終戦時17歳の少年だった。
「戦争」と聞くと、小学校3年生の
社会の授業を思い出す。
『家族の戦争体験について、レポートすること』
『その戦争について、家族で話し合い、
一つの見解を出すこと』
というような宿題が出された。
クラスの大半が、祖父母の体験や意見を発表する中
私は、父の戦争体験をレポートした。
課題発表も山場を越え、
戦争は悪だ、日本の平和主義はすばらしい!
日本は世界に平和を唯一提唱できる国だ!
と教室が一丸となるころ私の発表の番がきた。
「戦争はよくないことは明らかです。
しかし日本がいくら戦争は悪だと提唱しても、
戦争を仕掛けてくる国、もしくは集団が
この先ないとは言えません。
この国家が、どうやって自国民を守るのか
そのことを議論ぜずして、日本国憲法の
平和主義を掲げるのは、理想像だけを
子供たちに背負わせるように思え
冷静に議論することが必要だと思います。
戦う能力を持つとは、戦いを仕掛ける
という意味ではなく、抑止力にもなるという意味です。
自衛するとは本来そういうものではないでしょうか」
父の独白のようなコメントを
私は朗々と読み上げた。
抑止力のための武器は必要では?
と問う私の発表に、教室は騒然となり
小学生のヒステリーな非難の声と、
教師の困った顔だけが、記憶に残っている。
そう話した当時、父は50歳だったが
背景にあったのは
17歳の少年の目を通して見た
戦争の恐怖と餓え
敗戦国としての現実と絶望だったろう。
終戦から一夜あけた日。
父はどのような気持ちで一夜を明かし、
朝を迎えたのだろうと、いつも考えてしまう。
終戦が意味することを、
国家が存亡の危機にあることを
拠り所にしていた精神を見失うということを
どんな気持ちで受け入れたのだろうか。
食べるものがあればよかった。
食べられるものはイモやその根ばかり。
飛行機が飛んでくれば、肥えだめの中に飛び込んだ。
中学生になれば学徒動員として
工場に働きにやられ、親元を離れて暮らした。
明日は、自分に召集令状が届くと信じて暮らしていた。
特攻隊員になり、死ぬことは国家のためだと信じた彼の
その一日はどんな風に暮れて行ったのか。
その日を境に“負けた”という
悲惨な現実を、17歳の父は見続けた。
人を殺す戦争は悪だから
武器をもってはいけない!
と、純粋に訴える娘に対して、
父が投げかけた
明日ミサイルが飛んできたら
君はどうするの?
という質問に、綺麗事では
すまされない緊張を感じ
恐れおののいたのを今でも覚えている。
私も、大人になって、
この議論にも色々な物の見方が
あることをもちろん知った。
命は大切だということ、
戦争を繰り返してはいけないということは、
父も十分知っている。
ただ、人の心には悪が潜み、
人の死をもって自分が生存する
「人が人を犠牲にして生きてきた」
あの戦争の現実も知っている。
それが戦争の悲惨さだと
17歳の父が教えてくれたように思う。