『good kid, m.A.A.d city』(以下"GKMC")リリースから
ちょうど5年が経ったみたいです。
Kendrick Lamar, good kid, m.A.A.d city
2012年の衝撃的メジャー・デビュー後、現在に至るまで
『To Pimp A Butterfly』、『DAMN.』と素晴らしい作品を
リリースし続けているKendrickですが、このアルバムは
その中でも個人的に特別な一枚です。
一人の少年が、地元コンプトンに蔓延る誘惑や同調圧力や
暴力に屈しながらも、友人Daveの死をきっかけに同じ境遇の
子供たちをレペゼンするラッパーになることを決意する物語
で、聴くたびに興奮し、自分を重ね合わせ、感動することが
できます。
『Section.80』を素通りしていた自分にとっては、これが
Kendrickとの本格的な出会いで、その後『DAMN.』ツアー
にまで行くことになったのもGKMCが最初のきっかけです。
最近「HUMBLE.」あたりから聴き始めたようなファンにも
聴いてほしい、そんな一枚です。
さて、そんなGKMCのリリース時に、当時のComplex誌が
Kendrickについての記事を巻頭記事にしています。
洪水のように次から次へと新たな作品がリリースされている
昨今ですが、今日くらいは立ち止まって、当時のKendrickが
どんなことを言っていたか、振り返ってみませんか?
〜以下和訳〜
このコンプトンのMCは導く用意ができている—誰がついていく?
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この特集はComplexの『good kid, m.A.A.d city』ウィークの一部です。
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著:Ross Scarano (@RossScarano)、写真:David Black、スタイリング:Kitti Fontaine、ヘアメイク:Will
自分の未来を形作ることになる2人の男を初めて見た日、何歳だったのか、Kendrick Lamarは思い出せない。でもその記憶は、今や25歳になり、ホームタウンの誇り高き音楽的遺産を託されている同MCを理解するうえで重要だ。
彼は7歳か、たぶん8歳で、コンプトンに住んでいる。これは幸運なことだ、というのもそこで2PacとDr. Dreが「California Love」のビデオを撮っているからだ。それはそのビデオのオリジナル・バージョンで、リリースされないので、誰も見ることはない。Hype WilliamsがDreとPacをサンダードームの上に乗せる前に撮られているこのビデオは、ここで今、起きていることの反復だ—コンプトンで、1995年頃のことだった。「彼らは車を乗り回して、街を撮っていたよ」とLamarは思い出す。「あれは肉体的な体験だった。彼らは人々に触れてたんだ、砂漠でダートバイクに乗るんじゃなくてね。」
Lamarが病院から初めて家に帰ってきてから、彼にラップを聴かせていたという父は、撮影のことを聞き、息子を連れ出す。そのビデオは、彼の家族がシカゴはサウスサイドの暴力から逃れるために移り住んだ家から、道沿いを撮影している。みんなと同じく、Kendrick坊やもそのアーティストたちを知っているが、彼は今に生きる子供であり、それが全てだった—その今が。
「その時は音楽のことなんて考えてなかったよ」と、同世代で最も重要なMCの一人は言う。「俺はバスケットボールをやることや外で遊ぶことを考えてた。アニメとか。子供のことさ。でも明らかに、それも記憶に残るものだった。思い出したんだから。」
長期間に亘るグラインドの絶頂である今、彼は音楽のことを考えている。13歳の時、彼はラップを始めた。3年後、彼は『Youngest Head Nigga in Charge』というテープを録った。LAのインディペンデント・レーベルであるTop Dawg Entertainmentは、それを確かに聞いた。
