[ 第7回 ] 昭和最後の大物ロックバンド ~その1 | venus-app 読みたカッタ

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[ 第7回 ] 昭和最後の大物ロックバンド ~ その1

ONLY YOU泣かないで

 昭和という素晴らしい時代に幕が下ろされて何年経つんでしょう。

いやいや、泣くにはまだまだ早い!まだ終わってませんよ。そう、ボクらの心の中で昭和は生き続けています。

さぁ、キミの心の片隅にある「なつかしスピリッツ」を呼び覚ませ!

そして叫べ!「あの日に帰りたい」と…。

昭和末期を駆け抜けた伝説のビートロック

 81年から87年の僅か6年間と活動期間はとても短いが、BOØWYが我々は勿論、現代の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。

 そんな彼ら初の大ホールでのワンマンライブは87年の解散宣言から2年半前の85年6月、同じ場所の渋谷公会堂。

それ以前はというと、新宿ロフトを中心とするライブハウスを拠点に、しかもメンバー自らがツアーをブッキングし手作りのポスターを街頭に貼る、といったインディーズさながらの活動をしていたというのだから驚きだ。

その地道なやり方で何百回もの“ギグ”をこなし、それで得た物の集大成がベルリン録音の3rdアルバム『BOØWY』であり、先のホールでの初ワンマンライブなのである。

当時の雑誌のインタビューで氷室は

「自分たちで着実に歩んできたやり方は間違ってなかった。その具体的な形が今日だと思うのね」

とホールライブの喜びを語っている。

 4thアルバム『JUST A HERO』では、氷室の独特の言葉センスが炸裂し、その後のヴィジュアル系のお手本と言っても過言で無い、他に類をみないBOØWYワールドを展開。

また、このアルバムによりBOØWYの名はより広く知られることとなった。

勢いに乗った彼らは続く5thアルバム『BEAT EMOTION』を発表。

売れるアルバムを作るとの宣言通りに売り上げチャートで1位を獲得。

リーゼントの不良たちがポリシーを捨てダイエースプレーで髪を逆立たせたギターキッズに豹変しだしたのもこの頃だった。

6thシングル『MARIONETTE』でシングルチャートでも1位を獲得し名実ともに日本一のロックバンドとなった彼ら。

 そして1987年12月24日 氷室のあるジャンルに対して偏見丸出しの名台詞「フォークのバンドじゃねーんだから、ジメッとすんのは似合わねーと思うから!最後に、ビシッと贈るぜ!Dreamin'!!」で活動に終止符を打った。

人気絶頂での解散だったからこそカッコイイ、そして正解なのである。

今思えばだけど。

 

 

 

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