葬儀って、こんなにも疲弊してやるものなんですね。。。(@_@)
ワタシの実家は葬儀屋さんだけれど、
今家族の誰もが当事者として体験するコトで、改めて葬儀って大変だなぁと感じている。
心身共に疲弊して執り行う葬儀って、一体誰のためのものなんだろ。。。
きのうは20分の睡眠しかとれないまま、一日がスタート💦
早朝5時半に起きて、火葬場で食べるための自分用のお弁当をつくって出掛ける準備をする。
6時半には葬儀社のスタッフさんたちや親戚のみなさんが集まりだし、
お茶を出したり出棺の準備をしたり。
7時半からお坊さんによる読経。
間近で聴く読経がめちゃめちゃ心地よかったな〜(笑)
そして小雨が降りしきる中、8時半に出棺。
思えば先週の日曜日に沖縄に帰ってから、一日を除けばずっと雨。
今日も朝から雨が降り続いている。。。
火葬場に到着すると母の甥や姪、親戚たちが多数、駆けつけてくれた。
柩の中で目を閉じて横たわっているご遺体は、
よく寝てるようだといわれるけれど。。。
実際の遺体は、寝てる姿とは全然違う印象。
どちらかといえば、蝋人形のようだ。
魂が抜けた肉体は物体でしかない。
ちょっと見、母に見えるけれど明らかに母ではない。
母を、母たらしめていたのはその顔や体ではなく、
魂だったんだなと、遺体をみるとよく分かる。
抜け殻。。。まさに目の前の遺体は抜け殻そのもの。
母の実在はやはり、息をひきとった瞬間にどこかに行ってしまったのだ。
それでもまだ、目の前の遺体に母の個性を表す特徴を認めることはできる。
顔、頭、体。。。目の前のそれらは知らない誰かのものではなく、
ワタシの知ってる母固有のものだ。
母の存在固有の表現として現されていたその肉体も、
これから火葬されることにより消滅してしまう。。。
これが一般的に、最後の別れと言われる所以だと思う。
でもワタシにとっては、
母の実在である魂が肉体から抜け出た時点が最後の別れだった。
だからこそ息を引き取るまでの2日間、片時もそばを離れなかったのだし、
呼吸の変化を見逃さないようにじっと観察していたんだ。
意識の世界に移行するのを怖がる母の気持ちをそのまま感じ、
愛する人たちをこの世に残していかなければいけない母の痛みにも似た悲しみを感じ、
体からの激痛に苦しむ母をずっとそばで感じていた。
そして呼吸の変化が顕著になってからは、
母の手をとり声をかけながら、白濁した目と呼吸のたびに動く口元を見つめていた。
時間にして約4時間。
まだ歩けたり話ができたりした母とはコミュニケーション出来なかったけれど、
意識の世界に片足を踏み入れた母とは完璧にコミュニケーション出来ていた。
母と娘を超えた、魂と魂の共鳴によるコミュニケーションの時間は、
もしかしたらワタシが生まれて初めて出来た、
言葉によらない母との会話だったのかもしんない。
それは感動そのもので、心から母に感謝し、
心から母を尊敬したし、心から母を労えた。
だから、目の前の柩の中で横たわる物体を前にしても、
声をかける気持ちにはならなかったし、その姿を愛でる気持ちにもならなかった。
これがもし生きてる間の人生で、母と娘として愛にあふれた交流を重ねてきたなら、
遺体を心から愛しく思えたかもしんないけれど。。。
ワタシと母はずっと壮絶な闘いをしてきたから、
正直、魂の抜けた母に愛しさはまったく感じなかった。
火入れが10時前から行われ、
母の遺体が火葬されてる間みんなで食事をとったり、おしゃべりしたりして過ごした。
それはまるで楽しい会食のようで、ここが火葬場であることを忘れるほどだった。
以前の火葬場は人里離れた場所にあって、たいてい炉はひとつだけ。
約2時間かかる火葬の間、家族や親戚は煙突から出る煙をみながら、個人を偲んだものだった。
