自分の退職について
まとめておこうと
思ったのが2月なのに、
もう3月29日。
もうすぐ日付が変わるね。
先日のこと。
サラリーマン時代
アシスタントをしてくれていた
男の子からメールが届いた。
『一応、ご報告2点』
と題されたメールには
元々わたしが担当していた
クライアントの人事のはなしと
4月からの担当体制が書かれていた。
彼は希望していた部署に異動になったそうだ。
わたしはこの春で
会社を辞めて2年がたつ。
今でも届く古巣の情報や
クライアントからの便りに
懐かしくおもったり
わたしはもう上司じゃないよ
と苦笑いしたり
はたまた「これはどうなっているんですか?」
という部下からの質問に
いまだ澱みなく答える自分が
気持ち悪かったりもする。
比較的わたしは
いつだって
別れの準備を
万端にするほうだ。
我が母はよく
「立つ鳥跡を濁さず」と言って
去る者の礼儀を私に説いた。
わたしは早期希望退職に際し
その制度を自分が確実に乗れるか
弁護士に相談し、
会社から慰留されぬ
「退社する理由」を整理し
早期希望退職者名簿がフィックス
するまで社内の根回しに怠りはなかった。
確定してからは
順次主要なスタッフ個別に説明をし、
来期分の年間の売り上げも決定してから、
次のマネージャーに引き継ぎをした。
それからお世話になった方々それぞれに
京都各所からなにやら大量に取り寄せ
そのほかフィレツェのなにがし
なんぞも購入し感謝の気持ちを
形に用意して退社の日を待っていた。
それは我ながらうっとりするよな
段取りだったけれど。
最後の最後
わたしはこのアシスタントの男の子の
その態度に手をやいた。
男の子といっても当時28歳くらいか。
今時で言う「しゅっとした」体格に
綺麗な顔立ち、たまご肌。
会社の顧客のご子息で
そうそう部下になる時は
上司に呼び出され
「辞めさせるな」と
しつこく言われたんだった。
行動は常に一緒で
クライアントへの話し方
謝り方、おどし方、どつき方、逃げ方
まる4年ほど教え続けたに違いない。
しゃべり方がそっくり!と
からかわれて、
ボク、ソンナコトナイデスヨー
と周囲に答えていたっけ。
退社を告げたのは
レインボーブリッジが見える
高層ビルの中でのこと。
「僕のほうが先に辞める思ってたのに」
と答えたなり、彼は黙りこむ。
その日その時から、
いや次の日の打ち合わせも
クライアントからの帰り路も
彼は不機嫌で、ぎこちなく
つれない感じだった。
送別会に至っては
こんな会!こんな会!
さっさとお開きにしちゃいましょう!
と本当にさっさと帰ってしまって
大人たちを困惑させていた。
退社するなんてひどいよ
って彼が言ってましたよ
と教えてくれたのは
入社2年目の女子社員。
結局わたしの
出社最終日まで不機嫌が続き、
わたしが最後の最後
離席する段になっても
口元を真一文字にむすび
けっしてPCから目をそらさず
こちらを向こうとしなかった。
最後に交わした会話は
「もうそろそろご機嫌をなおして
笑って見送ってくれませんかねー」
だったか。
彼はきまりのわるそなカンジで
「ありがとうございました」
とぶっきらぼうにお答えした。
2年前の今頃
そう年度末、最終週を迎えた
オフィスはなんとも落ち着きがない。
新体制と人事は数週間前に発表され
上司と部下の新しい縁が生まれる。
レースに勝ち残った者
振り落とされた者
不本意な異動に動揺する者
そして去っていく者にも
等しく新年度の4月1日がせまり
各々がそのための後始末に追われ
不思議なカウントダウンが始まる。
毎年その渦中にいた。
別れと出会いが綯い交ぜになり
組織が生まれ変わる前の、
その一瞬をいつも見てきた。
彼はもうあの時の
不機嫌を忘れているだろうか。
『一応、ご報告2点』
と題されたメールの“一応”って
なんだよと思いながら
4月になったら
銀座で食事をしましょうと
お誘いしておいた。