
29日午後6時。最も被害が大きいとされる南三陸町志津川周辺に到着。宮古や石巻のように自宅や商店の瓦礫・泥を除去することで現地の方が従来の生活を再開することを前提にしている被災地と異なり、この町の被害は個人の意志でどうにかなる次元ではない。住民の半分以上の方が亡くなったか今も行方不明で、助かった方も家と職を失い移住を迫られている。被害を免れ経済活動を継続できるはずの農家や商店の方も震災に伴う諸条件の変化を受けて今後重大な経営判断を迫られるかもしれない。つまり町としての存続も難しい状態になっている。もちろん現段階では町の再建か移住かといった問いに答えは出ていない。
この周辺で最大の1500名が避難生活を続けているベイサイドアリーナへ。ベイサイドアリーナは、この震災がなければいわゆる税金の無駄遣いとして大いに叩かれていたであろう地域振興のための比較的新しい大規模な運動施設。ここには町役場、自衛隊、警察、消防、病院、マスコミ、海外部隊がそれぞれ本部を設置していて、アリーナの中には体育館の敷地を埋める物資量、さらに電気・暖房・トイレ・入浴・医療施設の全てが揃っている。トラックの荷台に乗せられた移動式のナイターのような照明が日没後も出入り口周辺の広い空間を強く照らしていて、文明社会が急きょ仮設されたかのようなステーションになっていた。現代社会の技術力、行政サービスのきめ細やかさ、全国からの支援、海外からの友好感情、避難者一人ひとりの誠実な気質、その全てがうまく機能してはじめて成り立つ空間だった。8時になると、班長の集合を呼び掛ける放送が施設中に響いた。避難者は各グループに分けられグループごとに班長を決めて、班員の状況確認と入浴や物資配給をスムーズに行うために適時簡単なミーティングが行われている。







