CHANG×PONG -87ページ目

1.5倍盛り(σ・∀・)σ


入社8ヶ月、ボーナスも給料一カ月分あるといいなーっと思ったら



なんと給料の1.5倍増量!!!



どっフゥ~~★



満額はもっと多いのか、楽しみでござるな。




圧倒的に平均水準より低いけど。

年収260万以下世代及び300万ギリの会社員、サラリーマンはね、

ボーナスなくて当たり前。職があるだけありがとう。



地方公務員、国家公務員の人は私のボーナスより三倍は多く貰っているのが正直憎い。



黙って仕事しているだけで、給料&ボーナス恒久的支給当たり前という


甘え腐った状況の彼奴らのような人間&民主党に




この混沌さ、積年の思い、おまいら分かるまい!!!



リーマンショック後、恐ろしいブラック会社から逃げるように辞めた直後の


悲壮と混沌で不安がまどろむ3ヶ月。



まさかの職が決まらず25歳で一人暮らし、ニート。


この三カ月救いはWBCの優勝により希望を抱けたこと。

(全中継、リアルタイムで見るという恐ろしい状況)



本当の終末と終焉をハローワークで遭遇したことをもはや忘れない。



検索機で2時間待ち。


相談員に面接以来に6時間待ち。



夢の国なら三回はビックさんだーマウンテン乗れる。


グアムを往復できる。


新幹線のぞみで名古屋から新横浜まで3回往復できる。




麻生閣下が辞めてから、どんどん酷くなっている永田町。



結局エコポイント、エコカー補助金、高速道路土日祝1000円も


ぜーんぶ自民党じゃないか。麻生閣下のアイデアにすがり、わがもの顔でいる


卑しいミンス・・・気持ち悪いからテレビに映すな、目が腐る。



精神衛生上極めて高濃度の有害が体を蝕み、次第に病気になる。



もう死ぬ、ガチくるちいでつ・・・


たのむ・・・解散してくれ。


じゃなきゃ、国外追放的に島流し・・・いや朝鮮半島に流せばよろし。



そんなに中国や朝鮮が好きなら


行けばよろし。




私がモビルスーツを持ってたら、民主党本部を間違いなくビームサーベルで真っ二つにしてから


トドメに友人のシャアさんに頼んで、ケシ炭にしてもらいます。


さらにララァねえさんにファンネルで焼き払って、宅地にしましょう。


閣下がおっしゃってたクールジャパンの殿堂作りましょう。



本当にね、今も現場は相当やべえよ。



二倍仕事増えても賃金増えずに

減る一方。

税金知らずに盛られる現状。



毒を盛られてるぞ、おい。


彼奴らに・・・


そう、ミンスにあえていおう。

カスであると。

脳内ドーパミン

今日、事務所はみんな外に出て行ってて


人があんまいなかったのと、結構仕事が片付いてきて余裕があったので


絵を描いていた。



まっどまいすたー


ばんばさんだお★もち手には電車袋(JR東海)と左手には荒川電鉄の車両でつ(・∀・)


昔から何か好きなものを見つけると絵をかいちゃうんです。


脳内が興奮して絵を描きたくなってしまうんでつ。


マジドーパミン、パネェ。

まっどまいすたー

そしてくらげ。いや海月。妄想で描いてみた。



絵描いてたら元気が出てきたので


その後、きちんと権利書を作ったでござるよ。

黒歴史からりあ充(´・ω・`)

今日、ボーナス貰った。ボーナスが貰えるのは実に4年ぶりである。


司法書士の経験がまったくないが、毎日定時に帰って、仕事内容も過去の職業より


全然ストレスフリーで入社9ヶ月にも関わらず給与の1.5倍も貰った。


・・・ってことは満額だともうちょっと貰えるってこと?



涙が出る程、


りあ充(´・ω・`)



