私は父の影響を色濃く受けて育った。
女性としての姿形から、酒の扱い方、
経済、政治に関する考え方まで。
ありとあらゆることのベースが父にある。
私が困窮した生活を経験しても、悪態をついても
どこか“お嬢さん”然としているのは
父の下地教育のお陰だろうと思う。
小学生の頃にすでにあった毎朝の服装チェック。
「そんなに食べたら太ってしまう」と
体重を保つための食事コントロール。
高校生の頃なんて、かわいい水玉模様の下着
を買って帰ったら、下品だと言って捨てられた。
上品であり、目立ってはならず。
謙虚であり、足るを知る女性。
父は私に“こうあるべき”を植え付けた。
これが、私の“本質”だろうか?と
考え始めたのは、30代後半。
経済的自立はできており、
私のキャリアの中でも
ひと華咲かせる時期だった。
たくさんの“あらねばならぬ自分”。
「自分の中の息苦しさ」に気がつくように。
ある日、今まで考えても見なかった“壁”に
コツリと自分がぶつかったことを覚えている。
「私はもっと、どうしたいんだっけ?」
私自身の価値観が父のそれと対峙した。
まさにその時が、
親からもらった価値観を学びつつ、
自分自身の価値観をつくりあげていく
本質的精神の自立期だったように思う。
親から聞かされた価値観が“形成された時代”は
“一昔”どころではないだろう。
先代、先々代の教育思想が影響してくる。
親は子供の教育者であり、
様々に生きる知恵を与えてくれるが、
同時に偏見を植え付けてしまう場合があるだろう。
この偏見を取るために、私たちは社会に出て
「何が違っているのか」
「何が実態として正しいのか」
「どの様に受け入れるべきか」
を自分自身で自問し理解し始める。
月日がたち、親も私も歳を取り、価値観が変化した。
社会に、人にもまれていくうちに
親をこえるという課題は多くの人が経験し、
また越えていくのが人の道だろうと思っている。