萬葉集に「春」の文字が最初に出てくる部類は、巻第三・四で書いたように巻第八の
「春の雑歌」である。
ところが「春」を詠んだ「梅」の文字が出てくるのは巻第三-398が最初である。
この巻第三-398は「比喩歌」の部類に収められている。
巻第三に「梅」が詠まれた歌は全部で5首であるが「比喩歌」に入っているのは4首で
1種が「挽歌」の部類に入っている。
同じように巻第四に「梅」が詠まれた歌は4首あるがすべて「相聞」の部類に収められて
いる。
『鹿持雅澄 訓読萬葉集』DBで「梅」をキーワードに巻第五を検索してみると38首見つ
かった。
この38首はすべて「雑歌」に収められている。
こんなことを書いたのは、巻第五を検索してみると38首の「梅」を詠んだ歌が見受け
られるが、その中で季節が「春」でないと思われる歌は5首、33首が「春」を詠んだ
歌であるからである。
33首「春」の「梅」を詠んであれば一つの部類として成立するのではないか、こんな
疑問を持ったからである。
萬葉集の中で部類が30首以下は、巻第三「比喩歌」25首、巻第七「挽歌」14首、
巻第八「春相聞」17首、「夏相聞」13首、「冬雑歌」19首、「冬相聞」9首、巻第九
「相聞」29首、「挽歌」17首・・・・・となっている。
なぜ巻第五の「春の梅」を詠んだ歌33首が一つの部となって収められていないことに
疑問を感じた。
この理由として①成立時期、②編者・・等々が考えられる。
この問題については別に調べてみたい。
巻第五の「梅」を詠んだ歌(1)
巻第五-815 正月立ち 春の来らば かくしこそ 梅を招きつつ 楽しき終へめ
巻第五-816 梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我が家の園に ありこせぬかも
巻第五-817 梅の花 咲きたる園の 青柳は かづらにすべく なりにけらずや
巻第五-818 春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ
巻第五-819 世の中は 恋繁しゑや かくしあらば 梅の花にも ならましものを
巻第五-820 梅の花 今盛りなり 思ふどち かざしにしてな 今盛りなり
巻第五-821 青柳 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし
巻第五-822 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも
巻第五-823 梅の花 散らくはいづく しかすがに この城の山に 雪は降りつつ
巻第五-824 梅の花 散らまく惜しみ 我が園の 竹の林に うぐひす鳴くも
巻第五-825 梅の花 咲きたる園の 青柳を かづらにしつつ 遊び暮らさな
巻第五-826 うち靡く 春の柳と 我がやどの 梅の花とを いかにか分かむ
巻第五-827 春されば 木末隠りて うぐひすぞ 鳴きて去ぬなる 梅が下枝に
巻第五-828 人ごとに 折りかざしつつ 遊べども いやめづらしき 梅の花かも
巻第五-829 梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや
巻第五-830 万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲きわたるべし
巻第五-831 春なれば うべも咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜寐も寝なくに
巻第五-832 梅の花 折りてかざせる 諸人は 今日の間は 楽しくあるべし