数年に渡り闘病していた友人の訃報が昼前に入った。
いつも明るく楽しそうに話す人だった。
一緒にチュニジアを旅行しようって言ってたのに。
妹と同じような病気だったことも有り
病気にかかってからも会ったりしていた。
ここのところメールのやりとりも無く気にかかっていたのだが
他の友人から様子を聞いたりして
こちらからあまり連絡しないほうが良いかななんて思っていた。
たわいもない様なメールでもいいから何か連絡を入れれば良かった、と今は思う。
妹が病気の時、そばに居る私も辛かった。
家族がなるべくこれまでと変わらない生活を送ることを妹は望んで。
妹はどれほど苦しいのか
どれほどの痛みを感じているのか
どんなに不安なのか
推測しかできない。
元気になって欲しい。
少しでも食べてくれたら嬉しい。
生きていて欲しい。
居てくれるだけでもいい。
でも、これは私の勝手な望み。
何か理由が有ってその病気になって
もう最後の方は早く楽になりたいと思っていたかもしれない。
友人・家族を悲しませるのは嫌だと思っていただろう。
他界してからも深い悲しみは続いた。
妹はもう楽になった。
家族・友人が悲しみにくれるのを望んではいない。
彼女に生きていて欲しかったという自分の願いが叶わなかった、という事であって。
妹はにこにこしながら私達を見てくれている。
でも、悲しいと感じてしまったのは仕方が無いし、
悲しいものは悲しい。
こんなことを数年間、思い...
今日の連絡で
やっぱり私は悲しかった。
いつかは死が訪れるのだろうけれど。
彼女はこれでやっと楽になれた
のだけれど。
悲しいのは私の願いが叶わなかったからなのだけれど。
☆逝ってしまった友人へ。
お疲れさまでした。
あなたらしい生き方だったと思います。
しばらくは
「あ~、悲しんでるわ」
と暖かく上から見ていてください。
悲しみの波が徐々に小さくなっていくと思うから。
今までありがとう。
楽しかったよ。
私達を見守っていてください。
これからもどうぞよろしく。