太平洋戦争父は結婚を待たず、51歳の若さで急逝してしまいました。私たちは渋谷に新居を構えましたが、太平洋戦争はいよいよ激しさを増していきます。敵の編隊が焼夷弾を落とし隣の家4軒が燃えても何の報道もないような毎日が続いたため、昭和20年の4月に次女を妊娠中の私は長女を連れ、軽井沢に疎開しました。アメリカで生活したこともある母は日本が勝てるとは露とも思っておらず、しかしそれを外で口にすることなど決してできず、ひっそりと暮らしておりました。