VEGAN(ヴィーガン)
ってなに?!

まだまだ日本においては
認知度は低いと思われる vegan ですが、
欧米では盛んに実践されている食のスタイルのひとつ。

欧米の vegan は、アニマルライツ(動物の権利)の考え方から実践されていることが殆どだと言えるようです。。。
つまり、食肉にするために劣悪な環境で飼育され、無下に殺生することで人間の食が成り立っているという現状に、NO という表現で問題提議&異議を唱えること。。。

だから、肉、魚、たまご、牛乳、乳製品、蜂蜜などを食べないという食のスタイルになります。

なので、食に限らず革製品を身につけないことや動物実験を経て製品となる化粧品なども、生活から遠ざけるというライフスタイルを送っていらっしゃる方が、欧米の vegan という全体像となります。

宗教大国であるインドや、台湾、タイなどのアジア圏にも、vegan を実践している方が多くみられるのですが、欧米とは異なり、その殆どは宗教の教えを実践するというもの。
アジアに限らずですが、宗教で肉食を禁じたり厳しく制限することは多いです。

インドでは牛乳は推奨されます。神の化身である牛の乳は恩恵ということだから。
そしてキノコ類は食べることを禁じられてます。。。太陽の光を浴びずに育つ菌類は、アーユルヴェーダ的には陰の世界に属するものだという考え方から。

台湾などでは、五葷(ごくん)を摂らない事が戒律となっています。
五葷とは、ニンニク、玉ねぎなどのネギ類、らっきょう、生姜、ニラなどの野菜のこと。
それらは仏教の唱える「平常心」を乱すものとして認識されているためです。。。つまり、ニンニクやネギ類などの五葷は、興奮作用があるから。
そして"氣"の観点からも、五葷の野菜は野菜のカテゴリーにいれることは出来ないそう。。。殺の氣があるから。

そしてもちろんここ日本でも、かつての仏教全盛の頃には殆どの国民が肉食をしていなかったそうです。。。無用な殺生をしないという考え方ですね。
それが戦争に負けると劣等感からか、一気に欧米の食のスタイルを取り入れてしまったあたり、他のアジア諸国とはかなり様相が異なると言える気がします。。。笑

さぁ、そこで!
私にとっての vegan とは?!
それはアニマルライツでもなく、
宗教でもありません。
何故 vegan を18年もやってるのかと言えば。。。それは、

「おいしいから」
「不必要なものを必要としないから」
「気持ちいいから」

すべて、アタマではなくカラダとココロが確かに感じていることが、vegan であり続けてる理由。。。
だから、自分のことをこうして vegan と表現していますが、内容は限りなく偏食であると認識しているし、自分のことを「偏食家」であると思ってます。笑

実際、vegan 始めた頃はやはりアタマでっかちで、本から取り入れた情報に基づき、自分の食べるものを選択していました。
でもあるとき、その情報を鵜呑みすることの危険に気づいてからは、もっぱら自分のカラダとの対話で、その内容を変えてきました。。。とはいえ、いつもバランスは片寄りがちなんですけど。(^^;

例えば、2011年の夏から2013年の秋くらいまで、炭水化物は一切とりませんでした。。。その頃は仕事がハードで。。。あ、私は料理人なのですが、
一日に12時間以上の立ち仕事を毎日してたんですよね。。。笑
立ち仕事は結構カラダにはハードなもので、その頃炭水化物を採ると、明らかにカラダが重くなり、頑張りが効かなくなることに気づいたんです。。。
それが理由でその時期には、お米も小麦粉も一切とりませんでした。
食べるのはキャベツの千切りとひよこ豆でつくったフンムスというディップのみ!笑
今でいうと、ローフードの実践かな?!

後からいろいろ調べて分かったことだけれど、ひよこ豆なので厳密にはタンパク質も炭水化物もそこから採れてた訳なんですが。。。なにしろ体感優先の実践優先者なんで、やってるときには裏づけなど後回しで実践あるのみ!なんです。。。なんでもね。(*^^*)

でも始めた頃はカラダもマインドも軽くて心地よかったのですが、1年半続けるとカラダが冷えてることを感じ始めました。
そりゃそうです。
熱源となるものを殆ど食べてなかったのですから。。。
カラダがうまく燃焼せずにいることに気づき、先ずは労働時間を半分にして、炭水化物を食べ、毎日朝と夕方のウォーキングを始めました。
そこからまた、カラダがうまくバランスをとりはじめたんですよ。

だから、私の vegan はルールなんてなく、自分のカラダとココロを観察しながら、その内容をいつも変えていくスタイル。
その時必要なことは、その時しかない。
一年後に変化したカラダは、また別のことを必要とするもの。
年齢や四季が移り変わるように、人間のカラダも変化し続けています。

「おいしい」というセンサーを信じて、
食べてるときと食べ終えたときの心地よさを確認しなから、自分に必要なものを食べ、必要としないものは食べないでいる。。。それが私には自然に思えます。

だからルールを設定して、
個人差、固体差を無視して、
季節等も考慮せずに、
体感的なものを一切配慮しないで謳われる食のスタイルには、暴力的なものさえ感じてしまいます。。。

その時食べてよいものが、
ずっと食べつづけてよいものとは限らない。」

私においては、
私の経験により、
この事が真実であると考えてます。

食べることは快楽であるべきで、
快感を求めてヒトは食する。
常にカラダとココロを観察していれば、その快楽や快感は、決してカラダにマイナスに働くわけがない。
その時必要な飲食物でも、
不必要になればすぐに手放せるようにする。
そうそう、執着しないということも
とても大切なポイントです!
 










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