4月12日は故デニスバンクス氏のバースデイデニスバンクスメモリアルツアーのスタートの日でしたデニスアメリカングリルでイヴェントを行いました
最初にみんなでパイプセレモニーをしました
デニスのご子息のミノーくんからデニスから教えてもらった宝石のように輝く言葉のシェアがありました
本当に美しいわかちあいでした
お祈りの最中に私はずっとデニスの臨在を感じていました
みんなでビュッフェスタイルでディナーを食べたり、ミノーくんへの質問タイムもあり、なごやかで楽しい時を過ごしました
ネイティヴソングを歌ったり、最後はみんなでハグサークルでした
本当にあたたかく愛に溢れた夜でした

デニス、ミノーくん、越川さん、山ちゃん、来てくれたみなさん、本当にありがとうございました

メグウィッチ

 

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私は90年~95年あたりはネイティヴアメリカン/インディアンのネイティヴスピリットにかなりハマっていました。「地球と共に生き、すべてのもの~太陽も月も星も、動物も植物も鉱物も人間もみんな兄弟姉妹、家族であると考え、7世代先のことまで考えて生きる。すべてのものの根源を流れる愛、感謝、祈り、癒しを大切にし、グレートスピリットにすべてのつながりのある存在たちのために祈る」ネイティヴアメリカンの思想や在り方に感銘を受けたのです。
聖なる儀式スウェットロッジを日本やセドナで体験したり、プレイヤータイを伝授してもらい祈りを捧げたりしていました。
さらにはアメリカのセドナからナバホやホピの居留地を訪ねたりしてもしました。
可能な限りのネイティヴアメリカン関連の本を読んでいたので、当然デニス バンクス氏の「聖なる魂」も読んで感銘を受けていました。

デニス バンクス(ナワカミッグ)氏は、1937年米国ミネソタ州北部のリーチレイク居留地でオジブエ族として生まれました。1968年にAIM(アメリカン・インディアン・ムーブメント)を設立し、インディアンの“レッドパワー・リーダー”(米国先住民公民権運動家)として知られています。1978年から平和と環境保護をテーマに「セイクリッド・ラン」「ロンゲスト・ウォーク」を主催。1998年からはカヌーレースやドラムを通じた若者への教育、ネイティヴ・フーズの普及に尽力した偉大なスピリチュアルリーダーです。
ネイティヴアメリカンの権利獲得運動のためAIMを立ち上げた人権活動家として、アメリカの教科書に出て来るほど有名な方です。

特に1973年71日間に及ぶ「ウンデッド・ニー占拠事件」の時には毎日全国ネットのニュースでデニスを見なかった日はなかったらしいです。その時デニスがテレビを通し「もう白人になろうとしてもがくのはやめよう。我々は今日から、インディアンとして生きることを選ぶ。このニュースを見ているすべてのインディアン兄弟姉妹よ、ともにインディアンとしての道を歩もう!」と呼びかけたことが、全世界に大反響を呼んだのだそうです。

そんなカリスマ的な偉大なリーダーのデニスですが、決して偉ぶることなく、誰にでも分け隔てなくやさしく、気さくであたたか。お茶目でユーモラス、とってもsweet でチャーミングな方でした。威圧感や緊張感、罪悪感を全く人に与えず、決してシリアスではなく、いい意味でイージーゴーイング。場の雰囲気を明るくし、みんなを幸せにし、スピーチが本当にすばらしく、まさにリーダーの中のリーダーでした。
ずっとFBI に追われ、ある時は7人のスナイパーに命を狙われていたウォリヤーのイメージとはいい意味で全然違っていました。
長年の様々な経験から来るのでしょう、愛のあるやさしい眼差し、すべてを包み込む懐の深さ、存在感があるように感じました。

 

 

