お元気ですか?
お元気ですよ。
ちょっとだけブログを留守に
するつもりが
なんだかうんと留守に
してしまって。
こんな時の最初の一言に
考えこんでしまうのね。
で、考えこんじゃううちに
そのまま寝てしまうわけ。
お昼も夜も。
手術の“しゅじゅつ”って
未だに発音するの、うまくない。
その“しゅじゅつ”をして
退院をして
でも少しだけ腹膜炎を
軽く見ていたのか
しばらく長い間
3日に一度は発熱し
ちょっと腸閉塞気味で
ぐったりしていた。
でももう元気。
ジムに行ってもへこたれないし
1日に二つのことだって
こなせちゃう。
大丈夫。
本格的な夏が来る前に
“前髪”を作った。
胸元まで髪が伸びたのと
ちょっと長い前髪を
かきあげるしぐさに
飽きたから。
43歳にして
石原さとみちゃんとか
井上真央ちゃんと
おーんなじ。ぷぷぷ。
いーの。
そうそう。
リキシさんは相変わらず
忙しそうですよ。
相変わらず
雑踏の中、
待ち合わせのレストランで
わたしを見つけると
「Vちゃん、今日もご様子良いね」
と言ってくれるのが慣例で、
わたしはその褒め言葉が
大好物なわけ。
最近はね。
「Vちゃん、やりたいほーだいだね」
も加わって。
それはうーんと
わたしのお気に入り。
ではでは。
また近々。
仕事をしていて
好きだった時間のひとつに
撮影が終わった帰り路って
いうのがあります。
ロケバスの中の静寂。
心地よい脱力感とスタッフの寝息と
かすかに聞こえる音楽。
いくつかの橋を越えるたび
自分たちの街が近付いて
安堵する時です。
一緒に戦って、得たものを持ち帰る
仲間しか知らない時間や事実は
自分の居場所でもあり
喜びの中の一つだったと思うのです。
東京タワーが車窓に映る頃
また前に進もうと思い
流れる街を映し出す車窓の中の自分は
達成感に満ちていたはずです。
ここに苦しかったことばかり
書き連ねていますが
苦しかったことと同量の喜びを
わたしは確かに手中にしていました。
そうでなければ働き続けることは
難しかったでしょう。
98%くらいが地道なことの連続だけど
2%くらいで爆発的喜びが得られる、
どんな仕事もそのようなものですよね。
戦略がどうのとか
あらゆる交渉もその業績も
動いているという実感に
わたしは包まれていました。
わたしが
飛び込んだ業界は
まぎれもなく男性社会。
男性による男性のための
都合よき組織でした。
リキシさんというひとは
父が、結婚するなら
この業界の男を
と望んだ場所の出身で
その中にあっても
とびきり紳士的な育成を
施されてきたひとです。
彼がわたしがいた業界各社と
交流するたび、怪訝な顔で
理解できないね、と言います。
性差がない世界にいた彼にとって
旧態依然とした様への嫌悪でしょうか。
あの頃のわたしは
仕事がおわると
会社の近くで
リキシさんが
後部座席に座るタクシー
を見つけ、すべりこみ
ただいまを言う
そうしてきしんちゃんが待つ
お家までドライブをする。
それが日常でした。
制作会社で打ち合わせをした日は
わたしの髪にまとわりついた
煙草の匂いを嫌悪し
「Vちゃんくさいっ」
と邪険に扱われていました。
わたしは今日のアレコレを熱心に話しては
「君のいる業界はほんとっサイテイ!」
と切って捨てられる、そんな繰り返しです。
わたしは少しづつ、心のうちを吐露し
やがて吐き出すように愚痴をこぼし
「だっから辞めなさいよ!」と必ず言われ
「はいはい、ほうれすか、ほうれすね」
と言いながら、リキシさんの肩を枕に
だらしなく眠りに落ちてしまう
というのが常のことでした。
車窓に東京タワーが映ります。
「あなたはね居場所を間違えてますよ」
そうつぶやく彼の声を意識の遠いところで
よく聞いたものです。
もう、この場所が居場所ではないと
思ったのは、自分の愚痴が
止まらなくなってきた