文字通り、人は死んだら天に登るんだなと煙を見て
感じたものだった。
でも、現在の近代化された火葬場は複数の炉が並び、建物はまるでホテルのよう。
ボタン操作で遺体が炉に入り、火葬の時間は単なる待ち時間に成り下がっている。
故人の遺影は飾られているけれど、親族控室は実質的に食堂のようなもので、
弁当屋さんが配達した弁当を食べ、お茶をのみ、
合図が来るまで他愛のないおしゃべりをして時間を潰す。
まるで情緒のない火葬の在り方に、ワタシは危機感すら感じた。
人間の死という、
誰にとっても人生最大の関心事であるはずのものを実際に体験できる貴重な機会なのに、
待ち時間に成り下がっているとは。。。
11時半、合図がきて拾骨室に向う。
炉から出たばかりで、近寄るだけで熱さを感じた。
長く薬を服用していたからか、
それとも79歳という年齢のせいなのか、
母の骨はスゴく脆いものに見えた。
出棺直前の母はこのように家族や親戚に花を手向けられ、安らかに見えたけれど。。。
約2時間後に炉から出てきた母は、
もうどこにも母の片鱗を認めることができない姿となっていた。
母の実在である魂が最初に意識の世界に消え、
その次に母固有の表現として現れていた肉体が消え、最後に残ったのが骨。
肉体であった遺体には、まだ感情を感じることができた。
だからこそ、遺体を前にして生前の思い出を心にいくつも甦らせることができたんだ。
その思い出は楽しかったものより、怒りと悲しみに満ちたものだったけれど ^^;
でも、骨には感情は感じられなかった。
思い出を甦らせることもできなかった。
母であったことを目の前の骨から感じ取ることは、ワタシには出来なかった。
あとかたづけ。。。
拾骨は、あとかたづけだなと思った。
母がこの世に生を受け、
喜怒哀楽、悲喜こもごものドラマを演じ、
そしてこの世から去っていった。
母の生きた証として最後に残った骨を、家族と親戚みんなで拾い、骨壷に納めた。
火葬場から移動して、今度は実家の家業である葬儀屋さんへ。。。
母が父と創業し、人生のほとんどすべてを注ぎ込んできた事業。
一日のほとんどを仕事に捧げ、
思考も常に仕事に関することばかりを考えていた母。
その母が生きた人生の舞台である会場にいま、
母自身が主役として鎮座し、遺影の中で微笑んでいる。
その気持ちは知る由もないけれど、母が初めて体験する気持ちなのは間違いない。
告別式は13時から始まり、滞りなく順調に進んで14時過ぎにはお墓で納骨。
このとき、宮古島から飛行機にのって駆けつけた親戚が到着!
熱い伊良部スピリッツをおばさんに感じた。
納骨のタイミングが雨の晴れ間でよかった。
母がみんなを濡れさせないようにと、計らったのだろうか。。。
お墓から実家に親戚とマイクロバスで移動し、
納骨の時にお供えした料理をみんなで食べ、解散。
家族だけとなったのは、16時になってからだった。。。
早朝からはじまったイベントがやっと終わり、
ホッとしたのか眠気に襲われたワタシは気づけば、
そのまま食卓で寝落ちしてた(笑)
ここまでで既に、
十分すぎるほど疲弊しながら葬儀を執り行ったのだけど、
ここから家族ならではのイベントが4時間かけて開催された(笑)
それは唐突な始まりに思えたけれど、やはり必然の流れだったんだろう。
告別式で集まった香典の整理。
家族のみとならなければ、始まりえないイベント。
家族とはいえ、お金に関する事柄には気をつけていないとトラブルの原因になってしまう。
そこに神経を尖らせる弟の仕切りで、袋から現金を取り出したり、
袋に書かれてる名前と母との関係性をメモしたり、
父の前で妹と弟、ワタシの三人で整理していった。
お金の流れはガラス張りにしておかないと、不必要な疑念も招く。
それは家族間だろうと国家だろうと、
