最近、新設大学が増えてこともあってか、
本来、先生と呼ばれるような人じゃない人も大学の先生になっている(教授とはいかなくても、
准教授とか講師とかで)ケースが多いような気がする。
異分野から招くのは、教育のオープン化・多様化という意味ではいいことだろうが、
それも、それなりの資質あってのことではないだろうか。
あるいは、もうとっくに引退いただくべき方に無理やり教鞭をとらせていたりすることもある。
わたしがとくに不思議に思うのは、とくに高齢の方に多いのだが、
パソコンが使えない、と平気でのたまう先生が多いことだ。
いまやどんな企業でもパソコンなしには仕事にならないし、
大学だって休講のお知らせとか、内部での報告・連絡にパソコンは欠かせないはずだ。
「原稿はやっぱり手書きじゃないと、いいものは書けない」というのは、
ハッキリいって完全に詭弁で、要は覚える気がないんだと思う。
何もCGを駆使してアニメを作れといっているのではないのだから、
文書の作成やネットやメールを使えるようになるくらいは、
自転車と同じでその気になって取り組めばたいていの人はすぐに普通に使えるようになるはずである。
そのレベルはもはやITだとかいうものではなく、電話をかけられるか、FAXでモノを送れるか、
地上デジタルのテレビを観られるか、といったものと同じ程度ではないか。
それを放棄してしまうというのは、「アチキは電話のかけたかしらないので、伝書鳩で送ります」
と言っているに等しいほど、時代遅れだ。
学者とか研究者とか、少なくともその分野では時代の最先端を目指さなければいけない人が、
そんなことでいいのだろうか、と思わずにはいられない。
翻って、先の福島第一原発の事故。
事故直後、多くの御用学者がテレビに出てさんざんぱらいい加減なことを言っていた。
「三基ともメルトダウンした、あるいはする可能性があります」
と警告する学者先生は皆無に近かったのではないか。
「だって、東電がデータちゃんと出してくんないだもん」というのは、
エクスキューズには決してならない。
普段、先生先生と下へも置かない扱いを受けている研究者ならば、
「最悪、こういう危険性があるから、こういう備えをしておくべき」
と広く国民に知らしめるのが、使命なのではないか。
いま広がる甚大な被害の中には、事故直後から適切に対応していれば防げたものも、
少なからずあったのではないだろうか。
御用学者の中で少しでも良心の呵責を感じている人がいるなら、
せめてこれまでの妄信的な原発推進の片棒を担ぐようなマネはやめるべきだ。
誰か、事故直後のテレビで誰が何を言って、それが実際はどんなだったかを、
検証してみてください。
一覧表でも作って、エクセルで。