『私のための私のまとめ』(その10 | EXEDAWN

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ある統合失調病患者の資料


そして話は跳びますが、






23才の時、私は





頭が思い出すことを完全に拒む



なにか極めて大きな



精神的な打撃を受けて





19才半ばくらいから22才までの間に



都会の独り暮らしで受けた



心の傷口がふたたび



大きくひらき





忘れかけていた




「世界の私への呪い」




それを解き放ってしまった





その後すぐに生家の薬局が



取り壊されることになり



追われるように



家族と転居した私は





転居先の小さな貸店舗の家で



外界との一切の接触を絶って



その後の10年間を



引きこもって



私の存在を知られないように



怯えながら



なんとか生きていました





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【付記】




最後にこれまでの項目に
書き込めなかった
私が記憶している限りの
出来事について
書いておきます。




私は18才で高校を卒業してから
今現在までの時間的感覚を
完全に消失しています。




そのため
これ以降に
書くことは、



インターネット上の
和暦・西暦変換表と
私自身の生年月日を
根拠に判断しています。




「あとに続く項目で
書くことになる事」ですが、




先ほど書いた
インターネット上の
和暦・西暦変換表を
根拠に判断する限り




私は生まれた年が
昭和47年(1972)



そして



私が高校卒業直後の
平成2年(1990)



当時私の年令が
18才のときから



1年後の
平成3年(1991)



私が19才半ば
くらいまでの




わかりやすく
まとめて書くと



平成2年(90)から3年(91)
「18才から19才半ば
くらいまで」の



《人生で1度目の
記憶が消えている
期間》をはさんで、




私の年令が、




平成3年(91)から平成6年(94)
「19才半ばくらいから
22才のころまで」の間に




私は精神的な理由で
地元を離れ都会で
独り暮らしをする間に、



精神に大きな異常を
きたし地元の家族の
元へ連れ戻され、




その後ほぼ1年間の




平成6年(94)から平成7年(95)
「22才から23才の
ころまで」の



《人生で2度目の
記憶が消えている
期間》をはさんで、




私が10年間もの
完全な引きこもり生活を始めた
平成7年(95)の23才のころ



義理の祖父の貸店舗だった
生家々の薬局が取り壊されて



無くなり転居先の貸店舗で
小さな薬店を開くが



来客がほぼ無く収入も
無くなることになる。




この完全引きこもり期間の
始めごろに



説明のために
時間的に少し戻るが



私の年令において、



平成3年(91)から平成6年(94)
「19才半ばくらいから
22才のころまで」の間に、



精神病が最悪化して
約3年半の長期入院を
していた兄が、



翌年平成7年(95)
私が当時23才のころ



退院して家族の元へ戻り
短期間のごたついた
時期のあとに



転居先貸店舗の2階
北側の隅の部屋を
兄の自室にして



購入した1台の
デスクトップ
パソコンを置いて



連日連夜張り付いて
兄はなにかの情報
収集をするようになる。




世間から切り離された
孤独な引きこもり生活を
していた当時の私は



兄が占有して誰にも
触れさせないパソコンが
うらやましくなり



父に半狂乱になって
私がパソコンを
必要としている
ことを訴えて、



なんとか聞き入れられ、



転居先店舗の2階
一番南側の店部分の
真上の位置にある



私の自室に
ふらつくほど
体力を消耗して
据え置くと、



数年間そのパソコンを
精神的な支えにして
引きこもりを続けた。




このころから
生活費の欠乏と



税金や公共料金の
度重なる滞納
が始まる。




さらに、




その後兄の最初の勤務先店舗の
経営資金の負担とそこでの



サギに会い抱えた多額の負債の請求、
それらの負債の支払いのための



複数の銀行での借金や借り換え、
複数のローン会社からの借金、



兄の2度にわたる
キャッシュカード紛失



などの出来事があったために
主に母が方々から悪評が立つほどの
知人からの借金をして



やっと食いつないでいた。




父は私が30代半ばくらいまでの間に
肝炎が悪化して2度ほどの入退院を
くり返して私が30代後半のころ他界。



父の死後も借金の請求は続き
生活していくために



副業として中高学生時代の
親友のところで玩具店を
経営してイベントを何度も行い



一時は人も羨む
成功を修めましたが



玩具店を手伝うスタッフが
元々イベントにやってきた



学生たちだったこともあり
彼らの学業や卒業、
就職などの都合で
スタッフが
居なくなっていきます。




そのころ



ついに心身が限界に達して
異様極まる言動を見せる私を



見かねた両親が説得して
地元の病院の精神科に
連れて行きます。



この時から8年以上もの
長期間の通院と服薬が
始まります。



それが始まったときはたぶん
平成19年(07)
私の年令は35才でした。




その1年ほど後になって




兄の玩具店はスタッフが
居なくなり、



その代わりに、



まともに働けもしない私を
むりやり玩具店に通わせ
業務の全般と関連イベントへの
参加協力を強要して



一度などは
イベントのあとの
重い荷物の片付けを
私だけに押し付け



手伝いを頼みに行った
店舗の店長に通報される
などの事案も起こし



対応力や知識のなさで
悪評が立つとその度に
兄は叱りつけるため



ある日イベントで
重い荷物をまた一人で



用意しているとき
腰をケガして



イベント参加
できなくなり
悪評が立ちましたが




これ以降私は
一切の仕事をやめ
また引きこもるように
なりました。



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