『アスペルガー症候群』だったかもしれない。と、27歳にして思った。
全く考えたことがなかったけど、
当てはまることが多く、一般に『障害』とされる範疇かはわからないが『傾向』はあることがわかった。
両親が叱らず褒めて自由にさせてくれたことと、突然新しいことに飛び込む性分があったため(そのたびに苦しんだり病んだりしたが)、現在は表面上はある程度の社会性を身につけ、生活に支障もなく劣等感ももたなくなった。
現在に至るまでの苦労は、両親を除き誰にも理解されることはないと思っていた。
だから、原因らしきものがあることに安心したし、涙がでてしまった。
本質的に誰にも理解されない、また、他人の気持ちが理解できないという孤立感は現在もあるため、『自分のようなタイプのひともいる』という事実を知ることは、自分を理解されたようでとても安心した。
苦しさの原因は、私の場合は両親が厳しくなくイジメなどもなかったため、あたりまえのことができないことで自分自身を責めることだった。そのため、『劣っている』のではなく、『脳の構造(思考パターン)が生まれつき大多数のひとと違う』のだと理解できたことも、自分を認められたように感じた。
障害なのか普通なのかの境界は、ひと(社会や医師)が決めるものに過ぎず、それが偏見の対象になる恐れがあるのはとても悲しいことだと思う。
でも、私はそういう傾向があるひとが世の中にいるのだと『知ること』は、意味のあることだと思った。
なんのために『障害』や『症候群』というレッテルがあるのか。
それは、生きづらさを感じ孤立する傾向のあるひとを、『障害』『症候群』と定義することで、周囲や社会が理解し、支援する環境を整えるためだと思う。
私は考えた。
私は今は生きづらさからは解放されている。しかし、もっと傾向の強い人や、周囲の理解が得られず苦しんでいるひとはたくさんいるはず。
そういうひとが、のびのびとその能力を発揮できる環境に巡り会えれば良いと。
もうすこし、この問題について調べてみようと思う
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