というのもひとつあります。
潮時だなと自分で線を引きました。
心のどこかで
最後の仕事にしようと
獲得した業務があります。
あの街で開催される
小さくてかわいい
とびきりガーリーな
イベントでした。
普段なら部下にまかせて
携帯を握りしめ
近場でコーヒーでも
すすっていますが
その時わたしは現場の隅に
立ち続けました。
この目で見ておきたかったのです。
最後まで。自分がしてきたことを。
だから、深夜の撤去作業も
外される足場の一つ一つまで
丁寧に見ていたと思います。
仲間がひとりふたりと
挨拶をしては消え
会場は跡かたもなくなり。
終電を逃した酔っ払いが
時々よろめく足取りで通っていきます。
わたしもさようならを言って
その場所を後にしました。
通りをはさんだ向こうには
リキシさんが乗ったタクシーが
待っています。
シートにすべりこむわたしは
リキシさんにただいまと
「辞めるね」を伝えました。
「いいよ、辞めようね」と言ったころ
タクシーは動き始めたことを
思い出します。
“辞めて後悔していないか?”
と聞かれたら後悔してないと
答えると書きました。
戻りたいなどと未練のようなものは
ないからです。
“辞めてよかったのか?”
と聞かれたら、そのニュアンスは
わたしたちふたりに時々複雑な感情を
呼び起こすことがありました。
“あの頃のわたし”との対比で
“何者でもないわたし”に
わたし自身に時々耐えかねる
ということが度々あったのです。
後悔はないけど
“いいかどうか”なんて
わからない。そんな感じです。
何者かであらねばならぬ
もしくは
何者かにならねばならぬ
そう煽る業界にいたと思います。
それは辞めてからなおさら強くなる
その真価を問われるような
それこそが生きる幸せのような
そんな価値観がある場所に
わたしはいたのだと思います。
だけどわたしは
何者になろうなどという気力はなく
ただ時々感じる焦燥感を
持て余していました。
リキシさん、わたしは
何者でもなくって
それであなたはいいの?
こんなわたしで。
その日リキシさんは講演会の
檀上の人であり、きっと忙しくて
病院に来ることは
無理なんだろうと思っていました。
わたしはERの待合室で
ぼんやり座っていたと思います。
その入口に彼を見つけた時は
わたしはすんごく痛いのに笑っていました。
診察室から医師に
ご家族の方をと言われ、
入ってきたのはリキシさんです。
シュジュツはコワイで頭が
いっぱいになりながら
診察台にちんまりすわる私とは対照的に
医師と対峙する彼は
リスクに関する説明をうけ
手術の承諾書にサインをしていました。
脈略はありませんが
なんとなくその彼の姿に
会社を辞めるまでの2年間
会社を辞めてからの2年間を
想いました。
この人が背負って来たものを想い
この人と話し合って決めてきた
今の居場所はいいものだなと
想ったりしました。
あの小さな臓器は
焦燥感をも道連れに
息絶えてくれたのでしょうか。
わたしがいた病院から
東京タワーが見えます。
わたしは何者でもありませんが
彼が住まう街の
病院にてそんなことを考えていました。
好きだった時間のひとつに
撮影が終わった帰り路って
いうのがあります。
ロケバスの中の静寂。
心地よい脱力感とスタッフの寝息と
かすかに聞こえる音楽。
いくつかの橋を越えるたび
自分たちの街が近付いて
安堵する時です。
一緒に戦って、得たものを持ち帰る
仲間しか知らない時間や事実は
自分の居場所でもあり
喜びの中の一つだったと思うのです。
東京タワーが車窓に映る頃
また前に進もうと思い
流れる街を映し出す車窓の中の自分は
達成感に満ちていたはずです。
ここに苦しかったことばかり
書き連ねていますが
苦しかったことと同量の喜びを
わたしは確かに手中にしていました。
そうでなければ働き続けることは
