モヤモヤしたものを己の内に抱え始めてから今に至るまでの時間が、実際よりも長かったように感じている。モヤモヤの発端はJ・コール(J. Cole)が突如リリースしたシングル「Snow On Tha Bluff」だ。そして、同曲に対するノーネーム(Noname)の痛快なアンサー曲「Song 33」を聴き、そのモヤモヤは解消されるどころか増大してしまった感が否めない。

 

 

J. Cole - Snow On Tha Bluff

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彼が下掲のノーネームのツイートを参照していることは明らかだ。それでも同ツイートを「事の発端」としないのは、彼女が明確にはこのツイートを明確にはコールに宛てていないからだ。もっと言うと、これは推測にすぎないのだけれども、このツイートをタイプする彼女の頭にJ・コールのことは無かったのではないかとも思う。

 

 

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《和訳》全国で貧しい黒人の人々が、我々の安全のために身体を張ってプロテストに参加しているなかで、みんなが大好きな一番売れているラッパーたちはツイートの一つもしようとしない。彼らのディスコグラフィーは黒人として経験してきた苦難についてなのに、彼らはどこを探しても見当たらない。

 

 

私はソーシャル・メディア上での言動のみをもって人物が判断されるべきではないと強く信じる一人なので、ノーネームの当該ツイートには賛同しかねる部分もある。彼女がラディカルな思想の持ち主であることを指摘する声もあるし、それ自体はおそらくそのとおりなのだと思う。ただ、ジョージ・フロイド氏の一件をきっかけに米国全土で #BlackLivesMatter の運動が広がっている今、これが特段過激な意見だとも思えない。もっとも、コールはソーシャル・メディア上でこそ多くを語らないが、プロテストに参加する様子がカメラに収められていた一人である。時系列は別にして、少なくともノーネームが言うところの「みんなが大好きな一番売れているラッパー」に該当しないことは明らかだ。

 

しかし、これを「自分のことを言っているかのように思った(lowkey I be thinkin' she talikin' 'bout me)」コールは、前述の「Snow On Tha Bluff」をリリースし、ノーネームのツイートを見て去来した思いを、名指しこそしないものの以下のように綴った。

 

It's something about the queen tone that's botherin' me
She strike me as somebody blessed enough to grow up in conscious environment
With parents that know 'bout the struggle for liberation

彼女の女王のような口ぶりが俺を悩ませる

彼女は俺が解放への戦いについて知っている両親に恵まれ

コンシャスな環境で育った人かのように攻撃してくる

 

Just 'cause you woke and I'm not, that shit ain't no reason to talk like you better than me
How you gon' lead, when you attackin' the very same niggas that really do need the shit that you sayin'?

あなたが意識が高くて自分がそうじゃないからって、自分のほうがよりよい人間であるかのように話す理由にはならないだろ

自分が言ってることを本当に必要としている、まさにその人たちを攻撃しながら、どうやって導くんだよ

 

現在起こっている問題への、コールなりの向き合い方はこうだ。

 

I look at freedom like trees, can't grow a forest like overnight
Hit the ghetto and slowly start plantin' your seeds

俺は自由を木のようなものだと思ってる 一夜にして森が育つことなんてない

ゲトーに赴き、ゆっくり種を植え始めるんだ

 

If I could make one more suggestion respectfully
I would say it's more effective to treat people like children
Understandin' the time and love and patience that's needed to grow
This change is inevitable, but ain't none of us seen this before
Therefore, we just gotta learn everything as we go

リスペクトを持ってもう一つ提案するならば

人々と子供のように接する方が効果的だと思う

成長するのに必要な時間と愛と忍耐というものを理解して

この変化は必須だ でも誰も目の当たりにしたことがないものだ

だから、俺らは進みながら学んでいくしかないんだよ

 

ただ、そうした胸中を吐露するうちに自らの力不足を恥じたのか、最後はこんなことを言ってヴァースを締めくくっている。

 

I done betrayed the very same people that look at me like I'm some kind of a hero
Because of the zeros that's next to the commas

俺は自分がヒーローかのように、自分と同じような見た目の、まさにその人々を裏切ってしまった

カンマの隣にあるゼロ(銀行口座の残高)のせいで

 

Why I feel faker than Snow on tha Bluff?
Well, maybe 'cause deep down I know I ain't doin' enough

なぜ俺は『Snow on tha Bluff』よりもフェイクに感じるんだ?

