「人の三井」に対して「組織の三菱」と言われた大財閥です。
三井グループは1673年日本橋の呉服商三井高利が創業者といわれるのに対して三菱は土佐藩士岩崎彌太郎が創業者と言われているように商人対武士のライバル対決と言われています。
三井グループは商人気質を受け継ぐ能力主義を一貫して貫き当主は資本は握っても経営は有能な人材に任せ日本最大の財閥に仕立てあげてきました。
それに対して三菱グループは創業者が武士の政商だったため、政府中枢との結び付きが強く国家への貢献を重視していました。
敗戦後の財閥解体まで日本の軍需産業を主に事業を拡大してきたといってよいでしょう。
このあたりのことを総して「人の三井」に対して「組織の三菱」といわれる所以です。
三井のマークは丸は天、井げたは地、三は人を表し「天地人」の三方を意味していると言われています。
一方のスリーダイヤは岩崎家の三階菱と山内家の三ツ柏の組み合わせに由来しています。
この様に発生も組織もまるで違う巨大財閥も創業思想を背に三井は銀行や商社を中心に三菱は軍需産業から重化学分野に有力企業を持つようなグループに発展して来ました。