LAのラップのアンダーグラウンド・シーンで5年以上精力的に活動した後、LamarはTDEからリリースしたミックステープ『Overly Dedicated』(2010年)等で自分の声を確立し、同作はDr. Dreの目に止まった。若きMCがコンプトンのストリートで初めて、そのラップ・レジェンドに出会ってから15年後のことだった。あの"California Love"事件は、Lamarの衝撃的デビュー・アルバムとなった『Section.80』(2011年)というかたちで結実することとなった。同作は2Pacを見たことにインスパイアされたのだ。「HiiiPoWer」のMVにおいて、LamarはShakurが2010年9月13日(Pacの没後14周年)に目の前に現れ、「俺を死なせないでくれ」と言ったのだと説明する。同曲はLamarが"Thug Life"とシャウトアウトするところで終わるとともに、野心溢れるコンプトンのラッパーの将来を正当に評価している—「俺は地雷だらけのフィールドに立っている/ムーンウォークをしながら、もうすぐ爆発する(=成功する)ことを望んでる」と。
簡単にトラブルに巻き込まれちゃうんだ。ラップが、俺が走り回るのを止めてくれた。
その「爆発」はたちまち続く。Lamarは今、インタースコープの子会社である、DreのAftermath Entertainmentと契約している。彼はDreとレコーディングし、彼のために素晴らしいヴァースをいくつか書いた。Dreは90年代後半にEminemと初めてリンクして以来、こんなにイキイキとヴァースを蹴るのは初めてだ。LamarはDreのためにゴーストライトすることについて物怖じしないが、こう付け加える。「彼は俺の言うことなんて聴かなくていいんだよ。このゲームに30年身を置いてるんだから。」コンプトン出身の小さな少年は、謙虚なだけでなく、すっかり成熟して、今やウェストコースト・ラップの横断幕を運んでいる…が、想像しえないようなかたちで、だ。LamarはN.W.Aや2Pac、Dr. Dreの遺産の上に築いているだけではない。彼は新世代のためにその遺産を拡大・刷新しており、自らの遺産を創り上げようとしているのだ。
ポップじみたダンス・ミュージックや、予算を注ぎ込んだマフィア的なものからラップ・ゲームを救うべく、クラシックをリリースしてくれると多くのラップ・ファンが期待する同MCは、自分が今どこにいるのかを確認するため、過去を振り返っている。
では、Kendrick Lamarはどこにいるのか? あるいはもっと言えば、いつにいるのだろうか? 2012年でないことだけは間違いない。「今経験していることについてラップすることには興味ないんだ。まだ全部吸収してないから」と彼は説明する。「もっと世界を見て、傍観して『よし、俺はやった』って思えるようになったら、その時に次のアルバムで、そういうことについて話せるかもね。今、俺はまだコンプトンにいるんだ。」
彼は、自身を育てた街で彼を追うようリスナーに迫るアルバム(『good kid, m.A.A.d city』)を創り上げた。N.W.A以降のギャングスタ神話のコンプトンではないが、本当に人々が住み、過ちを犯し成長する、リアルな場所である。
「あるLA郊外の地域に行ってコンプトン出身だと言うと…」Lamarは笑みを浮かべながら言う。「みんな襲われると思って、自分が持ってる物を隠して離れたがるんだよ。おかしいよね、イラついたりはしないよ。評判がマジなんだ。世界中の他のどんなゲトーとも同じで。」
「俺らのいる厳しい現実が、俺らの音楽を伝えさせる」と、LamarはGKMCの最終曲「Compton」でラップする。同曲で彼はDreとヴァースを交わしている。N.W.Aの画期的なLP『Straight Outta Compton』(1988年)における彼の仕事は、今日我々が知るところのギャングスタ・ラップの先駆けとなった。しかし、まさにそのスタイルの成功が、広範囲に亘って、歪みと陳腐な文句を引き起こすこととなった。Lamarが「Compton」の6ヴァース目で観察するように—「今こそ祝福の時だ/N.W.Aのラップ・アーティストたちの努力が実を結んだ/アメリカは論争やヘイトを引き起こす俺らのラップ市場を標的にした」
