Berlin Gesundbrunnen駅のそばに集合場所があります。
駅近辺は庶民的。30分前に着いたので、早めのお昼にベルリン名物カレーブルストを食べました。
パン付き3.3€、ポテトのセットは4.8€でした。
集合場所はブルスト屋さんからも見える場所。
こんな感じの殺風景な入り口前が集合場所に指定されています。
ドイツ語メインなのですが、英語やフランス語なんかも頻度は低いですが選べます。予約制で結構前にいっぱいになるので要注意。16€、所要時間は90分でした。
目の前の道の真ん中にある通気口、これがシェルターの通気口だそうで、この地下8メートルがツアーのハイライトでした。
ツアー中の撮影は禁止です。これは最初の部屋に入る前のドア。
ツアーのハイライト部分はYouTubeにアップされていた取材があったのでリンクを貼っておきます。
(ちなみに二つ目のシェルターを取材していました)
今回2つのシェルターを見ることができましたが、2つとも地下鉄の駅と地上の間の空間を利用していました。ふたつ目のシェルターは3300名収容可能、地下鉄の駅ホームも封鎖して4段ベッドを並べる形になるとか。
一つ目のシェルターは地下8メートル、爆弾でダメージを受ける可能性があるので通路は迷路状になり、爆風を軽減するような構造でした。戦前に地下鉄駅に隣接した商店街もしくはオフィスとして計画していたのが予算足りずで空洞が放置されていたのを冷戦期にシェルターにしたとのこと。
千数百人が2日間サバイバルできる施設で、避難所はドアで封鎖され、放射線や毒ガスを濾過するフィルターを通過した空気を上部の空気口から取り込み、圧力をあげて汚染された空気の侵入を防ぐ構造。実は第一次大戦で毒ガスが使用された欧州では戦前から防空壕はその構造を持っていたようです。
ふたつ目のシェルターに向かうには地下鉄から、秘密のドアから直接駅に入ります。
普通に営業している地下鉄に乗って隣の駅に。
こちらの駅に隣接したシェルターは、70年代に核シェルターとして使用することを初めから考えて設計されていて、3,300人が2週間生き延びれる設計だそうです。最初のシェルターは発電装置もないので停電したらほぼアウトだったのですが、こちらは発電装置も搭載だったそうです。より本格的なガチシェルターです。
これは駅入り口に設置されている封鎖扉。
とはいえ、14日間、4段ベットにギュウギュウ詰めとなり、小規模なキッチン一つで食事を準備して、果たして全員に行き渡るのか、とか、空調が脆弱な地下で26-30度に人熱、通信も途絶え、トイレ問題、シャワーもない、服も着たまま。これはなかなか…。
避難中に亡くなった人はどうするかという質問してた人がいて、なんと、70体分の死体用袋も準備されていたそうです。ガイドの方の知識もすごい。
しかし、2週間後に地上に出ざるを得ないけど、核爆弾によって破壊されているかもしれない世界に戻ってどう生き延びるのか。2週間で放射能が除去されているというのはフクシマや、古くはヒロシマ・ナガサキを経験している日本人には現実的に聞こえないでしょう。そもそもベルリンのシェルターは70年代でも人口の1%しか収容できないキャパだったとか、すごい投資で作ったのでしょうが、実効性としてはどうなのか。スイスのように一家に一つ核シェルターがある国だと話は少し違ってくるでしょうが。
冷戦期は西ベルリンに核爆弾を落とすと東ドイツもタダでは済まなかったので、核シェルターを使うリスクはほぼないと(単なる防空壕として、あるいは化学兵器から逃げる用途はあるかもですが)実はみんな思っていたようですが、今や、ロシアがとち狂うとベルリンにだって友好国への気兼ねなしに核ミサイルを飛ばせるわけで…。
なお、90年以降核シェルターの維持はしないと決定されたので見学したシェルターは現役でなく、文化遺産です。
案内してくれたJohnさんは流暢な英語と、ウィットに富んだ説明で90分、全く退屈しませんでした。ベルリンに行く機会があれば、残念ながら日本語は対応されていませんが、強くお勧めできるツアーでした。
余談ですがバンカーとシェルターは厳密には違うそうです。バンカーは爆弾直撃しても壊れない、シェルターはそこまでの設計ではない、とのこと。後で自分でも調べてみようかな。
午後に予約したツアーは地下鉄とバスを乗り継ぎ40分。これは乗り継ぎ場所のアンペルマン。
ベルリン日帰り午前の部、ICE定刻到着のお陰で楽しめました。午後は、ヒットラー肝入りの巨大建築、旧テンペルホフ空港ツアーです。
次回に続きます。