小林昭さんにお会いしたのはいつの事だろうか?
知人が「どうしても合わせたい人が居る!」と、引き合わせてくれたのが小林さんだった。
ミッドセンチュリーからレイトセンチュリーへの過渡期のカリフォルニアに精通している者ならば、殆どの者が小林さんの事は「知っている?」のではなかろうか?
そんな、小林さんの凄さを感じたのは一冊の写真集を見た時だった。
決して、都合の良い様に編集されたモノではなく、本当の意味でのリアルさだ。
俺達が1960年代のアメリカの文化を知るのは、大凡、誌面から・・・
もしくは都合よく書き換えられたかの様な武勇伝からだ。
しかし、小林さんは日本人の写真家としては非常に稀にも、当時のアメリカ、所謂、「そこに居た」人だ。
兼ねてから俺は「1960年代が好きでもレイト’60sは余り好きではない」と云い続けて来たが、こうして小林さんの写真集を見ると、この時代が「アメリカの青春」と云われた'50年代前後の時代から脱皮して「大人になる過渡期」だと云う事が伝わった。
「大人になる過渡期」
なるほど・・・
だから、俺はこの時代が余り好きではないんだな。
そんな、時代を映し出している写真集のページを捲りながら綴ってみる事にしよう。
サーフマガジンで見慣れた光景だが、走っている車には時代を感じさせてくれるマッスルカーの気配がチラホラと、このページからも感じ取る事が出来る。
映画「イージーライダー」は、ここに登場する若者達の代弁である事がこのページから読み取る事が出来る。
レイト'60sを象徴するかの様な厳ついマスクは明らかにアーリー'60sの車とは異なる。
新天地への移住だろうか?
ピックアップに詰め込んだ家財、そして、ドライバーの容姿が当時のアメリカを物語っている様にすら感じる。
されど、海の美しさは古き良き時代と変わらずで、悔しいほどのブレイクが押し寄せている。
そんな、波を満喫するサーファー達。
ショートボードレボリューション・・・
この時代のカリフォルニアのビーチでは既にロングボードは過去の産物と化してしまっている事が手に取る様に伝わって来る。
グラニスやセバーソンの写真集ではランスカーソンのシグネチャーが立ち並ぶあの光景も、ここでは一切登場しない。