まともな施しを受けなかった月日が長かった分、


感無量である。



黒歴史を振り返ってみて


今ある幸せを改めてかみしめようとおもふ。




今は司法書士事務所の事務員だが社会人になった20歳の頃からずっと広告業界におり、デザイナーだった。


最初の会社はボーナスも20歳そこそこで40万近く貰ってたし、給料も20万以上もらってて


仕事はルーチンで残業も多かったが今思えば一番いい会社だった。


なーのーにー、色々なデザインをやりたいという好奇心があり勢いで


辞めてしまった。



これぞまさしく「若さゆえの過ち」である。


ここから私の悲劇の転落人生が始まった。




その後、名古屋だけでは有名な広告代理店の


子会社のデザイン事務所に入社。



これがまさかのブラック会社だったお。


今の所、私の人生で一番ドブであり、23~24歳という華の年齢を捨てた黒歴史である。



労働時間が朝の9時30出社で定時が7時。


しかし、いつも朝出社して、地元の最12時の最終バスに乗れれば早く帰れた方。


基本は翌朝の7時位に会社をでて8時位に家について風呂に入って寝ずにまた


会社が毎日だった。


早く終われば深夜の3時位に仕事が終わり、タクシーで帰って2時間程寝れればラッキーだった。


忙しい時期は3日間ずーっと会社で泊りこんで、Macの前で寝てた。



ちなみに人間は眠気がMAXになると、寝ながら作品が出来るという超常現象がある。


私はこれを体験した。




社長が元●通マン。この時点でアウトなんだが、当時は大学も出てない私は


大手広告代理店に憧れてたことがあり


「電通ってマジパネェ」って無垢で純粋だったので思ってたのだが



今思えばゲロと反吐が一緒に出そうな思想です。



この社長も元電通マンのせいか相当アクドイ男だった。


最初に知り合いの広告マンの社長(U社長)と、元電●マン社長(以下D社長)は幼馴染だったらしいが


とある事件が起きた。



なんと、知り合いの会社のクライアントを影で横取りした挙句、


その事実を伏せたまま、そのデザイン素材を別の理由で幼馴染から貰い


そのまま同じデザインを使用してクライアントとやり取りしていたのだ!



もちろんU社長は激怒。だがこのD社長は知ったこっちゃないという顔をして


結局そのデザインを変えることなく、すべて盗んでいった。




今思えば、これが電●直伝のやり方なのだと納得できるのが


当時その話を聞いた時は結構ショックだた。


広告業界に勤めてたら電●、博○堂、AD◎は知らないやつはいないだろうし、やっぱり憧れはあった。



しかしこの会社にいればいる程、電●に対する悪い噂はどんどん入ってくる。



その頃リーマンショックなど不景気の折今まで参入してこなかった小さい仕事分野まで電●がプレゼンに入ってくるようになってきた。



大手企業なので、デザイン云々ではなく「相当に値段が安い」のだ。


もちろんその値段でやれるのは、下請に相当安い金額でやらせているという話もよく聞いてた。




この不景気でそんな起用と値段が安ければ、電●の一人勝ちである。



建前でプレゼンをやるのだが、事前に決まってるケースもある。


いわゆる出来レース(談合)というもの。それも頻繁。(もちろん親会社もやっていたそうだが・・・この会社も頭おかしいのだが)


どこの業界にみある話なのだが、それはまだいい。



何が一番気持ち悪いかというとパチンコCMに電●という話を耳をした時だった。



その頃名古屋ではパチンコのCMがやりだすようになり


パチンコ会社のCM全ての制作は全て電●というのもの。



在日電●はしっかり名古屋で4年前から動いてたというわけだ。



しっかり在日の血は名古屋に染み込んでたようだ。本当キモい。




そんな血をしっかり受け継いでいるD社長の下で働いてては


給料は安く、労働時間は長く、土日出勤当たり前で休みがない。



鬱一歩手前、ストレス超過で体がボロボロになり限界まで来てた私が


どうしても辞めたくなった理由が二つ。



一つ目はパチンコのパンフレット、広告物を作るようになったから。


パチンコの仕事をやるようになってから、一気に重労働&ストレス超過。家に帰れない上給料も変わらない状況におちいってしまった。

頭がおかしくなりそうな上、周りの先輩は〆切が迫り、さらにデザイン量も多い状況に私に八つ当たりしてきたり、陰で私や同期の子の悪口を聞いたりしてたのでだんだん気持ち悪くなってしまった。


辞める日が決まってから、イジメも受けたしね。カイ●という漫画のパチンコ台のパンフの仕事の雑用をわざと夜遅くまでさせるということを男3人でよってたかってしてきたという恐ろしい事件もあった。


家に帰ってる途中に電話がかかってきて「何勝手にかえってんの?今から戻ってきて」と携帯にかかってきて、もう家に着いていて10時くらいなんすけど・・・・みたいなね。私には仕事があるってこと一言も言ってなかったし、報告もなかったのだが・・・・。


完全ないやがらせである。私が辞めることで、仕事量が増えることに対する八つ当たりなのだ。



ガチで「おまえらカス共は、地球のために死んでくれ」と本当に思った。



二つ目は韓国人の上司と一緒の空気を吸いたくなかったから。


本当気持ち悪い韓国人の女上司がいて、大声で人の悪口や下品な話を会社中に聞こえるこえ平気で話し同期だった子と私はよく意味もなく怒られたりして、男には怒らないという理不尽な韓国人がいた。



いきなりキレたり、思い通りにならないとやはりキレたりする人で私は「根本的に合わないし、空気を一緒に吸いたくない」と常々感じていて、


本当にこんなに人を嫌いになったことない位、


そいつとも関わるのも顔も見るのも正直うんざりし気持ち悪かったので


逃げるように辞めた。




よく1年もこんな会社で耐えたな。



だからこそ今本当に


りあ充(´・ω・`)



だからこそ私は今どんなことあっても


乗り越えられる。