銃後群れよる桶狭間 | 高峰明日香の明日はどっちだ!

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SFホームドラマ。永遠の時を生きる「ジルコニア」の少年少女たちの日常と夢と性と悩みがドールによる劇場で石神井公園・池袋・新宿を舞台に繰り広げられます。闇深いです。記事は予約投稿です。

あすか「今、『桶狭間の戦い』やってるんだ。1560年に起こったから銃後(15)む(6)れ(0)よる桶狭間、って年号覚えるんだよ。今川義元と織田信長の合戦なんだ。今でいう静岡に当たる駿河国の今川勢と、愛知県に当たる尾張国の織田勢。政略結婚で北条氏と武田氏と同盟を結んだ義元は、尾張を2万5千の兵で攻めてきた。当時、今川の支配下にあった三河の小大名の嫡男・竹千代は義元の人質となり、義元に従って先鋒に任じられていたんだ」

 

久美子「竹千代って徳川家康の子供の頃の名前よね。今川義元って公家かぶれの軟弱な大名で、白塗りに眉をマロみたいに描いて、お歯黒で武将として二流だったんでしょ?」

あすか「んー、そうでもないよ。お化粧の話はマユツバだったらしい。もっとも、合戦の時に薄化粧するのは侍のたしなみだったらしいけど。敗れた武将には世の中厳しいから、そう書かれたんだろうね」

 

あすか(右)「竹千代は義元の『元』の一字を取って『松平元康』って名乗っていた。人質でありながら今川勢では期待のホープだったんだ。今川が織田に兵糧攻めに遭っていた時、元康が囲みを破って兵糧を今川に届けた。織田の砦を2つも攻め落とし、城の守備に就いたんだ。桶狭間の今川はそれで勝利を確信していた。兵をあちこちに分けていたところを、わずかの兵の織田に急襲された」

久美子「大軍だった義元は、油断していたのね」

 

あすか(左)「うん。義元は昼食を取っていたところだった。この時、義元のそばにいた兵は300ほどだった。今川軍は総崩れとなり、あっという間に50ほどの兵に減ってしまった。義元を討ったのは毛利新介という武将なんだけど、この人、毛利一族ではないらしい。出自がハッキリしない。義元を討ったあとは毛利良勝と名を改めて織田信長の息子である信忠にも仕え、その後大した武功もなく本能寺の変で討ち死にしたよ」

久美子(左)「義元も地味な人に討ち取られたわね」

 

あすか「うん。義元が討ち死にしたことを聞いた元康は、最初誤報ではないかと思って城から動かなかったんだけど、織田から伯父が使者をよこしてきたので城から撤退したんだ。その後、元の城に帰り、織田と手を結んで人質じゃなくなった」

 

あすか「今川氏は、息子の氏真が継いだけど、人心掌握には長けていなくて、義元が亡くなってから9年後に大名家としては滅んでしまった。武田信玄と徳川家康に追われたんだ。その後今川氏真は徳川に仕え、旗本として生き延びた」

久美子「冴えないわねー」

 

あすか(右)「義元は武将としては特に弱いとか、そういうことはなかったんだよ。野望を次々実現していったし、川中島の戦いを和睦させたのも彼だ。ただ、みんな大好き織田信長に討ち取られたからね。それまで負けたことはなかったんだよ」

久美子(左)「ま、どうでもいいわ」

 

あすか「もともと義元は兄が二人もいたから、4歳から出家して僧になっていたんだ。だけど、その兄が相次いで亡くなったから還俗して今川家を継ぐことになったんだ。もしも兄二人が元気でいたら、かれはもっと長生きできたろうね」

 

久美子「で、このお菓子は桶狭間の戦いと何か関係があるの?」

あすか「ないよ。鎌倉だもの。ただのクルミをキャラメルで包んだお菓子だよ。食べちゃったら?」

 

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今川義元は家督を継ぐのに苦労したようです。家督を継いだあとも様々な戦いに勝ち、後の徳川家康の幼少期も支配していました。名をはせた戦国大名でしたが、織田信長の勢いが強すぎましたね。信長がいなければ滅びなかった大名はいっぱいいたでしょう。

多くの大河ドラマでは今川義元は悪役としての役割しか果たしてきませんでした。「どうする家康」では人格者として描かれていますが、それまでは武芸より文化好きで、ものすごい悪党でもないので、弱いと言われて人気が今ひとつでした。なまじ知名度だけがあるとつまらない役どころになりますね。