難しかったでしょう。
98%くらいが地道なことの連続だけど
2%くらいで爆発的喜びが得られる、
どんな仕事もそのようなものですよね。
戦略がどうのとか
あらゆる交渉もその業績も
動いているという実感に
わたしは包まれていました。
わたしが
飛び込んだ業界は
まぎれもなく男性社会。
男性による男性のための
都合よき組織でした。
リキシさんというひとは
父が、結婚するなら
この業界の男を
と望んだ場所の出身で
その中にあっても
とびきり紳士的な育成を
施されてきたひとです。
彼がわたしがいた業界各社と
交流するたび、怪訝な顔で
理解できないね、と言います。
性差がない世界にいた彼にとって
旧態依然とした様への嫌悪でしょうか。
あの頃のわたしは
仕事がおわると
会社の近くで
リキシさんが
後部座席に座るタクシー
を見つけ、すべりこみ
ただいまを言う
そうしてきしんちゃんが待つ
お家までドライブをする。
それが日常でした。
制作会社で打ち合わせをした日は
わたしの髪にまとわりついた
煙草の匂いを嫌悪し
「Vちゃんくさいっ」
と邪険に扱われていました。
わたしは今日のアレコレを熱心に話しては
「君のいる業界はほんとっサイテイ!」
と切って捨てられる、そんな繰り返しです。
わたしは少しづつ、心のうちを吐露し
やがて吐き出すように愚痴をこぼし
「だっから辞めなさいよ!」と必ず言われ
「はいはい、ほうれすか、ほうれすね」
と言いながら、リキシさんの肩を枕に
だらしなく眠りに落ちてしまう
というのが常のことでした。
車窓に東京タワーが映ります。
「あなたはね居場所を間違えてますよ」
そうつぶやく彼の声を意識の遠いところで
よく聞いたものです。
もう、この場所が居場所ではないと
思ったのは、自分の愚痴が
止まらなくなってきた
というのもひとつあります。
潮時だなと自分で線を引きました。
心のどこかで
最後の仕事にしようと
獲得した業務があります。
あの街で開催される
小さくてかわいい
とびきりガーリーな
イベントでした。
普段なら部下にまかせて
携帯を握りしめ
近場でコーヒーでも
すすっていますが
その時わたしは現場の隅に
立ち続けました。
この目で見ておきたかったのです。
最後まで。自分がしてきたことを。
だから、深夜の撤去作業も
外される足場の一つ一つまで
丁寧に見ていたと思います。
仲間がひとりふたりと
挨拶をしては消え
会場は跡かたもなくなり。
終電を逃した酔っ払いが
時々よろめく足取りで通っていきます。
わたしもさようならを言って
その場所を後にしました。
通りをはさんだ向こうには
リキシさんが乗ったタクシーが
待っています。
シートにすべりこむわたしは
リキシさんにただいまと
「辞めるね」を伝えました。
「いいよ、辞めようね」と言ったころ
タクシーは動き始めたことを
思い出します。
“辞めて後悔していないか?”
と聞かれたら後悔してないと
答えると書きました。
戻りたいなどと未練のようなものは
ないからです。
“辞めてよかったのか?”
と聞かれたら、そのニュアンスは
わたしたちふたりに時々複雑な感情を
呼び起こすことがありました。
“あの頃のわたし”との対比で
“何者でもないわたし”に
わたし自身に時々耐えかねる
ということが度々あったのです。
後悔はないけど
“いいかどうか”なんて
わからない。そんな感じです。
何者かであらねばならぬ
もしくは
何者かにならねばならぬ
そう煽る業界にいたと思います。
それは辞めてからなおさら強くなる
その真価を問われるような
それこそが生きる幸せのような
そんな価値観がある場所に
わたしはいたのだと思います。
だけどわたしは
何者になろうなどという気力はなく
ただ時々感じる焦燥感を
持て余していました。
リキシさん、わたしは
何者でもなくって
それであなたはいいの?