Lamarはコンプトンの別の見方を提示する。そこで育ったけれども、ステレオティピカルな暴力やギャングバンギングに規定されなかった人間の視点を。「俺の両親の友達にはギャングに巻き込まれた人もいるし、そうじゃない人もいる」と彼は言う。「人々は、コンプトンでは色が全てだと思う。それよりももっと深いんだ。ブラッズの縄張りではみんなが赤を着て、俺も赤を着なきゃいけないって思うかもしれない。違うんだ。今ではみんな着たいものを着てる、特に子供はね。」
アルバムのタイトルにある頭字語(m.A.A.d)は「俺の怒れる分断された思春期(my Angry Adolescence divided)」、すなわち板挟みになった思春期を意味する。「俺はどうしたらいいんだ/話題が赤(ブラッズ)か青(クリップス)かのときに」と、彼はアルバムの1つ目のタイトル・トラックである「good kid」でラップする。「俺がそうじゃないって分かるだろ/でも慣れてるのを知ってるって?」アルバム全体が、その質問への彼なりの答えとして理解できる。Lamarにできるのは、ありったけの率直さと同情で、自らの出自を伝えることだけである。だから彼は自分の街のど真ん中に立ち、コンプトンが内包する全ての生を見回すのだ。
ケンドリック・ラマーのgood kid, m.A.A.d cityをSpotifyで聴こう
コンプトンは、Suge KnightがスワップミートをぶらぶらしているのをLamarがよく見ていた場所である。それは、シカゴのサウスサイドがあまりに危険になった後、彼の両親が引っ越した場所でもある。彼らは彼をトラブルから避けるべく、最善を尽くした—そのほとんどはうまくいった。「両親からギャングについて教わったことはなかったよ」と彼は言う。「あちこちで『あれはやっちゃダメ、そのままにしときなさい』なんて言われたんだけど、指を指すことは絶対無かった。」
息子を守ろうという両親の努力もむなしく、狂気が彼を襲うこととなる。
「俺はたぶん5歳だった。おじさんがお母さんの家の外でドープを売ってて、俺は自転車に乗ってた。おじさんのパートナーの一人が門の外で捌いてたら、彼の後ろから誰かが出てきて、バーンって。彼が倒れるのを見た。子供でもテレビでそういうのを見るでしょ。俺はそれを目の当たりにしたんだ。誰かの脳が飛び出るのを。」
人々は、コンプトンでは色が全てだと思う。それよりももっと深いんだ。
しかし、Lamarは生きてその話を伝え、教訓を学び続けた。彼がやらかすと、両親が彼に知らしめた。彼を家から追い出したりもした。「俺の両親は、俺の前でハグしてキスするようなタイプじゃなかった」と彼は言う。「夫妻っていうよりも、親友みたいに見えた。部屋に入ると、父さんがウィードを吸って、母さんはチルして、音楽を聴いてノって、俺らの話を聴いてた。過保護じゃなく、俺を行かせてくれたんだ。俺が行くと言ったら、それは行くときだった。いずれにせよ俺がそうするって知ってたからだろうね。それは止められないし、親としてそれを理解しなきゃいけない。好むと好まざるとに関わらず、子供はやっちゃうんだ。だからそれが何であれ、彼らはそれを理解してたからやらせてくれた。でも1度だけ、俺が戻ろうとして関わってくれなかったことがあった。」
その過ちの詳細に彼は立ち入ろうとしないが、いずれにせよ、夏の間中ドアが閉ざされたままという結果になった。
追放された数ヶ月間は通行料を稼ぐことになった。「結局ちょっとしたことをやることになったよ。裏庭に忍び込んで草刈りをしてたかもしれない。『入れさせてくれよ、俺頑張ってんだよ』ってね。」
「俺も同じように子供を育てたいんだ」と今、彼は言う。「外に出して、過保護にならないようにして、でも責任は持たないといけないって、しつこく言って聞かせるんだ。人生はリアルなものだから。」
2012年夏。ロングアイランドのニコン・アット・ジョーンズ・ビーチ・シアターの外に並ぶツアーバスの一台の中で、Lamarは待っていた。もうすぐMac MillerとWiz Khalifaのオープニング・アクトを務めるLamarに、ショウ前の緊張は見られない。むしろ逆だ。フロントガラス近くの、小さな体格をいっそう小さく見せる大きな布張りの席に座り、Lamarは小指に嵌めた指輪を捻りながら外したり着けたりして弄んでいる。指輪にあしらわれたメデューサの恐ろしい眼光は、彼が指輪を弄るごとに前を向いたり後ろを向いたりしている。
