またまたご無沙汰しております。
今回はお話書くでもご報告でもなく、純粋に歴史ネタなので、興味ない方スルーして下さいね。
史実絡めて書くぞ!と意気込んだものの、1話だけUPして停滞wwww
えっと、これ義朝さんの都落ち経路…。
バイトピークでPC開く時間ないにも関わらず、史実の勉強楽しくなっちゃって(笑)
で、せっかく勉強したのでごくごく簡単にまとめてみようかと。
でも、今回はあくまでお話を書くために調べたのでそこまで正確性にこだわっていません。
これがレポート書くためとかだったら、裏とり必死にやるんですがさすがにそこまでできなくて![]()
それから人物も少数にするため、主要人物名しか出していないのであしからず…。
まずは相関図をご覧下さい。
基本的に保元の乱・平治の乱はこの5勢力がくっついたり離れたりして起きています。
1156年 保元の乱
後白河天皇が崇徳上皇に勝ち、保元の新制を始める。
←この制度を始めるにあたって、大きな発言力を持ったのが信西。信西は平氏(清盛)を厚遇。
1158年 二条天皇即位
一応後白河についていた信西と、二条天皇推しの美福門院が協議の上決定した。
元々後白河天皇は二条即位までのつなぎだった&信西と美福門院のつながりも深かったことから拒否は不可能だった。

美福門院の後押しを受けた二条親政派が後白河を抑制。
なおかつ信西も美福門院との関係がある点からあてにならない。
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孤立した後白河院は藤原信頼を抜擢。
←信頼は出身地等の関係から義朝と連携。
この段階で信西一門、二条親政派、後白河院政派、平氏一門ができていた。
尚、二条親政派と後白河院政派は反信西という点では一致。平氏は中立的立場を保つ。
1159年12月9日 後白河院政派の信頼・義朝が三条殿を襲撃。←二条親政派の同意ありと思われる。
後白河院とその姉・上西門院を一本御書所へ移す。
12月10日 信西の子ら逮捕。→22日には全員配流
12月14日 信西の死が発覚。
二条天皇、後白河院を確保した後白河院政派の信頼が政権をとる。
←信西なき今、二条親政派にとっては後白河院政派は邪魔。奪還の機会をうかがっている。
12月17日 清盛帰京。
信西派の三条公教が清盛を説得&二条親政派の経宗、惟方に接触し、二条天皇の六波羅上皇計画が立つ。
←天皇が確保できれば、一気に信頼・義朝側を賊軍とすることができるから。
尚、六波羅は清盛邸のある場所のこと。
12月25日 二条天皇が六波羅に行幸。後白河院も仁和寺へ行幸。
平氏に信頼と義朝の追討宣旨が下る。→平氏側が官軍へ。
12月26日 六波羅合戦
敗戦した信頼、義朝はそれぞれ逃亡。
1160年1月4日 義朝とその乳母子・政清死亡
とまあこんな感じの流れになるらしいです。
ちなみに、内裏付近の図はこんな感じ。
興味があって勉強すれば歴史でも楽しめるんだなあと思いました♪
記事にしたら満足したので、お話の続き書こうと思いますwwww
あ、でも明日からまたしばらくお休みないので&話の構成に結構?かなり?迷ってるので亀更新になるかも……。
もし待ってくださっている方がいらっしゃったらごめんなさい<m(__)m>
≪参考≫
http://www.craftmap.box-i.net/
http://23.pro.tok2.com/~freehand2/frame-430.html
http://blog.goo.ne.jp/mitsue172/e/4cb4a79cd0afa75f6fcfe11be88b628c
http://kira03.fc2web.com/zuisou/zuisou-top.html#reference
http://naokun.cocolog-nifty.com/nekozura/2012/07/post-735a.html