二人以上の組織の形態であれば、努めるべきところだと思う。
お金の使い方にはその人が現れるものだから当然、
人それぞれ使い方が違う。
何に価値を見出し、どれくらいの額を支払うのかも、人それぞれ違う。
だから、49日までの期間に必要な支払いに関して、きちんとその流れを全員が確認できるようにするのだ。
ここまでは家族のメンバー間にまったく異論は無かったのだけど、
ちょっとした父の発言に弟が激昂。
すべてを投げ出す勢いで父に対して噛みついた。
それを見ていたワタシには、どちらの気持ちもよくわかった。
父の一言は、局所的視野で発言したもの。
ところがそれは、弟を疎外する発言に聞こえるものだったのだ。
当然弟は、こんなにがんばってるオレをなぜ疎外するのかと激昂した。
妹も弟と同じように、父の発言を受け取っていた。
だけれど、父は受け取られたような意味では発言していなかったんだ。。。
目からウロコの思いで、このやり取りを見ていたワタシ。
なぜ父が人を不機嫌にさせるのか、このとき理解できたような気がした(笑)
と同時に、父に悪く言われて落ちる弟の気持ちも理解できた。
父の言葉によって、報われない気持ちにさせられた誰もが感じる誤解。
父は言葉の扱いが上手くない。
その誤解を解くための説明が、これまた上手くない(笑)
結果、お互いに怒りと悲しみとやるせなさに包まれることになるのだ(*_*;
このときまでワタシ自身、父に対して怒りの炎を燃やしていたし、
その経緯は前回までのブログにも書いてある。
49日まで父とやっていける自信がなく、
すぐにでも東京に戻りたいと本気で考えていた。
だけど、
弟の激昂の中にワタシ自身を見たことで、違う体験ができた。
父と対立する立場ではなく、第三者の立場で体験してみて誤解だったことがわかったんだ。
確かに父の言葉は、悪口にしか聞こえない時が多い(笑)
ワタシは生き方が間違ってるとか、狂ってるとか、散々言われてきた(笑)
その度にマジで落ちた。
でもそれは局所的な、あるいは狭窄的な思考による無思慮&無配慮な一時的発言だったんだ。
弟の激昂を受けて、父も悲しんだ。
父もやるせなさを感じていた。
誰にも理解されないという疎外感を父も感じていた。
それを初めてワタシは感じた。
なるほど。。。これが誤解のカラクリだったんだなぁ。。。
悲しむ父に共鳴できたおかげで、
ワタシの中の父に対する怒りが消えた。
そしてこれから49日までの間、
父の言葉を受け止めるときには意識的でいようと決めた。
ホントなら、誰に対しても意識的であるべきなのかもしんない。
だけど家族に関しては、惰性で無意識な態度になりがち。
これが修行なんだな。
人は誰でも、いくつになっても、
自分を分かってほしいと思うものだし、
尊重されたいと思うもの。
その思いが強い分だけ、
分かってくれないときや尊重されてないと感じたときに、ダメージが大きくなる。
このときの父と弟のやり取りをみてワタシは、
自分で自分を満たすことの大切さを改めて感じた。
自分が十分に満たされていれば誰かに分かってもらえなくても、
尊重されなくても、大きなダメージを受けないですむ。
平常心。。。
周りで起こる事柄に心を乱されることなく、
ひたすら自分であり続ける。
それが出来るために、
どんなときでも十分に満たされていると分かってる必要がある。
必要なものはすべて、
ちゃんと携えてこの三次元世界に生まれてきているのだということを、
片時も忘れずにいればいい。
常に、意識的でいること。
これこそまさに、修行ではないか!
きのうは、さすがにヘトヘトになった(笑)
人が亡くなると、こんなにも忙しくなるんですね。。。💦(笑)
沖縄に帰って、昨夜は初めて6時間ほど熟睡できた。
でもまだまだ修行は、
始まったばかりなのだった。。。