平年より10日ほど早く四国でも梅雨入りしました。
しまなみ海道ウルトラ遠足まで10日ほどなので
今は毎日少しずつでも走っておきたいのですが、
昨日の残業に続いて、今日は雨で休み。
明日以降もしばらくは厳しそう、何かいい方法を
考えないといけないですね。
さて、今日は過去のウルトラマラソンのことを。
94年以降も毎年四万十川には挑戦し、96年からは
八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソンにもエントリーし
96~01,04,05は野辺山と四万十川の2レースに出場。
02は野辺山と丹後、03は野辺山のみ
02年は高知国体のため四万十川ウルトラは中止。
03年は四万十川の抽選に漏れました。
06年以降は09年まで四万十川のみ、
10年は四万十川抽選漏れで再び丹後へ。
この中で印象に残っているのは03年の野辺山です。
この年は鎌倉工場からの設計応援の依頼があり
4月下旬からの出勤要請に対し、「野辺山を走ってから
行きます」と延ばしてもらった中でのレースでした。
5月11日に野辺山を走った後、翌12日は移動日で
13日から鎌倉での勤務というスケジュール。
8月末までの長期出張でした。
このときはレースの準備だけでなく出張の準備もあり、
65kmまでは例年通りのペースで行けたものの、疲労からか
ここから急激に失速しました。足の痛みもあり5kmを
1時間かけて走る(歩く)ような状態でした。
馬荷峠を超えたところ、87kmのエイドステーションには
スタートから12時間01分19秒が経過したところで到着。
100kmの制限時間は14時間。ここから走ることができれば
時間内完走も可能でしたが、これ以上身体にダメージを
与えると翌々日からの仕事にも影響してしまうと思い、
スタッフの方にリタイアを伝え、収容バスへ。
体力の限界を感じてのリタイアは、これが2回目でした。
時間的にまだ余裕のある時間帯のため、収容バスには私1人
しかも乗り込んでバスがゴール地点に向け出発するのが
30分後でした。しかし再度走り出そうという気は全く
おきませんでした、
精神的にも疲れたレースでした。
しまなみではしっかり走ることが出来れば良いのですが。
しまなみ海道ウルトラ遠足まで10日ほどなので
今は毎日少しずつでも走っておきたいのですが、
昨日の残業に続いて、今日は雨で休み。
明日以降もしばらくは厳しそう、何かいい方法を
考えないといけないですね。
さて、今日は過去のウルトラマラソンのことを。
94年以降も毎年四万十川には挑戦し、96年からは
八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソンにもエントリーし
96~01,04,05は野辺山と四万十川の2レースに出場。
02は野辺山と丹後、03は野辺山のみ
02年は高知国体のため四万十川ウルトラは中止。
03年は四万十川の抽選に漏れました。
06年以降は09年まで四万十川のみ、
10年は四万十川抽選漏れで再び丹後へ。
この中で印象に残っているのは03年の野辺山です。
この年は鎌倉工場からの設計応援の依頼があり
4月下旬からの出勤要請に対し、「野辺山を走ってから
行きます」と延ばしてもらった中でのレースでした。
5月11日に野辺山を走った後、翌12日は移動日で
13日から鎌倉での勤務というスケジュール。
8月末までの長期出張でした。
このときはレースの準備だけでなく出張の準備もあり、
65kmまでは例年通りのペースで行けたものの、疲労からか
ここから急激に失速しました。足の痛みもあり5kmを
1時間かけて走る(歩く)ような状態でした。
馬荷峠を超えたところ、87kmのエイドステーションには
スタートから12時間01分19秒が経過したところで到着。
100kmの制限時間は14時間。ここから走ることができれば
時間内完走も可能でしたが、これ以上身体にダメージを
与えると翌々日からの仕事にも影響してしまうと思い、
スタッフの方にリタイアを伝え、収容バスへ。
体力の限界を感じてのリタイアは、これが2回目でした。
時間的にまだ余裕のある時間帯のため、収容バスには私1人
しかも乗り込んでバスがゴール地点に向け出発するのが
30分後でした。しかし再度走り出そうという気は全く
おきませんでした、
精神的にも疲れたレースでした。
しまなみではしっかり走ることが出来れば良いのですが。