最初の出会いでは、やっぱり好きなことや物が一緒だったり、共感するところがたくさんあると盛り上がる。
それが長くなるにつれて、共感していたはずが、お互いの価値観の微妙なずれなどで、ぶつかり合うこともある。
こういうところが嫌だ!
という感情が出てくるのは当たり前のことだと思う。
しかし、それがあってもここは、はずせず大好きだ!
というところもあるはずなのに、
嫌に感情が引っ張られている時は、その大好きだったはずのところまで曇って見える。
そういう時は、良いところだけを見る眼鏡をかけるようにする。
これは子供に対しても同じこと。
時折ブログに登場する私の主人は、語学教師である。
お互いが出会った頃は、この仕事だけだった。
しかし彼の中では、文学、特に詩に対する愛情が深く、詩作に励んでいた。
そしてイタリアを代表する詩人 ダンテをこよなく愛していた。
このダンテの神曲をまずは学校の教室で、講義し、朗読し始める。
そしてそのイベントをフィレンツェの色々な教会でするようになる。
その頃、聴衆は友人知人や、生徒さんがほとんどだった。
しかし徐々に活動は広がり始める。
どこから聞きつけたのか、
フィレンツェダンテ協会の方も聞きに来ていて、内容に深く感動し、
ダンテ協会に入ることを勧めてくださった。
活動初期の頃、ダンテ協会に行けば、もっと色々なところで講演会ができるようになるのでは無いだろうかと
二人してダンテ協会の門をたたいたが
けんもほろろに
受付で追い返された記憶も古くない。
大事なことは、
自分を信じて活動を続けること。
その質が高ければ、
そしてそれが少しでもたくさんの人に目に触れる機会があれば、徐々に世界は広がっていく。
主人の動きを見ていて、それをつくづくと感じた。
その後、活動の先をスイスなどにも広げ、アルゼンチンなどからもオファーが来ている。
先ごろ、フィレンツェにあるフランス文化会館で、フランス語による講演で、朗読は原語(イタリア語)というイベントを開催した。
その前の主人は、ものすごく深く集中していて、
そのイベントが彼にとっていかに重要で、
そしてそこには、新しいことに挑戦する怖さも潜んでいることが、ひしひしと伝わってきた。
こちらも大成功に終わり、数回の連続講演が決定し、そしてその先にもまた別の道が開かれつつある。
その時の記事は
ダンテ講演に集中し始めるとともに、自分の詩作もどんどん賞に応募したりするようになる。
そして思いがけず、大きな賞を受賞することが続く。
才能というものはこういう風に開花していくものだ!
というのをここ数年、横で見守っている。
私は凡人であるが、それでもいくつかのささやかな才能を持って生まれてきている。
主人は、それを応援してくれた。
私も最初はただIDRUS で働くだけで自分の作品をこの世に出すという考えなど露ほどもなく、
友人にプレゼントする趣味程度の彫金レベルだと思っていた。
それがほんの少しずつではあるが、
個展を開き、
その次はセレクトショップ、
そして銀座でのイベント
と、自分にとっての挑戦を続けていった。
私が作品を作り、商品化するときのネーミングや、作品紹介のイタリア語文章などを主人は二つ返事で手伝ってくれる。
おそらく切磋琢磨
という言葉がここ数年の私たちのパートナーシップの鍵だったような気がする。
「ああ、どうしよう、怖い!できないかも!」
と言う時に、
「やったことがないことは、最初は怖いのは当たり前。でもきっとその先には別の世界が開けている。」
お互い、同じようなことをぼやいて、
そして励まして進んで来た。
ここまでは、素晴らしい部分にスポットを当てて書いている。
でも、良いところばかりではなく、
人はその反対部分も持ち合わせている。
お互い普通の日常生活では、
あり得ないでしょう!
という行動を取ることも多い。
良いところをあげると、周囲の人々はその光の部分しか見ないが、ちゃぁんと影の部分もある。
その裏側の影の部分を、認めつつも、
影に囚われず、
眼鏡をかけて光の部分を過大評価して生きていく。
お互いをリスペクトすることが何よりも大切なことだと感じる。
たくさんの気づきや学びを与えてくれている主人、
世界が全て敵にまわったとしても、唯一の私の見方となってくれるであろう主人に
この人生で出会えたことに感謝したい。
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。