その日をはさんだ前後3日間で、
ワタシは長い間掴もうともがいていた確信を得る事ができ、
そのおかげで望んでいた変容を遂げることができた。
【変容とは】
時間の経過と共に移り変わる変化に対して、質的、内容的に変化すること。
コチラのサイトによると、
変容には産みの苦しみと変容前に後戻りができないという特徴があるという。
(変化と変容の違いについてはコチラのサイトも参考にどぞ)
産みの苦しみ。。。もしくは痛み。
そして後戻りできないという事が、変容に対する猛烈な抵抗や拒絶となるんだろうな。
2015年12月8日のFBに
ワタシはこのような投稿をしていた。
ジルボルト テイラーは神経解剖学者で、
脳卒中に倒れながらも8年の闘病を経て奇跡の復活を遂げた方。
そのテイラーは自身の体験から、
通常の意識が自分だと認識しているのは左脳の勘違いだったと説いている。
私たちが現実だと認識している世界というのは左脳が創りあげた素晴らしいひとつの世界で、
それとは別に右脳がとらえる世界は私たちが繋がりあってひとつの宇宙であり、
永遠の存在であることを認識しているという。
自分がすべての現象を創っている。
このことに猛烈に意義を唱えたいのが私たちの思考やマインド。
自分自身という存在について、
私たちは誰からも教育されてこなかったから、
通常頭のなかで聞こえる思考やマインドのおしゃべりを自分自身だと認識している。
けれども、
自分自身について真実を知ろうと努めれば、
頭のなかで聞こえる言葉は自分自身なんかじゃないんだということがわかってくる。
それなら自分自身って、一体なに???
クリシュナムルティはこの疑問にこう答えている。
Krishnamurti@krishnamurtibot自己を理解するというのは、一つの結論を得たり、目的地に達したりするようなものではありません。それは関係という鏡―「私」と財産や、物や、人間や、観念との関係を鏡にして、そこに映った「私」の姿を刻々に観察することにほかならないのです。
2018年12月04日 01:52
あらゆるものとの関係性における観察によって、自分を理解するということ。
このために私たちは、一瞬一瞬現実をクリエイトしているんだ✨
つまり、やっぱ自分がすべての現実を創っているんだ‼️
2016年12月8日のFBにワタシは、
すべて自分が引き起こしているとわかるのは感情的にキツいし苦しいと書いている。
我ながら素直な文章だなと思ってウケる(笑)
2011年から2017年まで、
ワタシは世の中の不幸とされている事を次々に経験してきた(爆)
そのどれもこれもが自分が引き起こしていたなんて、
そりゃ受け入れるのに痛みを感じるわぁ。。。
その痛みを感じたくないから、
誰かや何かのせいにしていたかったんだし、
この事実を受け入れるのに長い時間をかけて自分を整える必要があったんだ。
この確信を掴みたいと長い間もがきながらも、
いざ実際にその機会を得るとなるとビビったワタシ(笑)
その機会は思いがけずふいに、唐突にやってきた。
なのにあろうことかワタシは、
最初に訪れたこの機会を自ら逃したのだよ👀‼️(笑)
正直に告白するけれども、
それほどまでに真実というのは思考やマインドにとって恐ろしいものなのだ。
どんな言い訳もできない。
誰かのせいにも、何かのせいにもできない。
起こった現実に対してすべてを受け入れるということや、
起こる出来事に対して自分を完全に明け渡すというのは
思考やマインドにとって恐ろしい以外にないのだ。
なぜなら、
思考やマインドの働きが起こった出来事に対して常に何らかの判断を下すことであり、
起こる出来事に対して無防備であることを避けようとするものだから。
それが人生で起こるドラマの数々なんだから、
確信を得るということは虚像であるドラマの舞台からおりることを意味する。
つまり、
通常の自分という範囲を超えていかなければ、
真理の世界で自分にとっての確信を得るなんてできないんだ。
これこそ、どんなものより最強の恐怖‼️
敵は自己の内にあるとは、まさにこのこと‼️
せっかくワタシの前に現れた導師に対して
一旦はそのイニシエーション(通過儀礼)を保留にさせてもらったんだけど、
その二日後に友達から送られてきた以下のメッセージで心を決めることができた。
以下、転載
サヨコさん
お久しぶりです。
東京生活の投稿、いつも楽しく拝見しています。
もしかして、すでに登録されていて、読んでいるかもなんですが、(もし、登録していて既に読んでいたらすみません)ルミナさんのメールマガジンの内容をお裾分けしたいと思いまして。
なんだかサヨコさんにエールを贈れるのではと(勝手な!)思ったので。てへ。
↓どうぞー
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【ルミナ】Moon Letter
おとめ座 下弦の月
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+-+-+-+- 目次 +-+-+-+-+