あぁ、きっと心の奥底では自分が十分にやれてないのを知ってるからさ

 

あくまでJ・コールはノーネームの言動を見て自らが不十分であることを恥じているのであり、彼女に関するくだりはそう感じたきっかけにすぎないというのが好意的な解釈であり、また、その後に彼が連投したツイートを踏まえると、正解なのだとも思う。しかし、当該ヴァースのかなりの部分をノーネームへの反論に割いていることを踏まえるならば、それをノーネーム批判と受け取るのが意地の悪いキリトリだとはいえないだろう。さらに、その対象たるノーネームが女性ということも相まって、マンスプレイニング(mansplaining: 男性が女性に対し上から目線で説明すること)やトーンポリシング(tone-policing: 相手の主張そのものでなく口調を批判すること)の謗りも受けている。"queen tone"という迂闊な語のチョイスを踏まえても、それは正当な批判というよりほかにない。

 

 

ただ、コールが抱える真の問題は、実は別のところにあるのではないか、というのが私の見解だ。そしてそれは、「Snow On Tha Bluff」を受けてノーネームがリリースした、わずか70秒のあまりにも無駄がなく見事な楽曲の中で指摘されているように感じる。

 

 

Noname - Song 33

Image via @noname on Twitter

 

 

 

It's time to go to work, wow, look at him go
He really 'bout to write about me when the world is in smokes?
When it's people in trees?
When George was beggin' for his mother, saying he couldn't breathe
You thought to write about me?

さぁ、取りかかる時間だよ あらら、彼は何をしてるの?

世界が煙で充満している時に、本当に私について書こうっていうの?

人が木に吊るされてるっていうのに?

ジョージがお母さんに息ができないって訴えてたっていうのに?

私について書こうと思ったの?

 

It's trans women bein' murdered and this is all he can offer?

トランス女性が殺害されてるのに、彼が言うことはそれだけ?

 

 

そう、J・コールって、実は昔からそういう人なのだ。無駄に真面目で、正直で、内省的。ほぼ全編が亡き友人=ジェイムズの視点から綴られた『4 Your Eyez Only』(2016年)収録の「Change」では、瞑想により自分と向き合っていること、真の変化は己の内側からしかもたらされないということが語られていたが、これはコール自身の言葉と考えても差し支えないだろう。

https://ameblo.jp/vegashokuda/entry-12231310791.html

 

そして、何か思うところがあれば、余すところなくそれを伝える責任を勝手に感じるのか、文字どおり余すところなくヴァースにし、世に発表してしまう。例えば「Hold It Down」では、恋人に宛てたヴァースの中に「グルーピーが現れても体の関係を持たないとは言い切れない」とわざっわざ正直に補足してしまう。

https://note.com/raplyric/n/n9fd259928bee

 

「Middle Child」でも、ドラッグに対しノーを突きつけるリリックの後に「リーンやウィードはやるかもしれない」と、わざっわざ真面目に付け加えてしまう。

https://note.com/raplyric/n/na185ee3918a0

 

「内省」と「真面目さ」と「正直さ」—これらがコールのディスコグラフィーに何より寄与してきた要素といってよいだろう。

 

 

この一件で何よりも浮き彫りになったのは、意識の向かう先の違いなのだと思う。この状況下で然るべき方向に意識を向け活動するノーネームと、こんな状況下でもうじうじ内省に走ってしまうJ・コール(もっとも、プロテストに出向いたり楽曲を世に発表したりする程度には意識が外に向いている、という矛盾もあるのだが)。地に足のついたノーネームの「真っ当さ」が際立つ一方で、コールの意識は依然として内に向いており、そこに「持ち前の異常な真面目さ」(RAQくんのツイートから引用しました)が相まって「Snow On Tha Bluff」が生まれたのだと考えられる。あのヴァースにおけるノーネームに関するくだりも、十分に批判の対象になりうることを知りながら、己に内在するミソジニーも含めて吐露する責任を勝手に感じた結果、というのは考えすぎだろうか。

 

 

コールに限らず、「内省」と「真面目さ」と「正直さ」は美しいアートを生み出してきた。それこそ、日本で活躍するラッパーたちが異口同音に語っているケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の魅力そういう部分にあるように思うし(https://www.cinra.net/column/202004-kendricklamar_kngshcl)、個人的にも、例えば2パック(2Pac)でいえば「Changes」より「Life Goes On」のような楽曲のほうに心を打たれてきた。そのためか、今回もノーネームに満腔の拍手を送りつつも、どこかJ・コールを断罪しきれずにいる。そして、このタイミングで生徒会長的なことを言うチャンス・ザ・ラッパー(Chance The Rapper)はやっぱりちょっと苦手なタイプかも、と思ってしまう。けれども、こういう状況下にあっては「内省」の限界を感じずにはいられない。

 

そもそも、こんなことをうだうだと4000字以上書いていることが、ある意味とてもJ・コール的だ。文章を書くというセラピューティックなプロセスを経たことだし、『ヒップホップで学ぶ英語』で集まった参加費の寄付先をどこにするか、考えよう(参加してくださった皆様、ありがとうございました! また正式に記事にします)。