今日も思いついたことを心のままに書いていきたいと思います。
新月とともに今、生理中です。しかもかなりの出血
ライブにかぶらなくてよかった(笑)
身体がしんどいとやる気も起こらないし行動が緩慢になりますよね。
以前は、それを
これくらいでしんどいなんて怠け者な私、とかあかん奴やなとか思ってました
体調不良もツイてないとか弱いとかねーーーー好き放題言ってたし思ってた。
まぁそれはいまだにそうなんですけどね(苦笑)
でも身体からのサインって別に自分を苦しめるためだけにあるんじゃなくて、むしろ
最善のことをしてくれていることが多いんですよね。
それを初めて自覚したのが久米島合宿でした。
潜在意識カウンセリングを受講している時の私って本当に今から思い返してもボロボロ
だったんですよ。これまでの悪い意味での集大成か?と思うくらい、自分の内面においての嫌なことがたくさん浮上してきていました。相当にしんどかったです。
でもこれってね、自己解放だったんですよね。その最たる時に高熱を出した日がありました。
帰ってから喉が痛くてしんどくて・・・・。そして朝、慶太さんに熱のこと伝えたんですよね。
そしたら
『おめでとう!解放起こるとそうなるよ。』
的なことを言われたんですね←ちゃんと覚えてないけどこんな感じ
この時は、人が熱だしてしんどいのに、おめでとうってなんなんやろ?って思ったのははっきり覚えてる(笑)これは好転反応ともいうのかな?なんて思いなおしてた(笑)
そう。ずっと医療業界にいて麻痺してたなぁって今となれば思います。これが腑に落ちるまで結構かかりました(苦笑)
でね、身体に関しては理解は深まっていったんですよ。もちろん心もなんだけど・・・。
最近ふと思ったわけですよ。
長らくしんどい思いをしてきたから、もう痛い思いはしたくないと。
でね、痛みについて考えて思って感じてみたのです。
身体の痛みって嫌だけど、必ず痛いのには理由があるんですよね。そしてその痛みをよく考えもせずに痛み止め飲んだりして騙し騙しやってきたわけです。仕事しなきゃだしいろいろやることがあってやむを得なかったかもしれない。でも慢性化していくしいろんな症状が出てきてどこがどう痛いのか?悪いのか?わからなくなる・・・。
まぁこれは極端な例だけど、包丁で切って痛くなかったらこれはこれで困ったことになるよね?
深ければ深いほど痛いし血はどんどん流れるし・・・。痛みがないとそのまま放置して貧血になるかもしれないし、傷があるのにいろんなもの触ったりしたら膿んでくるかもしれないし持病があるなら本当にそれだけで命取りになることだってある。
生命を維持するために必要なことも含んでいるのです。
じゃあ心は??
傷付いた、痛い思いをしたくない!
だけど傷付いてる、痛いと感じるってすごく生きる上で大切な感覚ではないかなとふと思ったのです。それは心を守るために、自分としていきるために必要で、これもなくなってしまうと自分が自分でなくなるようなそんな危機感があるなぁって。
私は、時として逃げてもいいし、避けてもいいし、よけてもいいし、恨みつらみも全部、よっぽど自分や人に危害を加えるまでいかない限りはいいんじゃないかって思えるようになりました。
弱くてもみっともなくてもずるくても腹黒くてもゲスくてもカッコ悪くてもなんでもいい。
泣いても苦しんでものたうち回ってもいい。
羨んだり嫉妬したりさげすんだり、落ち込んだりわめいてもいい。
いいんですよ!!!
自分を守ろうとしたが故の麻痺や過剰や過少、鎧も思考も癖もなにもかも!!
その時の自分を自分なりに守るためにやったことです!!
でもね、
もうそれも窮屈になったなら
それを持ち続けてる事でしんどいなら
苦しいなら
変わりたいなら
しんどいなら
腹立つなら
ムカつくなら
それを外すのも自分。
そのことに気付くのにもやっぱりある程度の痛みは必要なのかなぁと。
もっというと心の痛みが出てきたということは順調にプロセスが進んでいる証なのかもしれないよね。
人はどんな状況でも変化し続けるし進み続ける・・・・。
最終的に自分にとっての幸せに向かっているとするならば・・・。
その痛みすら何かの幸せになるための気付きになる。
どうか必要な方に届きますように。