
わたしはミラノの洗練が大好きだ。
あこがれの女性がこの街に
住んでいる。
友人といえば申し訳なく
やっぱりあこがれのひと。
この街にふさわしい
洗練された女性だ。
わたしは娘に
この女性を見てほしかった。
かっこいい女性って
こんな人。
だから、旅行終盤のミラノで
忙しいこの方に
お時間をいただいた。
日本人女性だが
この地に暮らし、
ミラノ⇔東京間で仕事をし
ちゃんとミラノに納税もしてるんだから
しっかりと根を下ろしている。
華やかな世界の成功者だけど
決して自慢しないし
うんちくを披露したりしない。
人を批評しないし、
不快な言葉を口にしない。
物腰は柔らかで
極上に洗練されたファッションで
美しい。
ため息が出る。
あーこうやって品格を
身につけなきゃいけないんだな
と思わせる透明感とか謙虚さにね。
清廉として
苦しかった時代を
乗り越え昇華した時
その凛とした姿を作ったのだろうと
言う感じ。
ミラノの石畳を歩く姿は
どのミラノマダムより
マダム然として美しかった。
イタリアを旅していると
色々なところで
働く日本人女性に出会う。
わたしたちも
フィレンツェのレストランで
ホールを忙しく立ちまわる
一人の日本人女性
と出会った。
そのレストランは
まだ日本人向け観光ガイドには
載っていないと言われていたが
現地に働く日本人たちが
多く集う店だった。
華やかな客の間をぬって
立ち働く彼女に
声をかけたのは
そのうちひとりの日本人だ。
ずっとこちらで働いているの?
彼女はうーんと濁しながら
でも、姿勢を立て直し
ホントは建築の勉強してて
仕事を捜してるんですけど
なかなかなくて
食べて行かなきゃならないから
ここでこうやって働いているんです。
競争率半端ないんで。
そう言って笑った。
そうなんだ、夢を追って
がんばりやさん
なんだねと言われて
笑っていた。
だけどなんとなく
くぐもって見えたのは
わたしだけなんだろうか。
そう若くもないそのひとに
イタリアに来てから随分と
時間がたっていると
話した彼女に
いきいきと輝いているね
なんて、ちょっと違う。
なんだろうなーと
思いながら食事を終えて
夜の街に出た。
これってママの意地悪?
とつぶやくわたしの後ろを
娘はついてくる。

その夜の出来事を
彼女に打ち明けた時
そのひとはゆっくり言ったのだ。
そこで生活のために
働いちゃだめよね。
やりたいことがあったら
その場所にいなきゃね。
どんなに苦しくてもね。
フィレンツェの街で
働く女性が
なんだか曇ってみえたのは
そのひとの人生に
大きな言い訳が
見えたからだろうか。
あこがれのひとは
きっと日本を出た時に
自己責任、自助努力を
自分の心に誓ったのだろう。
最初からこの街が
彼女に優しかったわけじゃない。
一度も今の仕事の現場から
離れなかったそうだ。
例え収入がなくとも。
だからきっとミラノが
彼女を受け入れ
彼女を愛しているのだねと。
言い訳の数だけ
女の顔は透明感を失うのかな
とか、そんなことを考えていた。
それにしても
時々女性誌に紹介されている
彼女のくらしぶりは
圧巻のおしゃれ。
その部屋のあちこちに
彼女の一貫した審美眼が貫かれ
その洗練に我が娘は驚嘆していた。
ママ、すごいね。
うちはこーはならないね。
と彼女に聞こえない
小さな声でわたしに言う。
何が飲みたい?と聞かれて
無邪気にオレンジジュースと
答えたならば、それは冷蔵庫から
出てくるペットボトルにあらず
しぼりたてのブラッドオレンジジュース。
小さな小さな声で
ママ、うちはこーならないね。
母は言い訳のしようもなく
ただ、静かな中庭を見つめて
聞こえないふりをしていた。