相変わらずどころか、日に日に状況が混迷する一方の世界状況。
いま新型コロナウィルスと呼ばれているものの正式名称は「SARS-CoV-2」で、2019年12月に中国の武漢市で原因不明の肺炎が集団発生。検査したところ、これまでに分かっている6種類のコロナウィルスとは別の新型であることが判明したところから世界中に拡がり続けているもの。
新型なのでワクチンがなく、またその正体も明らかにはなっていない。コチラのサイトによると、国内初の感染者は今年の1月15日に武漢から帰国した30代男性で、1月末までに13人が罹患した。
そこから始まって2020年3月19日現在、日本国内の感染者数は1633人とされている。(クルーズ船の乗客・乗員と武漢からチャーター機で帰国した人を含む)
ただし、日本国内では十分な検査体制が整っていないため、この数字が果たして本当なのかは分からない。きちんと検査すれば、当然ながら国内の感染者数はもっと多くなるはずだともいわれている。
世界に目を向けると、3月14日時点でイタリアの感染者数が2万人を超え、医療崩壊が起きて死者数は1500人に達するという報道や、イランでは18日時点で1万7361人となり、死者数は1135人。スペインでは17日時点で感染者数は1万千人を超え、死者数も500人に迫っているという。
日本時間3月19日現在、世界全体の感染者数は150の国と地域で20万9500人に達し、死亡者数は8784人になったという。
しかも悪いことに、まだまだ収束の見通しは立たないどころか、感染の勢いは増すばかりの様相。。。不安に陥った人々がトイレットペーパーを求めて殺到したり、アジア系の人に対する嫌がらせが発生したりと、世界に混乱は拡がっている。
感染症に詳しい専門家や有識者と名乗る人の発言も様々で、各国の対応もそれぞれ。こんな中でも今のところ東京オリンピックは予定通り開催の方針というけど。。。ホントに開催できるのかな (・・?
この混乱が世界経済に与えている影響は計り知れないほど大きく、世界恐慌に突入するともいわれている。
そこまでじゃないにしても、すでにあらゆる業態で倒産の危機が迫っていて、政府による救済措置を求める声は日増しに大きくなっている。
クラスターといわれる局所的集団感染のリスクがあると名指しされているライヴハウス。防音対策のとられた空間は気密性が高く換気もよくないし、大きな音で満たされた空間で会話するときは必然的に顔を近づけることになり、飛沫感染のリスクが高くなる。クラブもライヴハウスと同じ環境だから、ハイリスクな場所なのは間違いない。
3月6日にワタシは自分のパーティをやる予定でいたけれど、この状況では開催できないと判断して開催日の4日前に中止することにした。その頃にはまだ「自粛ムードに負けずに、経済まわす意味でもパーティをやるべき!」といった声が比較的多かったけれど、2週間を経た今ではそんな声は少数派となっている。
こういう意見に、ワタシは初めから違和感があった。不特定多数の人を気密性の高い空間に集めて夜通し遊ばせることに対する責任を自覚すれば、状況が落ち着くまではパーティは控えようという気持ちになるんじゃないか。。。
パーティの主役はDJでもなければオーガナイザーでもない。ましてやハコであるはずがない。いうまでもなく、パーティの主役はお客さんのはず。
それなのに、すでにブッキングされてるからとか、パーティ中止が相次ぐと収入が無くなるからという理由で続けようというのは、ワタシには理解できない。
世の中の情勢が変化して淘汰された業種は、これまでに無数にある。ネットの台頭で売れなくなった本やレコード・CDもそうだし、ファストファッションの台頭で既存のアパレルメーカーが大ダメージを受けて壊滅状態など、挙げればキリがない。
飲食もそうだけど、大衆を相手に商売をするということはハイリスク・ハイリターンの側面がある。人々のマインド次第で商売の成り行きは簡単に変わる。
時代に、あるいは状況に淘汰される人々にとっては、確かに受け入れ難き苦しみに違いない。なんとかして急場をしのぎ、波にまた乗ることができれば生活できる。。。ワタシも飲食店を経営していたコトがあるから、商売をたたむという事がどういうものなのかはよく分かっている。
分かっているからこそ、淘汰されゆくものにはなりたくないと強く思っているんだ。
今この状況でワタシが考えたいのは、何故パーティをするのかということ。
何故、ワタシはパーティという表現方法を選択するのかということだった。
そうやって自分に問うてみて得た答えは、「感動の共有体験をしたい」というものだった。
形のない音と光で満たされた空間で、刺激的な食体験をみんなで共有する。その時、一人ひとりがまったく新しい自分を体験する可能性を秘めている。その可能性を引き出すことができて、誰かが新しい自分を体験できたら、それは言葉にできない感動となる。
その感動の波動、あるいは光は周りに伝播し、空間そのものを変えるほどの力を持つ。
その時のフロアは特別な空間で、その場にいるみんなで感動を共有することができる。
そんな感動を経験してきたワタシは、パーティをオーガナイズすることで、この感動体験を一人でも多くの人と共有したいと思うようになったんだ。
こういう状況で答えを掴むために、深く深く自分の内側に潜り込んでいけたのは本当によかったと思っている。
今回ハッキリしたのは、ワタシがパーティやる目的は楽しむためではなく、感動の共有だから、なにも方法はパーティにこだわらなくてよいのだということ。
そんな境地に至ったワタシを見計らっていたように、状況はワタシの生活を根底から変えるよう促した。。。昨年の4月から東京での生活の基盤をknockで働くことに置いていたけれど、来月末で辞めることにしたのだ。
キッカケはもちろん、新型コロナウィルスによる自粛ムードで営業の見通しが悪くなったこと。
今年のはじめに立てた「この一年はパーティを最優先に挑む」というものがガラガラと音を立てて崩れ、さらに追い打ちをかけるように音箱から出ることになったんだ。
5月から何をするかは決まってない。
とはいえ、もう落ち込んでいない。
だってワタシが表現する場はもうクラブじゃなくていいし、DJさんがいなくてもいいんだ。その時の状況に応じて出来ることで、感動を共有できればいいのだ。
この答えを見つけたとき、まさに目からウロコというか、視界が開けたというか、これまでとは違うフィールドに立った気がした。
自分の感性を研ぎ澄まし、自分の心を何かで震わせることができれば、感動は日々のあらゆる瞬間に起こる。その感動を共有する手段は無数に、無限にある。
この自分の真理を掴んだワタシには、自分以外に可能性を制約するものが無くなった。つまり、淘汰されるものになるかは状況じゃなく、ワタシの感性次第になったんだ。
どれだけの人と共有できるかもシビアに、そして如実に現れる。自分の力量だけが勝負。。。つまり、敵は己の中にしかいないということ。
新型コロナウィルスが全世界に巻き起こしてる混乱を逆手に取って、一人ひとりが自分の内側に深く潜り込み、自分の真実を掴むことができれば、ふるいにかけられて淘汰されるのではなく、新しい自分が住む新しい世界に生きることができるとワタシは思っている。
これまでの生活が揺らいだら、
アタマ切り替えて新しい生活に生きればいい。
それができるのは自分以外にないし、
それをするのは自分以外にない。