バスの向こう側では、席が埋まっていっている。MacとWizを観るために集まったティーンは、こんなにも短いショートパンツやTaylor GangのTシャツで家を出ることを、親が許したのかと疑ってしまうほどに若いティーンだ。
俺はこのアルバムに入り込んで質問に答えた。もう質問されなくていいようにね。
「俺の客層はもうちょい年上だよ」と、ラッパーは少年のような顔で話す。彼は『飛べないアヒル』のTシャツを濃いめのデニムにインしていて、それが真面目なアナハイムのホッケー・チームへのレファレンスなのだとしたら驚いてしまう。ディズニーの『飛べないアヒル』が公開された1992年、オーディエンスのティーンたちは生まれていなかっただろうが、Lamarは生まれていた。
彼自身のストーリーは小説のようだ。これは彼が自身の神話—幼くしてDreと'Pacを目撃し、その後の人生で、一方にはメンターとして、他方には預言する亡霊として出会う話—を構築するにあたって受け容れてきた事実である。
「俺は似たような質問をいっぱいされるんだ。生い立ちについてね」と彼は言うが、彼はそれらの質問が自身の曲にインスパイアされたものであることを知っている。彼は自身のニュー・アルバムに、「Wanna Be Heard」「Faith」「H.O.C.」(自身の名を冠した2009年のEPおよび『Overly Dedicated』からの楽曲)といった初期リリースのいわば「前編」として機能してほしいと思っている。「あれらの曲には理由があるんだ」と彼は言う。「俺はこのアルバムに入り込んで質問に答えた。もう質問されなくていいようにね。」
彼が言及する全ての曲で、同アーティストは自分が誰なのか、どう解釈されているのかについて熟考している。「俺が誰なのか完全には理解していないだろう」と彼は「Wanna Be Heard」で言う。「Jayが自分じゃないと気づく」まで「Jay-Zのようにラップしたかった」と説明する前に。
これは彼の作品における頻出テーマだ。アーティストとリスナーとの間の透明性への望み。『Overly Dedicated』の1曲目「The Heart Pt. 2」では、「きっと「Wanna Be Heard」を聞いて俺が誰か疑問に思っただろう」とラップしている。Lamarはこの観点において、まずユニークとはいえない。Slick RickからThe Notorious B.I.G.に至るまで、偉大なストーリーテラーの長い伝統があり、Lamarはそこの名を連ねる最近のメンバーだ。「ストーリーという全体のパッケージと、ストーリーに囲まれたアーティストっていうのは記憶に残りやすいんだ」と彼は言う。「それが、ストーリーが常に持ってるアドバンテージだよ。」
ストーリーテリングのLamar特有の解釈—過去という窓を通して現在を見ること—は多くのラッパーからLamarを隔てるものである。Drakeを例に取ると、彼は今生きている自分の人生のタイムライン上で、主に現在の立ち位置についてラップする。彼のラップは、書かれた直後に読まれる日記のエントリーのそれと同じ緊急性(と赤裸々さ)を有している。Lamarのアプローチは正反対だ。同MCを2012年に完全に理解するには、彼を12歳の頃から知っていなければならないのだ。
今年2月に彼がリリースした、表現派のトラックである「Cartoon & Cereal」を聴けば、タイトに結ばれた、イメージに溢れたヴァースの中で、幼き日のKendrick Lamarを感じられるはずだ。同曲は同アーティストの、まさに今の精神状態—先を行くと同時に、固く過去に根ざしている—への完璧な入り口を提示する。
