2018年9月2日(日)早朝。
沖縄から東京に出てきて初めてとなる曼陀羅を、
関東某所の霊山で開催のパーティ「和合」にてやらせて頂きました‼️



まだまだ途中経過の曼陀羅





今回の曼陀羅のテーマは「自己受容」。
8月11日の獅子座新月を経たワタシの中に
強く浮かび上がっていたのが自己受容というテーマだったんだ。




自分で自分を丸ごと受け入れる。。。




これは簡単なようで、ちっとも簡単ではない(笑)

特にワタシみたいにこどもの頃からちょっと変わった人間だと(笑)
周りに受け入れられてきたかどうかが
自分のアイデンティティの形成に大きな影響を与える😱💦




周りが認めてくれなかった自分を
いつの間にか自分が認めないようになり、
自分のことが大嫌いになっていった。




自分は誰からも認められない、
あるいは愛されないんだと深く心に刻んでしまっていたらしく、
自分を丸ごと受け入れて愛するということに取り組んできたこの7年間は、
人生における修羅場劇場の連続だった(笑)



曼陀羅は100%完全なインプロビゼーションでやるので、
自己完結していないと表現が自己破壊的に作用してしまう💦

自己矛盾から強い不安や恐れが生まれ、
曼陀羅やった後はどっしりと重い鬱的な気持ちが長い間続いたりしていたんだ。

昨年一年間の住所不定無職の体験でワタシ自身の内面に大きな変容があり、
今年の4月21日に沖縄で曼陀羅やったとき、
初めて重い気持ちにならなかった。

今回の和合ではさらに飛躍できて、
自己受容というテーマに取り組むまでになれた事が素直に嬉しい‼️



沖縄最後の曼陀羅@OTOBOLA





今回の曼陀羅をやる前、
ワタシは自分という深い宇宙を体験していた。

意識がすべてをつくっているんだということがありありと分かり、
これまでのすべては自分が作り上げていたんだと肌感覚で理解できた。



そして意識がすべてなのではなく、
意識というのは生きる体験をするために必要なツールのひとつであることも。。。



意識という光が生じるのは、
無意識という大きな闇の領域であり、
ワタシという存在は
その光と闇の両方であること。



神との対話にあるこの部分を思い出す。

「神との対話 3」より
わたしは光であり、光を創造し、光を可能にする闇である。
わたしは限りない善であり、善を「善」たらしめる「悪」である。
わたしはそのすべてであり、存在するすべてである。
そして、わたしは自分のすべてを経験せずに、一部だけを経験することはできない。

そこが、あなたにはわからない。
あなたは、わたしをひとつに決めたがり、べつのものではないと思う。
高いのであって、低くはない。
善であって、悪ではない、と。

しかし、わたしの半分を否定すれば、自分の半分を否定することになる。
それでは決して、ほんとうの自分にはなれない。

わたしは荘厳なる「すべて」であり、自分を経験的に知りたい。
あなたを通し、存在するすべてを通して、わたしは自分を経験する。
自分の選択を通じて、荘厳なる自分を体験する。

選択はすべて自己の創造だ。
どの選択も自己規定だ。
どの選択もわたしを「表して」いる。
つまり、わたしを「ふたたび存在させて」いる。
いまこうあろうと選択したわたしを存在させる。

たが、選択肢がなければ、荘厳であるという選択もできない。
わたしの一部が多少とも荘厳さに欠けていなければ、荘厳な部分を選択することはできない。
あなたの場合も同じだ。

わたしは自分を創造している神だ。
あなたも、同じだ。
あなたの魂がそれを求めている。
あなたの霊がそれを渇望している。

わたしがあなたの選択を止めたら、自分の選択を止めることになる。
わたしの最大の望みは、自分が何者であるかを体験することだ。
しかも、それは、わたしではない場を通してしか経験できない。

そこで、わたしはわたしでないものを創造した。
自分を経験するためだ。

しかし、わたしは創造するもののすべてである。
したがって、わたしでないものもわたしだ。



こどもの頃、
周りが認めてくれなかった自分も確かに自分だったし、
周りが愛してくれなかった自分も確かに自分だったのだ。


そして、
自分自身が大嫌いだった自分は
確かに自分だったんだということに思い至ることができた。


自分を丸ごと受け入れていないと、
誰かに誉められても悲しいかな
その称賛を受け入れることが出来ない。

自分は称賛に値しない人間だという思いが強すぎて、
称賛を社交辞令に変換してしまったり、
ひどいときには拒絶したりしていたんだ😢



誰かに愛されていたとしても、
それを受け入れることが怖くて出来ない。。。



そんな自分がまた嫌になり、
悲しみのスパイラルが連鎖していたワタシ😅



曼陀羅やる前に自分の宇宙を体験することができて、
そこでどんな自分もすべて自分であり、
ワタシの周りにいる全員が自分であることを知り、
ワタシが体験する出来事すべてを自分が作り上げていたんだと理解できたとき、
これまでのすべてが愛となって感じられ、号泣してしまった(笑)




あぁ、自分は自分でいいんだ。。。
そんな境地に至ることができた。




このワタシの体験を100%曼陀羅に表現できればいい。

自分の意図を外して
自分自身を素っ裸にして晒す事こそがワタシのやりたいことなんだとハッキリわかった。



そうやって出来た曼陀羅は、
これまでのより細かく、ダイナミックなものになった。





中心から広がり続けようとする曼陀羅。
このときのガラス板ではとても収まりきれない感覚があった。

それはもしかすると、
ワタシ自身が大きく大きく拡がろうとしているからかもしんないと、
今振り返ってみると感じている。



 
正直、自分でもなんでやってるのか
実はよく分かっていないのが、この曼陀羅(爆)

衝動に突き動かされてやってるのが曼陀羅なんだ(笑)




でも今回の和合で少しだけ理由が見えてきた。

それは言葉にするにはまだおぼろげでしかないけれど、
確かに感覚としてその理由を感じられつつある。



まだまだ曼陀羅は発展途上‼️
ほんのピヨピヨのひよっこです(笑)



自己受容を経たワタシが次にどんな曼陀羅に挑むのか、
今はワクワクすぎて仕方ない✨



パフォーマンスしてるワタシが
一番最前列の目撃者でもあるこの曼陀羅をやりきるためにも、
もっともっと自分を統合していきたいと強く思っています‼️