変なタイトルですみません。
細かく堕胎について触れる内容ではありません。
まして、私がするなんてことはありえません。
堕胎、人工妊娠中絶(中絶)、人工流産…
いろいろな言い方がありますが、いわゆる"堕ろす"ってやつです。
妊娠22週を目の前に、これを思い出しました。
記憶違いじゃないことを確かめるため、調べましたよ。
現代の日本では母体保護法第2条第2項により、人工妊娠中絶を行う時期の基準は、
「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」
と定められており、現在(平成2年~)は妊娠22週未満となっています。
平成2年って…
妹が生まれた年だ。
関係ないけど。
22週未満、つまり私の今日まで
「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」
であったと。
実際は今日と明日で何が変わるんだ??って感じがします。
胎児の成長は著しいですけどね、生きれるか生きれないかってほどの違いが1日で起きるとは思えませんね。
今日でも生きるかもしれないし、明日でも死ぬかもしれない。
何にでも基準値が必要だから当たり前っちゃ当たり前ですね。
堕胎は刑法上堕胎罪として裁かれるんだけど、後法上位・特別法優先の原則で母体保護法の規定に則っていれば罰せられない。
・指定医師が行うこと
・22週未満
・母体の保護
医師以外が行うのは論外として、母体保護(母体の生死がかかってる)も仕方がないとして、妊娠22週未満なら許されるという事実。
22週未満はまだ人として認められていないという考え方なのかなぁって。
明日から22週、法律でも私の胎児は"人"として認めてもらえるってことだろうか。
実際のところ、堕胎にも初期(~11週)・中期(12週~21週)・後期(22週~)とあって、中期以降は死産届や火葬・埋葬などが必要になり人として扱われる。
殺される時は人未満なのに、殺されたら人って不思議だ。
後期は母体保護のために行われる状況で、特殊(たいてい子供も助かる)。
別にすべての堕胎を否定するわけでもない。
身勝手な理由での堕胎については、堕胎を避けるすべがあったのならそうすればよかったのに、と嫌悪感はあるが。
もう一度きちんと考えろとか、子供がかわいそうだとか、言いたいことたんまりあるけど…
身勝手な理由であってもすべてを否定するには私の頭が足りなさすぎるのでここでは議論を避ける。
お腹の中の子供は育っているだけだけど、外界の大人たちはお腹の中の子供をいろいろ判断している。
妊娠初期の初期には胎児ではなく胎芽と呼んだり、中期中絶を境に医療廃棄物から火葬・埋葬になったり…
どこから"人"か、は議論を呼びそうだけど、難しいね。
望む妊娠をしている、しようとしているベビ待ちさんたちは、外界で何が決められていようと着床したらきっと"人"と認めている。
着床しなければ受精したかどうかもわからないけど、受精がわかったら受精から"人"って思う人も多いだろうし。
早ければ排卵…いやいや、もうその前の卵子の成長を見ながら子供の様に思ってる。
化学流産は流産としてカウントされないけど、悲しいし、「ごめんね」と言う。
人間の形になる前から、むしろただの細胞の塊からでも、人として認めることができる。
これを法律としてすべての人に認識してもらい人工妊娠中絶はいけないとすることを望むわけではないけれど…
どこから"人"なのかは考えてみる価値がありそうだ。
私がどう考えているかはお分かりになると思うけど、周りにお腹の子が認められていくのも感慨深い。
堕胎なんて考えていないけど、法律で人として認めてもらえる時期になったこと、産まれても生きれるということ、こういうことを感じるのも悪くないかなと。
感じるためのものが"堕胎"だったので、明るい内容にはなりませんでしたが(^^;)
他人に認められるというのはいいことだろうなと思いました。
ちなみに、明日から(正しくはエコー判定での22週以降)は生きられるとのことですが、妊娠34週未満で産まれると予後が不良であることが多いそうです。
いわゆる早産ですね。
死産になったり、新生児死亡になったり、障害が残ったり…
明日から生きられる!!と法律は言っているけど、34週まではおとなしく(腹の中で暴れまくってるが)お腹の中に納まっててもらいたいと思います。