「Cartoon & Cereal」はメディアのマトリックスでフィルターされた子供の混乱にリスナーを陥れる。ある男の子がコンプトンの家でテレビの前に座り『ダックにおまかせ ダークウィング・ダック』を観ていると、テレビ画面のノイズと色が外の世界の暴力に流れ出し、細切れで重ねられた音の切れ端が曲の複雑な構造に嵌まっていく。「俺のようになるな、ただカートゥーンを観終えるんだ」と少年の父親は言い、息子を残して「危険が俺を呼んでるぜ」がキャッチフレーズのアニメの鳥とチルさせる。
ソングライター・Kendrick Lamarは、小説家のような細部への目を持ち、コンテンツとしての形式を詩人のように重要視し、アーティスティックな目的のためならアバンギャルドな映画製作者のように現実を曲げることを厭わない。「Cartoon & Cereal」には、コンプトンですぐそばで起きている流血があり、テレビを通して見れる、コンプトンを越えた世界があり、どの街のどのテレビの前のどの子供も一緒にアクセスできる、ある種の扉がある。すべて、同時に。
俺の音楽は世界のためのものなんだ。コンプトンのためだけでも、自分のためだけでもなく。
『ダックにおまかせ ダークウィング・ダック』は1991年から1992年までABC—Lamarの真のオーディエンスである、80年代生まれの不満を持った子供にとっての安息の場—で放映された。彼は彼らを「セクション80」と呼ぶ。この非常に具体的な引用が同曲のオープニングとなり、世代全体が入れるドアとなる。Lamarと同じテレビを観ていればそれだけで、中流階級の東海岸郊外のリスナーも、同MCのムーブメントに参加できるのだ。
「俺の音楽は世界のためのものなんだ。コンプトンのためだけでも、自分のためだけでもなく」と彼は言う。「ファンは俺のことをリーダーとして見る。俺がリーダーとして自分をレペゼンしてるから。」Kendrickの目標は、リスナーとより深い関係を育み、自身の音楽が地域を越えることである。Dreも'Pacもラップ界においては伝説的人物だが、二人はウェストコーストと切っても切れない。Lamarには違った野望がある。
その知性と、どっぷり浸かった語り口と、大きな共感で比類なき作品となった『Section.80』では、彼の野望は最初から明白だ。同アルバムは「Fuck Your Ethnicity」という曲で幕を開ける。これほどまでにダイレクトな目的あるステイトメントを考えるのは容易でない。そのフックは「お前が黒人だろうと白人だろうとアジア人だろうとヒスパニックだろうと俺は気にしないぜ、クソ」と進む。「そんなの俺には何の意味もない、人種なんてクソくらえ。」Lamarが「色盲」だとか、他の中立な決まり文句とかではない。彼のリリックにはブラック・パンサーの描写や、ピラミッド、それに象形文字が多く登場する。彼の曲は具体的な神話とともに彼のストーリーを伝えるが、何が起こっているか理解しようとすることを厭わないリスナーなら誰にでもオープンであるという点で、包括的でもあるのだ。
GKMCリリースの直前で最大限のプッシュを受けたT-Minusプロデュースのシングル「Swimming Pools (Drank)」を聴いてみよう。「Cartoon & Cereal」と同様に、同曲でもLamarは振り返っている—「ボトルの中で人生を送る人たちに囲まれて育っちまった」—が、今回は旋律的なフックとともにである。
「音的に、俺は「Swimming Pools」が人々を惹きつけるって分かってた。クソキャッチーだけど、そこにはリリックがあるんだ」とLamarは言う。「理解できないほどにクレイジーなわけじゃないけど、聴き続けたくなるくらいにはクレイジーなんだ。何か別のことが起こってるように感じるからね。」
コーラスだけに注意を払うと、曲の批評がダメになっていると勘違いするかもしれない。曲のメッセージがやや隠されていることを、彼は気にしない。
「誰かが俺に怒るとしたら、あの曲を聴いて俺がパーティー・シットをやってると思う新しいリスナーだろうね。それからその人はアルバムを手にして、『俺はこいつを聴きたくない。どうかしてる』って思うだろう。最終的には、また戻って聴いて『おぉ、悪くないな』って言ってると思うよ。」
