3.損失処理 | 祈るまえに、恋をして。

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ときどきぽつりと更新。

3億という損失が
大きく感じるかどうかは
その事業規模によって
違うだろう。

もう少し大きかった穴を
およそ3億というところまで
縮小しながらも
私個人としては、
その穴の大きさに驚いた。

私は恐れおののき、
逃げるどころか、
より攻撃的な姿勢を
崩せないまま
当時、戦っていた記憶がある。

先方とのセッションに疲弊し
内側に対しては、スケープゴートに
されぬよう細心の注意を払う。
ましてや、生活があるのだから
管理上の数字は達成させて
おかねばならない。

そんな風に汲々としていたが。

組織はおもしろいもので、
責任をなすりつけあうのかと
思っていた役員たちから、
私たちは会社の新事業に
大きな貢献をしたと称えられ
壇上に祭り上げられ表彰される。

役員は無事任期を終え、
円満に会社から去った。

このカラクリに
是非を問うつもりはない。
組織のルールは組織内では絶対だ。

そして何より会社は
巨大生物のように
欠損というやり方で
この穴を埋めてしまった。
何事もなかったようにだ。

私は、このことで
妙に関心してしまった記憶がある。

企業とは個の寄せ集めであり、
一人一人がまんべんなく働いた結果
収益が蓄積される。
私は3億円の損失を
“個”の価値基準と照らし合わせ考えたが
“個人の利益”と“会社の利益”を
同じように考えるのは
そもそも無理があるのだ。

シンプルかつ道理の通った話で、
そんな穴はみんなで埋めたら、
すぐ埋まるといわんばかりに
組織はその傷をのみこんでいくのだ。

私は「3億円/1人」という
負担率を勝手に背負い悶々としていたが
「3億円/社員全体」として
とらえる企業は、当然だが
私が思うよりはるかに
大きな存在だった。

そうやって、
会社は生き残るんだなと
妙に感心してしまったのだ。

さて、その後どうなったか?
損失は上記のように欠損として扱われ
個人としての罰はなかった。
チームとしての罰もなかった。
チームは解散し、若い男の子たちが
新しい武勇伝として
この話をネタにしている。

私は、神風がふいたと揶揄されたが
その損失以上の金額を
他のクライアントから引き寄せ
個人の数字上では穴を埋める
それ以上のことができた。

その業務の事務処理が終わっても
組織上、私の立場には何も変化はなかった。
プロジェクトルームは消え
大量の文書はシュレッダーにかけられ
会社のどこにもその業務の痕跡はなくなった。

ただ私の記憶の中にだけ苦味が残り
会社や仕事に対する
物の考え方が変化したように思う。

若かった時に、見ていた会社や業務が
まったく違う顔をして目の前に存在
しているような。
あの時初めて、そんな風に
感じていたように思う。