こんなわたしで。
その日リキシさんは講演会の
檀上の人であり、きっと忙しくて
病院に来ることは
無理なんだろうと思っていました。
わたしはERの待合室で
ぼんやり座っていたと思います。
その入口に彼を見つけた時は
わたしはすんごく痛いのに笑っていました。
診察室から医師に
ご家族の方をと言われ、
入ってきたのはリキシさんです。
シュジュツはコワイで頭が
いっぱいになりながら
診察台にちんまりすわる私とは対照的に
医師と対峙する彼は
リスクに関する説明をうけ
手術の承諾書にサインをしていました。
脈略はありませんが
なんとなくその彼の姿に
会社を辞めるまでの2年間
会社を辞めてからの2年間を
想いました。
この人が背負って来たものを想い
この人と話し合って決めてきた
今の居場所はいいものだなと
想ったりしました。
あの小さな臓器は
焦燥感をも道連れに
息絶えてくれたのでしょうか。
わたしがいた病院から
東京タワーが見えます。
わたしは何者でもありませんが
彼が住まう街の
病院にてそんなことを考えていました。
会社を辞めた頃、
組織で身についた色々なコトから
抜け出るには、2年くらいかかるよと
言われていました。
だからでしょうか。
あの頃の自分をここに書き尽くせば
あの頃の自分を過去のものにできる
のではと思っていたところがあります。
ところで、わたしは、
会社に勤めていたころの自分を
ここに書き尽くせたかな。
と考えます。
きっと、すべては書けていませんね。
いろんな想いが多すぎるもの。
それに長年、守秘義務契約に
徹していたせいか
その業界のあんなこと、こんなこと
おもしろおかしく
書いちゃいけない気がするんですよね。
それでも、やっぱりここで
なにかは吐き出して。
なにかはそのまま飲み込んじゃう。
18年間組織に属していたけれど
いつの頃からか
わたしは愚痴を
言わなくなっていました。
色んな感情を、
全て飲みこんできたのだと
思っています。
ノーを、イエスと言います。
嫌よを、喜んでと口答します。
そう言ってできたやりきれぬ矛盾は
わたしの喉元でそのまま大きくなり
真っ黒な塊となって、
わたしは強引にも一呑みにするのです。
苛立ちは、微笑みにすりかえ
悔しさに押し黙る時も
心に沸き立つ感情は
それはそれは大きな玉となって
そしてまたわたしは深呼吸をして
一呑みにするのです。
そんなに苦しかったのか?
なぜ苦しかったのか?
そう疑問を呈す方もいるでしょう。
答えに窮するわたしもいるのです。
でも娘のために経済的な
安定を得るためであり、
社内トップのプロデューサーで
あることの努力であり、
業界で華を咲かせたいという
欲望のためだったのだろうと
サラリーマンとして
ありきたりな答えを返してしまいます。
業界を明言しないのは
このブログの世界さえ
その管理下にあるからと言いましょう。
わたしがいた業界は一見華やかだけど
“奴隷”と揶揄される世界でした。
金主の太鼓持ちをして
その横で金勘定をする
嘘がホントで騙し合いは挨拶。
いや、もちろん全てではないですけど。
わたしのいた世界に
「できません」という言葉はありません。
「できません」という言葉は
脳なし、用なしの烙印を押されてしまうだけ。
それに「できなければ、もう来なくていいよ」
そう言われて終わってしまいます。
だからなんでもするのです。
すればするほど
ため息も出ない
涙も出ない
ただ大きな大きな黒くて重くて
そう、鉛のような塊を
えづきながら呑みこむのです。
あぁ話が長くなってしまいました。
午後の病棟は比較的のんびりとしています。
春のやわらかな日差しが差し込む
カンファレンスルームで
その外科医が見せてくれたのは
先週わたしのからだから
切り取った臓器でした。
虫垂と言われる管腔臓器は
