キリスト教の世界ではしばしば言われる。“しもべ” になれと。
しもべは「僕」と書きます。僕というのはへりくだった私という意味です。
という文を読んだ時、筆者とは違った解釈が出てきた。
本来の私は、私のしもべであるし、私は本来の私のしもべでありたい。
本来の私は、天と繋がっている。
本来の私のしもべである事は神のしもべである事。
本来の自分に従順でありたい。
でも...
と言わず、
「はい。」
と従おう。
しもべであるというのは、
思考を挟まずに言われた通りにやる事
だそうだ。
同じ本の中で修道院のエピソードが紹介されていた。
修道女たちは修道院長にただ従う。定期的に修道院長が交代する。年下の院長であっても、ただ従う。
入りたての修道女が食事のテーブルセッティングを頼まれた。
一生懸命に考えてやってみた。
「何にも分かっていませんね」と修道院長。
やり直してもダメだった。
「分からなければ訊けば良いのですよ」
そうか。
私も分からなくなったら、
素直に自分や創造主に
気楽に尋ねよう。
この頭で考えても分からない事が多いから。
分かったつもりでも分からない事が多いから。
宇宙にオーダーする前に、
自分からのオーダーを聞いてみよう。
私さん、宜しくお願いします!
私はあなたのしもべです。
mami