間5分)




例えば、次のような進み方をすると左の真ん中の点が

通過できていませんね。

よってこのパターンは不正解です。

一筆書き解答間違い1





条件は、直線ということと上記の3つだけです。

あとは自由に発想してもらって結構です。

是非頭を柔らかくして挑戦してみて下さいね。


<ヒント:発想のワクを外して考えて下さい>



それでは来年もよろしく!

よいお年を!





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前回のブログでは、

現代の日本人は、

自分が嫌いな人がとても多く

それは若い世代から、社会人まで

幅広い年代層にまで広がっていることを

お話ししました。


それでは本日は、

どうやったら自分のことが好きになるか、

自分が好きな人と嫌いな人の違いは何なのか、

そのあたりを見ていきたいと思います。


まず自分が好きになるためには、

どうすればよいかということですが、

最初にお勧めするのは、

感動する映画や本に接するという方法です。

感動する物語というのは、人の心を揺さぶります。

特に様々な苦労を重ねた人の物語は、

自分の世間の狭さを思い知らされます。

今の自分の悩みや考えが、

いかにチッポケな物かを分からせてくれるのです。

世の中には、今の自分よりも何倍も苦労をしてきた人や、

逆境から這い上がってきた人が

大勢いることを知るだけでも

とても大きな収穫があります。


そして二つ目は、スキンシップを日常的に心掛ける

ということをお勧めします。

自分が嫌いな人は、

小さい頃から人に愛されているという

実感を持ったことがなかったり、

他人から認められた経験に

乏しかったりする場合が多くあります。

自分の子どもや親、兄弟、夫婦、友人の間で

スキンシップをとることをオススメします。

もしできれば、

ハグなんかを日常的にできる間柄の人がいればいいですね。

ハグ1


そして三つ目が、「ダメ」 とか 「できない」

といった否定語を使わず、

「できる」 「楽しい」 といった

プラスの言葉を使うことを心掛けて下さい。

3歳の子どもに毎日五つの否定語を使っていると、

中学を卒業する15歳までに、2万語を越える否定語が

脳にインプットされることになります。

特に日本人は、子育て中にも

否定語を使うことが多いと言われています。

これでは自分に自信がなかったり、

自分が好きになれなかったりするのも

無理はありませんね。

自分が好きになると、

仕事や人間関係が驚くほどスムーズにいきます。

というか、自分が好きになることって、

全ての人間関係の土台と言ってもいいでしょう。


自分のことがどうも好きになれない

という人は是非上の3つの方法を試してみて下さい。

きっと効果があると思いますよ。




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以前、ある30代の男性から相談を受けました。

その男性はどうも昔から自分のことが嫌いで、

何をやっても毎日が面白くなく、

充実感が持てないといいます。

自分の性格や容姿、家庭環境に至るまで

全てが嫌いで、

この先どうしたら良いかと考えると

まったく途方に暮れてしまう時があるといいます。

最近こういう人が急速に増えています。



ある講演会での話。

講師が参加者に

「自分のことが好きですか?」

と問いかけたところ、

手を挙げる人は1割程度しかいませんでした。

その講演を聞きに来ている顔ぶれは、

子育て中の主婦や、働き盛りのビジネスパーソン、

学校の先生など様々です。

その講師は、

短大での講義でも学生に同じ質問をします。

するとやはり結果は同じ。

手を挙げる学生はパラパラ。

学生から出てくるレポートには、はっきりと

「自分のこと嫌いです」

「どうやったら自分のこと好きになれるんですか?」

と書かれていることも珍しくないという。

怒り1


最近こういう人が、どうも増えているようです。

その講師の研修はなかなか面白いのです。

まず参加者に自分の名前を書かせ、

その後に 「株式会社」 と付けます。

その下に生年月日を書かせて、

その後に 「創業」 と付け加えます。

こうすれば世界に一つしかない

「あなた」 という会社が出来上がります。

社長は 「あなた」 であり、売る商品は、

あなたの経験や時間、感性といったところでしょうか。

つまり商品は 「あなた自身」 なのです。


そこでその社長さんが、

自分の会社で扱っている商品がどうも気に入らない。

欠陥があることも分かっているが、

改善しようともしない。

そして商品が売れないのを、立地が悪いからだとか、

景気が悪いからだといって、

他人のせいばかりにしている。

そんな会社の商品を誰が欲しいと思うでしょうか。

恐らくこの会社の景気が良くなることは

永遠にないでしょう。

パソコンは古くなったり、

壊れて動かなくなったら買い替えができます。

服もサイズが合わなくなったり、

飽きてきたら買い替えれば済むことです。

しかし、自分は取り替える訳にはいきません。

どんなに嫌な人間でも、

自分とは一生付き合わなくてはならないのです。

もういい加減に自分の悪口を言うのはやめて、

真正面から取り組んで見ませんか?

