サーフボードに縁を感じた事は、これまでにも多々あった。
一期一会的な運命を感じ、小遣いを捻出して購入したボード達は今でも鮮明に覚えている。
その一方で、入手出来なかったが、「コイツは絶対いつの日か俺の手元に来る!」と、念じて入手したボードも多々ある。
今日紹介するボードは、その中でも最も縁を感じたボードなのも知れない。
始めてそのボードを目にしたのは、今から8年前の2010年の夏に発売されたBlueの表紙を見た時だった。

ダノーこと、ダン・フォルテと共に写るそのボードは、俺に強烈なインパクトを与えてくれた。
「こんな格好良いボードがあるんだ?」と、パンチの効き過ぎるボードに見惚れながら、当時、錦糸町、豊洲、篠崎の3店で店長を務めたF氏に尋ねると「ダノーが来日時に持ち込んだボード」と教えてくれた。
ハーレー業界で良く使われる「ワンオフ」的なボードだったこれは、入手しようにもする事が叶わなかったのだ。
しかも、この時代のダノーは今以上にボードが上がって来なかった事もあり、略諦めかけていた。
しかし、そんなある日、シーコングのサイトに「そのボード」が売り出されている事を知った。
しかも、販売店は通い慣れた篠崎店。
早速、F店長にホールドを願い出るも、一足先にホールドされ、そして、売却済みとなってしまった。
悔やんでも悔み切れない・・・
そんな想いが募り、売り切れと解っていても事態を把握したかった為、仕事終え、一目散に篠崎へ・・・
改めてボードの詳細を聞けば聞く程、ボードが欲しくなる・・・
その位、魅力的なボードだった。
しかし、そのボードは事もあろう事に、直ぐ様ヤフオクに出品されていた。
価格はシーコングで販売されたいた価格に3万円ほど上乗せさせてあった。
どうやら、購入したは「転売屋」だったのだ。
恋い焦がれていたボードではあったが、転売目的の購入だった事を知った途端、気持ちが良い位に熱意が冷めて行った。
あれほどの「熱意」は何処に行ってしまったのだろうか?
購入した人が俺の様な気持ちで「買った」のではない事がショックだったのか?
いずれにせよ、恋い焦がれていたボードへの熱意は消え失せて行った。
しかし、三度縁を感じる出来事があった・・・
東京・葛飾区の青砥駅前に、そのサーフショップはあった。
ドナルド・タカヤマとも親交があった生粋のリペア職人が切り盛りする「アロハガレージ」に、かつて恋い焦がれていた、そのボードはあった。
思わず、ボードの詳細を聞くと「俺の知り合いが買ってリペアで預かったんだよ」、「なんだか、異様に重いねぇ」と、店主は笑みを浮かべながら説明してくれた。
しかし、購入したばかりのボードを、ましてや乗る為の修理を施したボードを売りに出す事もないだろうと思い、その場で諦めるに至った。
ただ、今回は前回とは異なり、諦めるというよりは新たな想いが俺の中で宿い始めていた。
時間が掛かっても創ろう!
そんな事を思い、青砥を後にした俺は、そのまま篠崎へとハンドルを取った。
そして、そこでオーダーしたのが、以前紹介したマリブチップなのだ。

形状はマリブチップだが、デコレーション全てあのボードと同じにして欲しい!
勿論、フィンにはラットフィンクも忘れずに!
しかし、ご覧の様に、その想いは叶わなかった。
何故?どうして、ソリッドで来るの?
フィンにはラットフィンクも居ない。
シーコングのオーダーミスというよりは、ダノー自体に問題があったのはあからさまに理解出来た。

ボードのキャンセルも考えたが、ストリンガーに俺へのメッセジーが入ってしまっている事や、マリブッチプの様なボードがキャンセルになるのはシーコングも困るだろうと思い、引き受ける事にしたが、これを機にダノーのサーフボードへの想いも一気に冷めて行ってしまったのは云うまでも無いであろう。
四度、そのボードを見たのは藤沢のニューシーズのWEBサイトであった。
きっと、前オーナーが「手放したのだろう」と察しが付いたが、今更感もあり、ニューシーズへのホールドは行わなかった。
これで完全に終わったな。
この瞬間、数年に渡って恋い焦がれていたボードへの想いが完全までに消えて行くのが解った。
まぁ、ダノーのボードもホッグ、チップ、アレックスと、3本も持っているので不思議な事にそれを境に頭の隅に出て来なくなってしまった。
しかし、2度ある事は3度ある。
3度ある事は4度ある。
そして、5度目・・・
この続きは次回に綴らせて頂きます。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
KEEP SURFING‼