通常、直径数ミリ、長さ5~10センチと
言われる細長い
薄いピンクの珊瑚色をした
艶やかで美しいものです。
しかし病理検査に出すために、開かれた
わたしのそれは直径が2センチを上回り
肥大した一部が溶けだし、
その中身は壊死して真っ黒になっていました。
その痛みを自覚していたのは
30代半ば、ひとりで仕事が
回せるようになった時期と重なります。
毎年のように七転八倒する痛みが
襲いますが、わたしはただ黙って
その痛みをこらえ
会社に向かい、クライアントに
向かい、娘に向かい合っていました。
4,5日もすれば治まるからです。
それが虫垂炎と言われるものだと
なんとなく感じてからも
やっぱりわたしは立つこともできない
意識が遠くなる
この痛みに耐えることを
選択していました。
恐ろしく愚かですが
あの時のわたしは立ち止まることが
できなかったのです。
カンファレンスルームで見る
原型を失ったわたしの臓器の中身は
まあるく泡の跡を描くように
鬆がたったような、と言えばいいでしょうか。
まるで黒い玉をつぶし続けたような
姿をしています。
退化した臓器で、
その機能はよくわからないんですよ
そう外科医は言いましたが
わたしには、わたしのためにその臓器が
担った役割がよくわかりました。
わたしの飲みこんだあの塊を
わたしに代わってこの臓器が代わって
引き受け、つぶし、吸収し、
死んでいったのだろうと思いました。
守ってくれていたのだろうと思うのです。
これを切ったからと言って
特別支障はありませんよと
そう外科医は言いましたが
わたしは、大きな拠り所を失った
みたいで心もとなく
下腹部にある不在感が
急に切なくなりました。
わたしが呑みこむ
あの大きくて重くて鉛のような玉を
わたしはこれからどうすればいいの?
そう思ったからです。
カンファレンスルームの
窓から見える桜はもう散っていました。
救急でこちらに着た日、桜は満開だったのに。
時が過ぎていきます。
わたしはあの頃の自分から
本当に抜けだしてしまったのかもしれません。
何のためにあるか
わからないと言われる
虫垂が損な役回りを
すべて引き受けて
死んでいきました。
その役割を終えたのでしょうか。
わたしは健康を取り戻しつつあります。
気がつけば
わたしにはもう
呑みこまねばならぬ大きな塊など
ないように思います。
下腹部の痛みはまだ残ります。
失った臓器の残像でしょうか。
やがてこの痛みもなくなるでしょう。
組織で身についた色々なコトから
抜け出るには、2年くらいかかるよと
言われていました。
だからでしょうか。
あの頃の自分をここに書き尽くせば
あの頃の自分を過去のものにできる
のではと思っていたところがあります。
ところで、わたしは、
会社に勤めていたころの自分を
ここに書き尽くせたかな。
と考えます。
きっと、すべては書けていませんね。
いろんな想いが多すぎるもの。
それに長年、守秘義務契約に
徹していたせいか
その業界のあんなこと、こんなこと
おもしろおかしく
書いちゃいけない気がするんですよね。
それでも、やっぱりここで
なにかは吐き出して。
なにかはそのまま飲み込んじゃう。
18年間組織に属していたけれど
いつの頃からか
わたしは愚痴を
言わなくなっていました。
色んな感情を、
全て飲みこんできたのだと
思っています。
ノーを、イエスと言います。
嫌よを、喜んでと口答します。
そう言ってできたやりきれぬ矛盾は
わたしの喉元でそのまま大きくなり
真っ黒な塊となって、
わたしは強引にも一呑みにするのです。
苛立ちは、微笑みにすりかえ
悔しさに押し黙る時も
心に沸き立つ感情は
それはそれは大きな玉となって
そしてまたわたしは深呼吸をして
一呑みにするのです。
そんなに苦しかったのか?
