フランクフルトでベルリン行きのICEを待っていて、行先表示も、到着案内も確認して乗り込んだのですが、
実際に到着していたのは45分おくれでやってきたハンブルグ行きでした。全く気が付かず、出発したあとに表示がハンブルグ行き、次に到着するカッセルまで2時間弱。やられた。
予約していた車両シークエンスも止まった場所の車両番号も同じで、おそらく同じICE(ICEは世代によって座席番号の割り当てが異なります)油断していました。
これ、ドイツ鉄道では頻繁にある事象なのですが、まもなくベルリン行が9番線に参りますと言われてきたのが全く別だったとは…、
慌ててリカバリーを検索したら、当初の90分遅れでワイマールに着くようです。ゲーテの家の予約には間に合いそう。
駅はドイツらしいクラシカルな雰囲気です。
ホテルが駅前なので、荷物を預けるためにたちよったのですが、ドイツでもなかなかないくらい無愛想な対応でした。
収容所の看守じゃないのだから、荷物置き場を顎で示すとか、命令口調(これはワイマール滞在中、多くの観光スポットでも同じでした。この地方の特徴なのかも)でちょっとどうなのという感じでした。
そうはいっても観光には力を入れているらしく道標はしっかりしていました。
ゲーテ博物館のある広場にある、ベトナム系中華でチャーハンのお昼。デュッセルドルフあたりでは、アジア系レストランは英語が通じることが多いのですが、ここはガチで英語が通じなくて、ちょっと戦闘力ダウンです。
ゲーテ博物館、展示室と、ゲーテの邸宅の両方が見れて、音声ガイドも入場料に含まれていました。日本語もあって、録音も怪しい日本語でなくネイティブの録音でした。
ゲーテ一家が、羊飼いのコスプレをしたところを絵にしたものだそうです。
展示スペースは、興味のある人はじっくり見ればよいと思うのですが(充実していました)。残念ながらドイツ文学の素養ゼロの私はほぼ素通り。
彼はイタリア文化にとりわけ親近感を持っていたらしく、邸宅のコレクションもイタリア風のものが多かったです。
ちょっとした会食をしていたダイニング。テーブルは大きくできるタイプ。飾ってある陶器は彼の好みのものだったそうです。
内装のカラーリングは落ち着いていて、趣味の良さは感じされます。
ローマの大理石像のレプリカ。
彼の奥さんは7歳年上で結婚した時にすでに7人の子供のお母さんだったそうです。
運命の人だったのか、晩年に彼女が亡くなった時は、大きなショックを受け嘆き悲しんでいたとか。
召使の部屋
窓から広場を望みます。観光馬車が。
広い庭。この日は気温も高くのんびり休めました。
彼はフランクフルト生まれですが、ワイマール公の招きでワイマールに来て数十年間ここに住んでいたとか。
文筆業だけでなく公国の宰相も務めていたので、日本で言えば石原慎太郎?
少なくとも百田尚樹じゃないですよね。
こちらは翌日に散歩した公園内にある、ゲーテの夏の別邸です。
本邸と比べこじんまりしていますが、同じような趣味の部屋。
彼はコレクターでもあったようで数万点の収集物があったそうです。
宰相が過ごしたと割には質素なベッドだったり。
これは地下のキッチンです。
全く不勉強でゲーテの生涯についての予備知識もなければ、作品も読んでいないので、
感動はそれほどでもなかった(どうしても文学者というのは、破天荒な生涯であったというステレオタイプな思い込みもあり)ですが、好きな方にとっては聖地なのではと思います。
次回はバウハウス関連のトピックにします。続きます。