自分の好きなところも、

嫌いなところもしっかり見つめること。

まずはそこから始まります。

今日はここまでにしておきますが、

次回は、どうやったら自分のことが好きになるのか、

自分のことが好きな人と嫌いな人との違いは何か、

などについて見ていきたいと思います。




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こんにちは。

今週はいよいよクリスマスですね。

イブの予定はいかがですか。


私の住む東海地方の天気は、

ここ2~3日は比較的よい天気で、

雪は降りそうにないですね。

アナタの地域ではどうですか?

運よく雪が降りそうですか?

ホワイトクリスマスになると良いですね。

クリスマス1


さてこの12月25日のクリスマス。

今ではすっかり若い人達のイベントになっていますが、

もともとはイエス・キリストの生誕を祝う日でした。

キリスト教には、このクリスマスの他に

ハロウィンやカーニバル、復活祭といった

大きな行事がありますが、

何せ神の子 「イエス」 の生誕を祝う訳ですから、

重要な日ですよね。

因みにキリスト教で

最も重要な祭りと位置づけられるのは、

クリスマスではなく実は復活祭です。

そしてこの12月25日は、

あくまでキリストの 「生誕を祝う日」 であって、

誕生日とは違うのです。

実はイエス・キリストの誕生日は、

いつなのかハッキリ分かっていません。

聖書を探してもその記述はどこにもありません。

初期のキリスト教では、1月1日や6日を

その生誕の日として祝ったり、

その他にも様々な日をキリストの誕生日としていました。

12月25日にキリストの生誕を

一般に祝うようになったのは、

4世紀の教皇ユリウス1世なってからのことです。

今では日本でもすっかり定着したこのクリスマス。

街にはあちこちに

クリスマスツリーが飾ってありますね。

あのクリスマスツリーは、

一説によると悪魔よけだとも言われています。

そして日本で初めてクリスマスツリーを飾ったのは、

勝海舟の三男桂太郎です。

勝海舟といえば、

坂本龍馬をも弟子に持ったほどの傑物。

いかにもハイカラな感じですね。

クリスマス2



さてアナタはどんなクリスマス(イブ)を

予定していますか。

是非コメントをいただければと思います。


それでは、今年も良いクリスマスをお過ごし下さい。

メリークリスマス !




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本日は新約聖書の中から、

「ペテロの過ち」 というテーマで

お話ししたいと思います。


実は先日、バチカンの

サンピエトロ広場で開かれたミサで、

ペテロの遺骨の入った棺が

初めて公開されました。

この遺骨については、本物かどうかを巡って、

今だに論争が続いている代物です。

(関連記事はこちら)


教会1



真偽のほどはさておき、

今日はそのペテロのお話です。

この人物の最大の特徴は、

何といってもイエスの一番弟子だったということです。

弟子のリストにも常に先頭にあげられ、

正にリーダー的な存在。

イエスの問いかけに対し、

弟子を代表して答えるほどの人物です。

しかし驚くなかれ、この人物。

最後の最後にイエスを裏切ることになるのです。

いや正確には、裏切りかけるのです。



「最後の晩餐」 を終え、イエスとその弟子たちが

オリーブ山へ向かう途中のことです。

イエスは弟子たちに恐ろしい予言を口にします。

「あなたがたはみな、つまずきます」
         (私を裏切ります)

何という言葉でしょう。


そこでペテロがすかさず反発して答えます。

「他の全ての弟子たちが貴方を裏切っても、
この私だけは裏切りません。
そんなことがあろうはずがありません。」

さすが熱血ペテロです。

彼はこの時、本当に真心から叫んだと思います。

しかしイエスは続けます。

<イエス>
ペテロ、あなたは夜明けに鶏が二度鳴くまでの短い間に
三回もイエスなど知らないと言うでしょう。

<ペテロ>
たとえ一緒に死を迎えることになろうとも、
貴方を知らないなどと決して言いません。

彼は目に涙を浮かべ、必死に訴えたのでした。

しかしイエスはそれには何も答えず

歩き出します。


その時です、

大祭司の下僕たちが、

大勢でイエスを捕らえにやって来ます。

一気にイエスを取り囲み、乱暴に縛り上げ、

「見つけたぞ! ここにいたぞ! 
とうとうイエスを捕まえたぞ!」

と雄叫びを上げます。

群衆もそれに呼応します。

目の前でイエスが捕らえられたのです。

するとどうでしょう、

今までイエスに付き従っていた弟子たちが、

蜘蛛の子を散らすように

一気に逃げ出したではありませんか。

ペテロもヤコブもヨハネも、十二使徒も全員です。

しかし走って逃げる途中でペテロはふと我に返ります。

(自分は一体何をやっているんだ!)