彼は、強烈な内容と口ずさめるフックのバランスの重要性について話すと、躊躇なく「Swimming Pools」の1ヴァース目全体をぶつぶつとラップしながら、一瞬で鮮やかに創作の過程を種明かしする。そして、具体的な言葉を思いつく前にいかにブースで「ファニーなシット」、つまりナンセンスなメロディーをブースで作り上げていたかについて説明する。
「これは学べるようなものじゃないんだ」と彼は認める。
Lamarと同じくTDEに所属し、Lamar、Q、Ab-Soul、Jay RockからなるBlack Hippyの メンバーであるQが、A$AP Rockyのいない「Hands on tHe WHeel」のパフォーマンスを終える最中、Lamrはジョーンズ・ビーチ・シアターの舞台袖でうろうろしている。前方のオーディエンスの何人かはその無謀賛歌を知っているが、ステージの先端から30ヤード先で、エナジーは途絶える—人々は落ち着き、ホームルームの友人と雑談している。彼らにとってアニメの思い出といえば、『ダックにおまかせ ダークウィング・ダック』よりも『スポンジ・ボブ』なのだ。
Qが汗をかきながらセットを終えると、TDEのトップであるTop DawgはLamarに近づく。その年上の男は大きく、ゆったりと動く。「Fuck Your Ethnicity」のイントロが流れると、彼はLamarの耳元で何かを囁いている。Lamarはそれを聴くと、口からガムを取り出して左の梁に押し付け、同曲のスタッカートな最初のフックを吠えながら、ステージ上を弾む。
彼は自身のディスコグラフィから人気のある選曲でパフォームしていくが、「A.D.H.D.」で初めてオーディエンスを射抜く。「808と共にやってくる/メロディーといい女」というリリックの最初の音節でビートがドロップし、クラウドはセクション80となる。彼らはもう目を覚まし、同曲のムーディーな靄に掬われている。
Kendrick Lamarを聴いてて、ストーリーを知ってて、俺のアルバムを手にし、その裏にある全ての繋がりに気づく12年生の子にとって、それは絶対に忘れられないものなんだ。
昨年、彼が世界中のラップ・ファンに知られるきっかけとなった「A.D.H.D.」は、ドラッグにまみれたハウス・パーティーが舞台だ。Lamarは彼のオーディエンスであるセクション80—関係を築けない一匹狼、パーティーで孤独を感じ、ドラッグで断絶の感情を調合し、感覚を無にする子供たち—に、彼らのことを語りかける。彼が描写する苦悩はありがちな10代の倦怠と大きく違わないが、ADHD(Lamarが生まれた1987年に初めて『精神障害の診断と統計マニュアル』に加わった発達障害)を引き合いに出すことで、彼の焦点ははっきりし、セクション80は捻じ曲がった栄華を極める。
念のために記すが、Lamarはハイにならない。酔っ払うこともない。彼は目を澄ませ、彼を含む世代の習慣と矛盾を観察することを好む。それらをリスナーが我を忘れ、そして見つけられる、抗しがたい物語にするために。これはラジオや、ネットサーフィンの間に聞かれる3分のラップ曲では難しいことだ。注意欠陥障害を抱えているのであれば尚更だ。彼の語るアクションを追うには集中力が要るが、その価値はある。おそらく、だからLamarはシカゴでのニュー・アルバムのリスニング・セッションを途中で打ち切ったのだろう。集まった文士たちがおしゃべりに忙しく、彼が自身の作品に値すると感じる注意を払っていなかったからだ。
「たくさんの人気な曲がラジオに登場するけど、5年もしたら、2005年や2004年に出てた曲で何が好きだったかなんて忘れてる」と彼は言う。「ラジオで流れた時にいつも歌ってたような曲をNellyが作ったことなんて忘れたでしょ。でもKendrick Lamarを聴いてて、ストーリーを知ってて、俺のアルバムを手にし、その裏にある全ての繋がりに気づく12年生の子にとって、それは絶対に忘れられないものなんだ。もう一度聴くまで、どの曲が大好きだったかは憶えてないかもしれないけど、俺がどうやって自分自身を刻み込んだか、どんな内容だったかはずっと憶えてるはず。」
