しかし、まだまだ様子見のところも多いようだ。
ベッキオ橋の上の宝石店などは、観光客目当てであるので、ほぼ以前と同じように店には鍵がかかったままである。
それでも数件だけ、開いている(あるいはオープンに向けての用意)の様子のところもあった。
主人は語学教師だが、学校などの再開は始まっていないので、引き続き家でのウェブを使ったレッスンを行う。
私の職場もオーナーは行っているのだろうが、いつからオープンするかの連絡がないので、
今まで通り、家でオーダー品の制作を続ける。
子供たちは今期(6月頭まで)はウェブ授業なので、やはり家中心の暮らしのまま、進級することになる。
公園の使用も少しずつ緩和され、広場の中の遊具があるスペースは5/17の時点では、まだ解放されていなかったが、
一週間前と異なっている風景は、グラウンドでサッカーボールを蹴り合う人々が見られたこと。
少しずつ、日常が取り戻せてきた気がする。
この日は昼ごはんが終わってすぐの、午後14時半ごろに、次女と行ったので、
空いているベンチを見つけることができた。
それが1時間くらい経つと、徐々に人が増え始め、ベンチの端に女性が腰掛けてきた時
私はちょっとドキッとした。
そして
「ここに座っていいですか?」
の一言がないのにも、がっかりする。
でもここはイタリア。
一人でベンチを死守したければ、真ん中にドカンと腰掛けるべきだったのだ。
前の日にこの公園を、ちょっとだけ通り過ぎた時、夕方だったのだが、人の多さに驚いた。
その時に、人が多い夕方に行くのは控えようと
心の中でつぶやいた。
次女からすれば、友人と会える確率は高くなるから、その方が嬉しいとは思う。
しかし座るところもなく、
人との距離が近すぎることに戦々恐々としながら過ごすのでは、身がもたない。
それならば、少しでもすいている時間帯に来る方が精神的にストレスが少ない。
これだけ長い間閉じ込められていた私たちなので、
解放的な気分を満喫したい思いと
そしてまるで刷り込まれたような第二波、第三波のウィルス蔓延への恐怖が
ないまぜになっている。
まずはこの気持ちに自分が慣れていくことが、肝心かな。
今までの定石が、そうではなくなることにも慣れていくのは
何よりも心が柔らかであることが大切かもしれない。
ガチガチに頭も体も硬い私が思うこれからの生き方は、
しなやかに風に吹かれる枝のように、しなりながら
新しく加わったりコロコロと変わっていくルールに対処できることなのではないかと思う。
怒らず、落ち込まず、でも負の思いが浮かぶことに罪悪感も感じることなく、
小津映画で笠智衆が演じる役のように。
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。