そして立ち止まり、

あわてて来た道を引き返します。

そして何食わぬ顔をして群衆の中に紛れ込み、

様子をうかがうのです。

何とか主(イエス)を助け出したい。

大祭司カヤパのやしきまで引き返し、

兵や下僕の噂話に注意深く聞き耳を立てます。

どうやら邸内で深夜の尋問が行われるらしい。

と、その時です。

邸内から出て来た召使いの女が

ペテロを見つけて言います。

「あなたはナザレ人、イエスの仲間ではないか。」

焚き火にあたっていた人達が一斉に振り向きます。

ペテロはとっさに答えます。

「違う!人違いだ!」

そして邸の外へ逃げて出るのです。

しかしそこでも別の召使いに詰問されます。

「あなたは、確かイエスと一緒にいた
仲間ではないのか。」

「何を言っているのか分からない。
 私はイエスなど知らない。」

ペテロが答えます。

すると周りにいた人間も

「そうだ、こいつはあのイエスの仲間だ。」

と口々に叫びます。

更にペテロも強く反論します。

「違う!  私はそんな人は知らない!」

と一層強く否定するのです。

その時です。

耳をつんざくような鶏の鳴き声がしました。

今日、二度目の鶏の鳴く声でした。

その時ペテロはハッと我に返ったのです。


=================

主が振り向いてペテロを見つめられた。
ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、
あなたは、三度わたしを知らないと言う」
と言われた主のおことばを思い出した。
彼は、外に出て、激しく泣いた。

新改訳聖書第3版:
ルカの福音書・第22章61・62節

=================


ユダヤ人が激しく泣くぐらいですから、

よっぽど悔しかったのでしょう。

自分が情けなくて、

哀れで仕方なかったんでしょう。

あれほど自信満々に、

「貴方を裏切るはずがありません!」

と言ったわずか数時間後に、

あっさりと裏切るハメになったのです。


これ以後彼は、自分の弱さを認め、悔い改めて、

一層信仰を厚くして、布教に邁進します。


ネロ皇帝の迫害にもめげず、命がけの布教活動の結果、

逆さまに十字架にかけられ、

殉教者としての生涯を閉じるのでした。


一度はイエスを裏切ったペテロ。

しかしそこで自分の非を認め、

一からやり直すことで、

宗教者としての生涯を全うしました。


その結果ペテロは、全てのキリスト教諸教派から、

「聖人」 として認められる存在となったのです。


人間、自分の非を認め、

反省の気持ちさえあれば、

いつでもやり直すことができるということを

身を持って示した人だと思います。


教会4






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それでは今日も聖書の中から

とっても有名なお話をお届けしたいと思います。


新約聖書の中に、

「山上の説教(垂訓)」 というお話があります。

これは 「マタイの福音書」 に書かれている、

非常に有名な話なので、

知っている人も多いのではないでしょうか。

「福音書」 とは、「よきおとずれ」 という意味で、  

文字どおり訳せば、

「マタイという人の書いたよきおとずれ」

ということになります。

福音書にはイエスの生涯が書かれており、

マタイ福音書、マルコ福音書、

ルカ福音書、ヨハネ福音書

の4つがあります。

その中でもこの 「山上の説教(垂訓)」

はキリスト教の真髄だとも言われています。

イエス1


この山上の説教(垂訓)では

心の貧しい人、悲しむ人、義に餓え渇く人、

柔和な人、憐れみ深い人、心の清い人、

平和を実現する人、義のために迫害される人、


これらの人は幸いだと教えています。


こうした資質を持ち、

悩める弱者こそ神の御心にかなう人だと

説かれています。

この辺りの話は、解説書もたくさん出ていますので

そちらに譲りますが、

私がこの山上の説教(垂訓)を読んで感じるのは、

イエスとその弟子たちとの強い結びつきです。


 この群衆を見て、イエスは山に登り、
 おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
(新改訳聖書第3版・マタイの福音書・第5章第1節)   


このたった2~3行を読んでも、

普通は大して何も感じないでしょう。

しかしこの中の 「おすわりになると」

の部分に大変重要な意味があると考えられています。


当時、何かを座って教えるというのは、


これから話す内容が、大変重要なものであることを


意味していました。

イエスの時代にも、立ったままだとか、

歩きながら神の教えを説いたことはあったのですが、

重要なことを伝える時は

必ず座って話したといわれています。


そして次に、

「イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた」

と続きます。

この 「口を開き~言われた」 という表現は、

ギリシャ語で非常に厳粛な内容を話す時に

用いられる表現だと聞いたことがあります。

こういった行間が分かると、

その時の雰囲気が

ヒシヒシと伝わって来ますね。


つまり、苦しみから癒されたいと渇望し、

イエスにつき従ってきた群衆を前に腰を下ろし、

その群衆を見据えて口を開こうとした時、弟子たちは

(今日の教えは只事ではない)