物語は離れない。子供に向けた多くの教訓が寓話として語られるのも、そういうことだ。しかし、Lamarのストーリーはたとえ話などではない。我々を救おうとするコンシャスなラッパーもいるが、それは彼ではない。彼が良心に欠けるということではない。仲間である80年代の子供たちが真っ当に生きていないと思うか訊かれると、彼はこう答えた。「俺らは真っ当に生きてないわけじゃない、自分たちがどう生きてるかに無自覚なんだ。俺はただ人々に集中させたい。俺もクソみたいなことをやってきたけど、それについて自分で考えるんだ。『クソ、なんであんなことしたんだ?』って。それが俺の音楽の役割だと思うよ。」
ジョーンズ・ビーチの観衆は「A.D.H.D.」に盛り上がった。酔ってハイになり、訳も分からず少し取り乱すパーティーの音に。そこでは周りの誰もが同じように感じているのに気づく。共有された孤独感から生まれる親近感である。だが、それは脆弱な繋がりであるから、その感情がずっと続くようにと願い、ウィードを吸って飲み続ける。もちろん、ずっと続くわけなんてない。
Wizのクラウドはハイになる。彼らは何かに参加したいわけじゃない。ただ音楽を聴いて良い気分になりたいんだ。
時間が過ぎ、熱気は消える。あと数曲を終えると、Lamarは去り、Mac Millerに出番を明け渡す。バスに戻り、彼はステージの衣装から、ルーニー・テューンズのキャラクター(バッグス・バニーとタズマニアンデビルとダフィー・ダック)が胸ポケットから覗くボタンアップに着替える。ワーナー・ブラザースから買えたような代物だ。モールにワーナー・ブラザースがまだあった90年代の、地元のモールにあるスタジオ・ストアで。そう、スタジオ・ストアでだ。(セクション80なら憶えているだろう。)「Wizのクラウドはハイになる」とLamarは活気なく答える。「彼らは何かに参加したいわけじゃない。ただ音楽を聴いて良い気分になりたいんだ。」
究極的に、Lamarの音楽はただ良い気分になるような瞬間をたくさん提供してくれるわけではない。何か別のことが常に水面下で起きていて、より注意を払うべきモヤモヤした気持ちから逃れられない。彼の話の細部は、ある特定のオーディエンス—テレビとアデラールの過剰供給を受けた80年代の子供たち—に最も響く。彼らは似たような経験をしており、同じものを参照する。彼らの多くの悪行は表面的な関わりを促すけれども、その一つはゆっくりとしたペースと深いコミットメントが求められる音楽を作ることである。
その夜が終わる前、彼はもう一つの話をしてくれる。『Section.80』収録の「Keisha's Song」についてだ。そのリリックは、売春婦になる10代の女の子を鮮明に描く。3ヴァースに亘り、彼は彼女の苦闘を語り、彼女の後部座席での搾取をローザ・パークスと結びつけまでする。リスナーをロングビーチ・ブルヴァードから、彼女が売春婦になる車の内部まで誘い、客による彼女の殺人を描写する。素晴らしく、悲痛な曲である。そして、最後のフックが繰り返される前に、マジシャンがカーテンの後ろから現れるかのごとく、彼はストーリーから現れ、その種を明かす。「俺の妹は11歳、俺は彼女の顔を見つめた/この曲を書いた日、彼女を座らせて再生ボタンを押した」
それで、それはうまくいったのか? 彼女は理解したのか?
「彼女が俺の言うことを理解したとはいえないな」と、心配する様子もなく、むしろ少し愉快そうに彼は言う。「彼女はいい曲が好きだけど、まだ小さい。あの曲は彼女には少し内省的すぎたかもしれない。それでも兄としての俺の立場を理解してくれて、リスペクトしてくれてたよ。」
『good kid, m.A.A.d city』を最も必要とする人々は、Lamar自身の家族もまだ到達していない層にいる。DreからLady Gagaにまで及ぶ、同LPを切望するオーディエンスは、それを強壮剤のように受け取るだろう。もっと楽しいもの、あるいは即席のものを求めるならば、Lamarの妹に目を向けてほしい。彼女はまだその音楽の域まで成長していないが、いつか追いつくだろう。
そしてその時、彼女の兄の音楽が待っているはずだ。
〜出典〜
Kendrick Lamar: Talkin' 'Bout My Generation (2012 Online Cover Story) | Complex