そのデニス バンクス氏との出会いは私の人生を変える大きなものになりました。

綾部、舞鶴、聖なる沓島と冠島が見える龍宮浜、沖縄のヤハラヅカサ、糸満、那覇、大浦湾、瀬嵩、やんばる、東京、横浜など、各地での祈りやセレモニー、イヴェントにご一緒させていただき、貴重な体験を共にさせていただきました。3年前の舞鶴のイヴェントではパネリストのひとりとしてお話しさせていただきました。

一昨年は「デニスアメリカンダイナー」でのディナーイヴェントにたくさんの生徒さんたちと参加したり、雑誌「スターピープル」のインタビューのためにディヴァライトに来ていただいたり、その時にデニスの希望でオーラソーマのコンサルテーションをさせていただいたり。新横浜のイヴェントではパネリストのひとりとして「水の大切さと水の意識」についてお話しさせていただき、デニスもヒーリングについて話をしてくれました。

昨年の7月には、アメリカにサンダンスに行き、そこでもデニスに会うことができました。その帰りにミネソタ州リーチレイクのご自宅にも浅葉先生と共に滞在させていただきました。その時にパイプセレモニーをしていただき「Beautiful Lake (Leech Lake)Woman」というインディアンネームをいただきました。本当に光栄なことです。
蚊に刺されまくっている私をとっても不憫に思ってくれて、殺虫剤を買いに行ってくれたり、病院で塗り薬を買い、塗ってくれたりしました。本当にやさしい方でした。
デニス自ら、名物のワラエという白身のお魚のフライをディナーに作ってくれたり、一緒にブランチや買い物に行ったことも楽しい思い出です。

デニスから短い間でしたが、たくさんのことを教えていただきました。

「恐れではなく、希望から活動しましょう。勝利は、どんな困難にも負けない者の元にあると信じています」体験から滲み出るデニスの言葉は、本当に力強く私たちの心に響いてきます。
デニスの著書「聖なる魂」「死ぬには良い日だ」を読めば、どんなに大変な経験をしてきたかわかります。
アメリカのネイティヴの人権のために奮闘したデニスの勇気と行動力、深い智慧とやさしさに感銘を受けました。

「愛と平和を生きましょう」などスピリチュアルなメッセージを言葉にすることは簡単ですが、それを実際に生きるのは、なかなか難しいことです。
平和のメッセージを話すだけでなく、自らが行動、実践し、存在で表すーデニスのあり方が本当にすばらしいと感動しました。



オジブエ族の7つの美徳についても教えていただきました
それは、Wisdom(智慧)Love(愛)Respect(尊敬)Bravery(勇気)Honesty(誠実)Humility(謙虚)
Truth(真実)だそうです。
日本の文化ともたくさん共通点があるそうです

デニスがスウェットロッジの時に友だちの大切さについて語ってくれました
「みんなと友だちになろう。彼氏彼女とかだけではなく、男女や年齢とかに関わらず、友だちになることが大事だ。今はスマホで用件は足りるけれど、友だちは会いに行くものだ。それが友だちだ」と。
私も人との「縁」と「つながり」を大切にしています。これからも出会った縁を大切にして、性別や年齢、国籍や人種を超えて、みんなと愛のあるつながりの中で協力し合い、成長していきたいと心から強く思います。

舞鶴のイヴェントの休憩時間に、デニスに「ネイティヴの歌をもっと覚えたい。どうしたらいい?」と聞くと、山ちゃんの方へ私を連れて行き、「エツコに、あのCDをコピーして渡してあげて」と言ってくれました。なんてやさしく親切なんでしょう!
こんなふうに真摯な対応をしてくれる、このあたたかい人柄にみんな感動するのだと思います。



デニスの著書と映画のタイトル"Good day to die"「死ぬには良い日だ」というのがあります。それはネイティヴアメリカンの言葉で「悔いのないように一日を精一杯生きていれば、今日が死ぬのに良い日になる」「今日死んでもいいように今を生きよ」という意味でもあります。私はこの言葉をいつもハートに想い日々を過ごしています。