とその場の雰囲気を察して、

イエスのみもとに近寄って来たのです。

これほどの強い師弟関係、信頼関係には

一種の羨望の念さえ抱きます。

今の日本ではなかなか見られませんね。

こういった聖書のエピソードを少しでも知っておくと、

クリスマスに対する感じ方も

また違ったものになってくるのではないでしょうか。


しかし教育現場や家庭の中でも、

この種の信頼関係がだんだん

薄れていくのが残念ですね。

十字架1






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もう12月も半ば。

街にはクリスマスソングが流れ、

若いカップルや子供連れの人達で

賑わう季節になりました。

見てるこちらの方も何だが嬉しくなってきますね。


そんなせっかくの時期ですから、

今日から何回かにわたって

聖書の中から色々と、いい話題を見つけて

皆さんにお届けしたいと思います。


それでは今日は旧約聖書の中から・・・。


旧約聖書の 「創世記」 に、次のような記述があります。

神様がアダムとエヴァにエデンの園という楽園を与え、

見つけたもの全てに名前をつける仕事と、

園を管理する仕事を与えた時のことです。

2人はエデンの園の木の実を食べて暮らしていましたが、

園の中央にある

「善悪の知識の木の実」

を食べることだけは禁止されていました。


そこへ蛇がやって来ます。

そしてまずエヴァへ話しかけます。

ヘビ: 神様があの善悪の知識の木の実を食べてはいけないと
      本当に仰ったのですか?

エヴァ: あれを食べると死んでしまうと仰いました。

ヘビ: あなた達はその実を食べても死ぬことはありません。
     神様はあなた達が善悪の知識を持ち、
     神に近付くことを知っているのです。


蛇1


エヴァは蛇の巧みな誘いに負け、

いかにも美味しそうな善悪の知識の木の実を

パクリと食べてしまうのです。

そして夫のアダムにも分け与えます。

ここから人類の悲劇が始まります。

これがいわゆる人間が持って生まれた罪、

「原罪」 といわれるものです。


するとどうでしょう。

善悪の知識がつき、

急に自分達が裸であることが恥ずかしくなり、

イチジクの葉で腰を覆い隠し、茂みに隠れました。

そう、そこで2人に 「羞恥心」 というものが

芽生えたのです。

そこへ神様がやって来て問いかけます。

「あなた達はどこに居るのですか?」

アダムが答えます。

「あなた(神様)の声が聞こえましたが、
私は裸なので隠れていたのです。」

それを聞いて神様が全てを悟ります。


: 誰が裸であることを教えたのですか?
    貴方は食べてはいけないと禁じておいた木の実を
     食べたのですね。

 アダム神様がお造りになったこの女(エヴァ)が
           私に勧めたのです。

: エヴァ! お前は何ということをしたのだ!

エヴァ: あの蛇が私を誘惑したのです。
          それで私は木の実を食べてしまったのです。


この件で神が怒り狂い、

蛇には地を這って生きることを命じ、

女には、お産の苦しみと、男から支配される宿命を、

そして男には、苦労しながら食物を得、

ついには土に還らなければならないという

罰を与えたのです。


創世記の話はここまでにしておきますが、

ここからだけでも沢山の気付きが与えられます。

人間は、

「これを見てはいけない」とか
「あれをやってはいけない」
と言われると、
ついついやってみたくなる動物のようです。

それが聖書の中にもハッキリと書かれています。


アナタは、

「今から1分間、サンタクロースのことは
考えてはいけません!」


と言われてその通りにできますか?


卑近な例で申しますと、中学生や高校生が

タバコを吸うようなもんでしょうか。

周囲から隠れて、スリルと大人の気分を味わって

吸っていたタバコも、

大人になって堂々と吸えるようになると、

面白くも何ともなくなり、

アッサリ止めてしまうようなもんですね。


それからもう一つ、

人間はなかなか素直に自分の非を認めることが

できない動物だということです。

アダムはエヴァに罪をなすり付けます。

エヴァは蛇に責任を被せます。

あの時素直に非を認め、神に謝罪していたなら、

事態は変わっていたかも知れません。

それがなかなかできないのが人間なのでしょう。


私が相談を受ける人の中には、

自分がとってもダメな人間で、

救いようのない人間なんだと思っている人がいます。

私達凡人は、

たった一人の人間を愛し通すことさえ危うい、

心許ない存在です。

そのような事が、もうとっくの昔から、

聖書にもしっかり書かれています。

神様は全てお見通しだということですね。


自分をあんまり卑下しないで、

人間なんて、そんなモンだと

気を楽に持つと、スッと肩の力が抜けて

リラックスできるかも知れませんね。

木の実1





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