今、ワタシは羽田空港にいる。
昨夜はknockで開催のパーティ"あのよろし"に、バーカンのお手伝いとして参加。
朝までめちゃめちゃ盛り上がったパーティを終えて部屋に戻り、
布団の中で眠れずにいたところに父からの電話。
5 日前からホスピスに入院している母の血圧が下がり始めてるから、
今日できればすぐにでも沖縄に帰るようにしてほしい。
パーティ明けで一睡もしないまま、
電話を切ったワタシは急いで飛行機のチケットを予約して、高円寺の部屋をあとにした。
定刻より少し早く那覇空港に到着。
12℃の東京から24℃の沖縄へ。
空港からタクシーに乗って母のいる宜野湾のホスピスに向かう。
父に電話で沖縄に到着したことを伝え、母の様子を聞く。
会話が耳に入ったドライバーさんが察してくれて、
早く到着できるように運転してくれた。
車内で母が危篤であること、東京から戻ってきたことなどを話すと、
ドライバーさんも3年前に父親を亡くした話をしてくれた。
ほんの20分ほどの会話だったけれど、おかげでなんだか落ち着けた。
そしてホスピスに到着。
母の病室を前に、思いがけず深いところから吐息がでた。
目の前の母は元気だった頃の姿とは別人だった。
膵臓がんの末期という診断をもらったのは4年前。
その頃のワタシは相変わらず母に対して反抗的で、そんな自分を冷たい人間だと感じていた。
ガンの宣告から4年の間だけでも、ワタシはいろんなコトを体験した。
自分でオーガナイズしたパーティが大赤字となり、
部屋を引き払って居候の身になったのを皮切りに、
ストーカー事件、右手首の手術、交通事故、住所不定無職、
そして沖縄から東京に出たりといろいろあって、
一つ一つ書いてたらキリがない(~O~;)
そういう体験の数々がワタシを変容させてきたからこそ、
母の最期を目の当たりにして穏やかな気持ちでいられているんじゃないかな。
4年前の手術後、横たわる母のそばに近づくことができなかったワタシが、
今日は吸い寄せられるように母のそばにいき、手を取り、頭をなでて、
優しく感謝と労いの言葉を伝えるコトができたんだ。
これは予想していなかったコト。
家族の誰もが認める長きに渡る壮絶な母とワタシの確執は、
今日をもって跡形もなく消え去った。
モルヒネが効いてる母の目はうつろで話しかけても返事はないんだけど、
ワタシが話しかけてると口元が緩んで一瞬、微笑んでくれた。
アルコールを飲まない母だったけど、
いまやモルヒネが連れてってくれる意識の世界を生まれて初めて体験しているのだ。
三次元世界とは別の、もう一つの現実である意識の世界。
母がこれを今体験してることが、ワタシは素直に嬉しい。
母はその人生を、三次元世界にどっぷり浸かりながら過ごしてきた。
そんな母とまるっきり異なるワタシは、まさに水と油。
互いに相容れなさを感じていたけれど、ここにきて母が意識の世界を体験してるのだ。
やっと、母にワタシのコトを理解してもらえるような気がして、
ワタシは本当に嬉しく感じている。
命の終わりに母が見せてくれてるもの。
それをしっかり見届けたい。
今のワタシは、母に対する愛と感謝と優しさで満たされている。
これこそ、母からワタシへの最大の贈り物なのかもしんない。