なぜ苦しかったのか?
そう疑問を呈す方もいるでしょう。
答えに窮するわたしもいるのです。
でも娘のために経済的な
安定を得るためであり、
社内トップのプロデューサーで
あることの努力であり、
業界で華を咲かせたいという
欲望のためだったのだろうと
サラリーマンとして
ありきたりな答えを返してしまいます。
業界を明言しないのは
このブログの世界さえ
その管理下にあるからと言いましょう。
わたしがいた業界は一見華やかだけど
“奴隷”と揶揄される世界でした。
金主の太鼓持ちをして
その横で金勘定をする
嘘がホントで騙し合いは挨拶。
いや、もちろん全てではないですけど。
わたしのいた世界に
「できません」という言葉はありません。
「できません」という言葉は
脳なし、用なしの烙印を押されてしまうだけ。
それに「できなければ、もう来なくていいよ」
そう言われて終わってしまいます。
だからなんでもするのです。
すればするほど
ため息も出ない
涙も出ない
ただ大きな大きな黒くて重くて
そう、鉛のような塊を
えづきながら呑みこむのです。
あぁ話が長くなってしまいました。
午後の病棟は比較的のんびりとしています。
春のやわらかな日差しが差し込む
カンファレンスルームで
その外科医が見せてくれたのは
先週わたしのからだから
切り取った臓器でした。
虫垂と言われる管腔臓器は
通常、直径数ミリ、長さ5~10センチと
言われる細長い
薄いピンクの珊瑚色をした
艶やかで美しいものです。
しかし病理検査に出すために、開かれた
わたしのそれは直径が2センチを上回り
肥大した一部が溶けだし、
その中身は壊死して真っ黒になっていました。
その痛みを自覚していたのは
30代半ば、ひとりで仕事が
回せるようになった時期と重なります。
毎年のように七転八倒する痛みが
襲いますが、わたしはただ黙って
その痛みをこらえ
会社に向かい、クライアントに
向かい、娘に向かい合っていました。
4,5日もすれば治まるからです。
それが虫垂炎と言われるものだと
なんとなく感じてからも
やっぱりわたしは立つこともできない
意識が遠くなる
この痛みに耐えることを
選択していました。
恐ろしく愚かですが
あの時のわたしは立ち止まることが
できなかったのです。
カンファレンスルームで見る
原型を失ったわたしの臓器の中身は
まあるく泡の跡を描くように
鬆がたったような、と言えばいいでしょうか。
まるで黒い玉をつぶし続けたような
姿をしています。
退化した臓器で、
その機能はよくわからないんですよ
そう外科医は言いましたが
わたしには、わたしのためにその臓器が
担った役割がよくわかりました。
わたしの飲みこんだあの塊を
わたしに代わってこの臓器が代わって
引き受け、つぶし、吸収し、
死んでいったのだろうと思いました。
守ってくれていたのだろうと思うのです。
これを切ったからと言って
特別支障はありませんよと
そう外科医は言いましたが
わたしは、大きな拠り所を失った
みたいで心もとなく
下腹部にある不在感が
急に切なくなりました。
わたしが呑みこむ
あの大きくて重くて鉛のような玉を
わたしはこれからどうすればいいの?
そう思ったからです。
カンファレンスルームの
窓から見える桜はもう散っていました。
救急でこちらに着た日、桜は満開だったのに。
時が過ぎていきます。
わたしはあの頃の自分から
本当に抜けだしてしまったのかもしれません。
何のためにあるか
わからないと言われる
虫垂が損な役回りを
すべて引き受けて
死んでいきました。
その役割を終えたのでしょうか。
わたしは健康を取り戻しつつあります。
気がつけば
わたしにはもう
呑みこまねばならぬ大きな塊など
ないように思います。
下腹部の痛みはまだ残ります。
失った臓器の残像でしょうか。
やがてこの痛みもなくなるでしょう。