真冬の東京から沖縄に戻って3日目。
今日は朝からめちゃめちゃいい天気。
2月とはいえ、沖縄は真夏だった(笑)
Tシャツを一枚しか持ってきてないのを後悔してる。。。
今日は朝からテンションだだ下がり(笑)
完全に三次元世界のヒガサヨコとなって、怒りと悲しみに胸が満たされていた。
父のワタシに対する不満や非難をワタシは1ミリも理解できないし、
理解しようとも思っていない。
母の死を看取った翌日に目の当たりにした現実により、
ワタシの中にある子供の頃からの両親に対する怒りの理由がハッキリと分かったんだ。
愛の不在と不当な扱い。
それをズルい両親は、ワタシの受け取り方の問題だと斬り捨ててきた。
ワタシの方でも、
なんでワタシは両親のコトをこんな風に思うんだろうと不思議だったけれどなんてことはない。
単に疎外されていたんだ。
これが分かって、ワタシは自分の中に強さを感じることができた。
自信を取り戻せた。
もうダブルスタンダードに翻弄されて、自分を見失う必要はないんだ。
ワタシは自分の感覚を信じていいんだ。
ハッキリと、そう感じることができた。
この家でどんなにがんばっても意味がないな。
そう理解したワタシは誰のためでもなく、
自分の料理に対する誠実さだけで49日まで料理しようと決めた。
実家にいる誰の顔も見たくない。
特に父とは会話すらしたくない。
そんな風に思う自分の中にまったく矛盾はない。
今までは、心を閉ざす自分を非難する自分もいたけれど、もうそんなコトはしない。
嫌なものはイヤでいいんだ。
心からそう思えるようになれたのは、
間違いなく両親のワタシに対する冷たさを直視できたから。
そう思えばやはり、これも母の死からの大きな贈り物といえるのかもしんない。
朝7時に起きて母に供えるための食事をつくる。
特に父の分は用意しない。
鍋の中に料理があるのだから好き勝手に自分で食べればいいし、妹に用意させてもいい。
父が話しかけても無視。
大切なのは自分の感情の善悪を判断して悪い感情を排除することじゃなく、
どんな感情もありのままに体験すること。
これで何も問題ないのだ。
これが、ありのままでいることなのだと分かった。
お昼前、買い出しに向かっていたワタシに妹から電話が入る。
今日は15人分くらいの用意でいいと父が言ってるという。
思わず声を荒らげながら、料理に関しては誰の指図も受けないとキッパリ言い放つ。
用意する量が多ければ、当然ながら出費が大きくなる。
でも足りなければ。。。ワタシの至らなさが非難されるのは分かりきっているのだ。
多くても少なくても、
がんばってもがんばらなくても、
どっちにしたって悪く言われるんだ。。。
お昼過ぎの2時、納棺の儀が行われた。
母の遺体を棺に入れるのだ。
ここ数日、真夏日が続いているので遺体の腐敗が早く進んでしまう。
棺に入れる方が保冷効果が高まるから。
魂の抜けた体は崩壊してゆく物体。
火葬は金曜日に決まった。
納棺ということで、義理堅い伊良部島出身の母方の親戚がやって来た。
本当に毎日来てくれる。
心を寄せてくれているのは分かっているのだけど、
想いの分だけ口数も多い。
あれをするべき、
これはやめるべきと、思ったコトをそのまま口に出す。
きのうは電話をかけてきて弔問客用におにぎりを作っておきなさいと言い、
今日はこんなに料理用意する必要はないから、もうやめなさいと言ってきた。
おばさんには悪いけどタイミングが悪かった。
今日、ワタシは料理に関して誰の指図も受けないと宣言したばかりなのだ(笑)
一回だけじゃなく何度も言ってきたので、露骨にイヤな顔をした。
それでワタシの思いが伝わったようで、「ごめんね。もう言わないさ」と苦笑いした。
以前のワタシならこの状況は居心地悪くなるものだけれど、
今の強いワタシにはなんともない(笑)
食べてくれる人が喜ぶために丁寧に料理する。
それがどこだろうと変わらない。
きのうより減ったとはいえ、今日も弔問客がたくさん来てくれた。
一人ひとりに5種類の小皿料理を提供する。
スーパーで買った惣菜を皿に移したものじゃなく、
いつも通りのやり方でつくるワタシの料理。
最終的に用意した料理はすべて完売となり、
食べてくれたお客さんはみんな喜んでくれていた。
もう誰も来ないだろうと思い始めた途端、
8人くらいのお客さんが同時にやってきたりする。
どんな状況でもちゃんとまわしてるワタシを見て、
「お母さんがいないとやっぱりダメだね(笑)」
と、長男が言った。。。
めちゃめちゃ嬉しくて涙が出た。
今朝から続いていた心のこわばりが、この一言で緩んだ。
怒りと悲しみとやるせなさが一瞬で昇華された。
がんばりが報われた瞬間だった。
わかる人が分かってくれれば、それでいい。
心からそう思えた。
振り返れば、
子供の頃からがんばっても報われない体験を積み重ねてきたせいで、
ワタシの心には冷たい塊が存在している。
この塊のせいでワタシは人を心から信用することができずにいたし、
人からの愛を疑うばかりで受け入れるのを怖れるようになっていた。
それを今日一日、改めて子供の頃からのパターンを改めて体験して、
心を閉ざしていた事で再確認したワタシ。
でも、この冷たい塊は東京と仙台にいる親友のおかげで溶け始めている。
彼女たちの無償の愛と優しさで何度も救われているワタシ。
それは幼い頃から求め続けて得られずにいたものが、与えられているようなもの。
そのおかげで、冷たいところに温かいものが通うようになっているんだ。
親からもらえなくても、
こうして友達から贈られている愛があるおかげで、
ワタシは愛されるコトをだんだん素直に受け入れられるようになってきてる。
感情は反応。
波のように起きては消える感情は泡のようなもの。
怒りや悲しみといった感情を握りしめ続ける必要もないし、
また悪いものだと排除する必要もない。
冷静に見つめていれば、なぜこの反応が起きたのかその理由が分かるようになる。
そうすれば自分のコトを理解出来るようになるし、
自分のコトが分かれば、他の人のコトも分かるようになる。
理解できれば自分だろうと他人だろうと関係なく共鳴が起こるし、
共鳴が起こるということは愛し合えるようになるということ。
まずは自分と愛し合うことから。。。
今日一日で過去からのパターンを冷静に見つめるコトができて、
家族間の諸々がワタシの中で整理整頓されたような気がする。
三次元世界のドラマでこれまで演じてた自分の役回りを変える。
それができるのは、自分しかいないんだ。