デニスとの出会いの中でも「未来は誰にもわからない」と痛感させられる出来事がありました。3年前、孫のローズさんが亡くなったため急遽帰国されたり、昨年の来日イヴェントに急病のため帰国がキャンセルになったり…。一昨年は夫が急に入院することになり、大阪のイヴェントに行けなくなったり…。
「予定通りの明日がやってくる保証はどこにもない。だから今ここしかないんだ。今ここを生きたら後悔することはない。
よく生きることはよく死ぬことにつながる。だから今ここを精一杯生きよう」そんな想いを再認識しました。それにより、インテンスな日々を過ごしています。生きる密度が濃くなった気がします。

私がデニスから本にサインをもらったときに「誰かがあなたに望む生き方ではなく、あなたが望む生き方を生きなさい」とメッセージをいただきました。 
私は私。私にしかできないことがある。だから私らしく、できることをできる時に、できるだけやっていこう。
本当にやりたいことにエネルギーをかけていこうーそんなふうに心に誓いました。

 


 
綾部でデニスと二人だけで話していたときに「私には西洋人の夫がいるのだけれど、難病が悪化し、今は暖かく環境のよい沖縄で療養中である。離れていて淋しいし、辛いけれど、今はこれが最善のやり方だから、お互いがんばっている(当時)」という話をしました。
別に何かを期待したわけでなく、ただシェアしたかったから話したのですが、それを聞いたデニスは即「よし。彼に会いに行こう!」と言ったのです!
私は耳を疑いました。そして”Really?”と聞くと「沖縄に行くから、その時に会いに行くよ」と本気で言ってくれたのです!

そして実際に会いに来てくれたのでした! 
 
私はたくさんのスピリチュアルリーダーの方にお会いしましたが、こんなふうに決、即行動に移す方にはお目にかかったことはありませんでした。本当に感激しました。
 
デニスがスウェットロッジの時に言っていた「みんなと友だちになろう。友だちならメールだけじゃなくて、会いに行くものだ。それが友だちだ」いうことをデニス自身がちゃんと実行しているのです。
 
理論や夢、理想を述べているだけではなく、それを実行しているーまさに有言実行。
 
私の求めている生き方、あり方を実行している方がここにいるんだと、心から感動しました。
生きているマスターに出会えたと思いました。
こうしてデニスとの出会いは、私の人生に大きな変化を与えました。
この出会いに本当に感謝しています。



デニスは「自分も事故にあった時に、後遺症が残ると言われたけれど、でも全く問題がない。 だからきっと大丈夫。Never give up!」と希望を持って生きるようにたくさん励ましてくれました。
 
進行性の難病を十数年患っていると、希望を持つことさえ、時としてなかなか難しいこともあります。このことは一生忘れません。

「デニスにたくさん教えていただきたい。私もできるだけサポートさせていただきたい」と、心から感じていました。それだけにデニスの死は残念でなりませんでした。

「人は生きたように死んでいく」といいます。デニスは心臓手術の前後も、ハイテクな機械やコードにつながれながらも、明るく全力を尽くしていたと聞いています。まさにNever Give Upの精神を最期まで体現したのだと思います。もしかしたら本来の寿命を超えてまで、その生き様を見せてくれたのではないかと私は思っています。

デニスの勇気と使命をやり遂げる強さ、大きなハートと懐の深さ、あたたかな眼差しと笑顔、やさしさと思いやり、ユーモアといたずらっぽさ、深みのある歌声と力強く響くインディアンドラム、スピリチュアルな教えと祈り、そして大きな愛を決して忘れません。

みんなを愛したから、愛されたのだと思います。私と同じように思っている人が世界中にたくさんいるのでしょう。

デニスはとにかくすてきで、かっこよかった!

デニスから教えていただいたネイティヴスピリットは私たちの中で生き続けています。私もそれをみんなに伝えていきます。

デニス、ありがとう!Miigwech