かつて、私は
男性から愛の証に
「何か君にプレゼントしたいな」
などと言われると
「プレゼントはもらわない主義」
などとのたまって断っていた。
タイムマシーンに乗れるなら
今すぐ自分の所に向かい
「あほぉ」と言うに違いない、私は。
とにかく、自分の力だけで
生きていかなくてはと力み、
その男の愛を手で払いのけた
ようなものだ。
ほしくても、断った。
うっかりして
苦労を背負ってしまう
生き方を選んでしまったせいか。
いやいやそれよりもっと前から
私は“素直”ではなかった。
“素直”というのが
どういうことなのか
いい大人になるまで
わからないまま
過ごしていたように思う。
話は脱線するけれど
私が40台を目の前にし
「はて、どう生きるのか?」
を悩み始めた頃、
リキシと私は、
とあるブティックの前にいた。
父の生業はファッション業界で
家そのものがクローゼット
のような環境で育った私は
お洋服が大好きだった。
でも、母子家庭の実情をもって
ファッションには臆病になっていた。
リキシは、
艶やかな服の方が
似会うのになぁなどと
私に対して
思っていたかもしれない。
そのブティックの前に
リキシは佇み、
「これいいねぇ~」
などと目を輝かせる。
「ちょっと入ってみようよ」
ところがである。
その当時、意地っ張りだった私。
途端に高速回転で
ショップに入った自分を
想像し先走る。
お洋服がほしくなるに違いない。
でも、私の財布に余裕はない。
そして惨めになるにちがいない。
ましてや、ましてや、この付き合い始めた
ばかりの男にそんなもの買ってもらい
いやいや“恵んで”もらうわけ
にはいかないわ。
だから
「いいよ、いいよ、高そうだし」
そんな風に、答え遠慮した。
リキシは「買ってあげる」
なんて言ってないのに。
そんな風に答えてもリキシは
私を無視してステップを上がる。
アロマが香り、太陽がさんさんと
降り注ぐ場所。
ハンガーにかけられた
お洋服とお洋服の間は
30センチ以上ひらいて、
値札など、お洋服の奥底に隠されいる。
いやいや、この店に値札なんて見て
買う人はこないだろう。
そう考えると諦めが先に立つ。
「ぐるりと店内を回ったら
店を出ようね、リキシっ」
と振り返った瞬間
リキシがニットのアンサンブルを
むんずと掴んでいるではないか。
柔らかな黄色、光沢感ととろりとした風合いは
私の距離から見てもシルク100%。
「おぉ恐ろしい。リキシさん、
そんなぁ高いものぉ握らないでぇ」
「ねぇ、着てみて!」
天真爛漫なリキシがそう笑って言った。
私の歪んだ自立心がその時どう
狂ったのかわからない。
リキシに言われるがまま試着し。
うっとりとする。
1枚の洋服だけで
一つ階段をのぼり
いい女になった気分。
私の顔はキラキラして
うれしそうで
楽しそうにしていたに違いない。
ただただそれだけ。
リキシはそのニットを値段も見ずに
買ってしまった。
その時思ったのだ。
「チョーっうれしいっ」
私の持つ紙袋には
宝石のように丁寧に薄紙で包まれた
ニットが入っている。
「うれしいっうれしいっ」
あれやこれやといらぬ想像をし、
手に出来ぬ理由を並べ正当化し、
ましてやプレゼントなどけしからぬ
と相手の気持ちを無視し、
自分のひとりよがりな自立心を盾に
悦に入ってた私。あほぉと言いたい。
その日、そんなものを封じ込め
本当に「うれしい」顔をして
本当に「ありがとう」と言った。
みんなができるそんなコトが
私はできていなかった。
このうれしいとありがとうで
「素直に生きる」
最初の第一歩を学んだように思う。
まだこの時点で、
私は気がついていないけれど。
40代をどう生きる?
「素直に生きる」
それは一つ心に書き止めて。