●おとめ座下弦の月からいて座新月へ
「罪悪感を越えて、今あるものをさらに高いレベルへ」
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こんにちは、ルミナです。
今日30日9時19分おとめ座で下弦の月を迎えました。
今回の下弦の月は、
「罪悪感を越える」月です。
先日23日は2018年の旅の大陸(着地点)が見えてくるような満月でした。
まだ、これは今回の旅の最終地点ではありませんが、ぼんやり方向性が見えてきたことにより、これからやることが見えてくるような時間に入っています。
木星さそり座の一年が見せた「恐れ」の最後の濃いところを越えていく月でもあります。
さそり座のエリアが見せる恐れは
自分を世界へ差し出すことへの恐れ、
果たせなかった約束、結べなかった
絆のパターンを見せるため、絆を深めていくことへの恐れ、約束をすることへの恐れ、未知の世界へチャレンジしていくことの恐れなどを見やすくなります。
それぞれにこの一年向き合ってきたことがあるかもしれません。
先日の満月は、着地点が見えてきたことによりその最後の最後に残っている「恐れ」も浮き彫りになった満月かもしれません。
見えてきた着地点に上陸するということ。
新しい地に降りるということは、新しいチャレンジでもあり、恐れが出ます。
木星はいて座に入り、新しい冒険を前に最初の”ストレス”がかかるポイントに来ています。
いて座は冒険のエリア。
今までにない決意をすればするほどに
そのサポートは大きいです。
自分の中で足止めの原因になっていた
「罪悪感」との切り離しとともに不安定な心を超越していく下弦の月。
なんだか申し訳なくてできない・・
今のわたしはまだ未熟だから・・・
そんな気持ちで足止めになっていたことがあれば、そんな気持ちを越えて、
チャレンジに向かうことをサポートしてくれます。
また、この一年、ここまでの人生を整理整頓して新しいチャレンジへ向かうこともサポートしてくれます。
後回しになっていることがあれば
ぜひ、12月7日いて座の新月を迎えるまでに取り組んでおきましょう。
星たちの動きも見てみましょう。
太陽はいて座7度、月はおとめ座7度で迎える下弦の月。
サビアンでは8度、超越のエネルギーです。
太陽と木星、水星はいて座でコンジャンクションし、おとめ座の月、うお座火星・うお座海王星とTスクエアを形成。
罪悪感を乗り越えて、まるごと飛び込んでいく愛のエネルギーです。
金星、冥王星、逆行する天王星もTスクエアを形成。
方向性を明確にしていきます。
月、土星、天王星は下弦の月を迎える時間にグランドトラインを形成。
物語の書き換え、気持ちの切り替わりをサポートします。
”今あるもの”の中で超越していくことを見つけるでしょう。
12月7日水星の逆行終了、いて座新月までチャレンジしていくこころが再起動していく時間。
ポイントは、今まですでに取り組んできていることを思い切ったレベルにひきあげる意識を持ってみること。
もしくはずっと気になっていて、チャレンジできていないことにチャレンジしていく。
そんな時間に入りました。
木星いて座の一年は高跳びの一年。
助走しながらイメージを高めていきましょう。
〜〜〜
お体ご自愛の上、思い切り楽しんでチャレンジと冒険を❤️
感謝∞感謝
このメッセージ丸ごと全部の言葉がワタシに響いた✨
ビビってるワタシの心に決意が固まった❗
そして射手座新月の前日である12月6日、
ワタシは意を決してイニシエーションに挑んだ。
イニシエーションによる体験の内容はやはり、
通常認識できる意識の次元をはるかに超えたものなので言葉による説明はできない。
体験の内容は言葉にできないけれども、
その体験による確信は簡潔な言葉であらわすことができる。
すべては繋がりあってひとつ
ただ許しあい
認めあい
愛しあうだけでいい
すべては許されている
ただそれとして生きること
以上の言葉が今のワタシの確信。
この確信を得る前のワタシには、もう戻れない。
今のワタシにはこれから先の生活とか、過去の出来事に対して、
これまでのような態度をとることはできない。
未来も過去も現在にはなく、
あるのは今ここ、この瞬間だけなんだから、
それ以外は横目でチラリと見るだけ。
もちろん近い将来インドに行くためにお金つくろうとか思ってるけれど、
具体的にどうするかは決めてない。
それはこれまでと同じように、
大いなる存在や流れに委ねて、ワタシは自分を明け渡す。
もしかしたら、インドに行くということが起こらないかもしれない。
それはそれでいいのだ。
起こらないということが起こるのもまた、
ワタシが引き起こしてるんだから。
12月7日射手座新月の直後の夕陽@幕張。
他人は存在しない。
すべては自分自身の現れというのが人生。
何者かになろうと努めるのではなく、
ただ自分と世界や他者との関係をひたすら観察し、自分を体験する。
2018年、まさにワタシは生まれかわった。
自分を明け渡す覚悟ができた。