神戸の地震がおきて25年がたちますね。
25年あせる四半世紀じゃないかあせる
沢山生きてきたなぁ。。

あの時地鳴りの音はまだ耳にこびりついています。
そして訳の分からない揺れ。地震が起きたんだと気付いたのは揺れが止まって、上から倒れてきたタンスの重みで身動きが取れなくなってからでした。
家が半壊したり、父が窓を開けたら南の空がぞっとする位真っ赤だった事、夜が明けて明るくなり家から出て後ろを振り返ると近くの大学が燃えていた事、街の姿が昨日までと全く変わってしまった様を目の当たりにして、思考回路が閉じていったのを今でも容易に思い出す事が出来ます。
最近ではまた当時の友人と繋がったりなんかして。

ライフラインが止まって生活もしばらくは大変だったけれど、でも当時受験生だったので、しばらくしてから傾いた校舎の横で青空教室が始まって、ちゃんと試験も受けて進学しました。
その後引越してチェロなんて始めちゃって、ちゃっかり仕事にして、さらにちゃっかり出産もして家族が増えました。
何だか色々悩んだりした時期もあったけれど、あれから四半世紀の時を曲がりなりにも生きてきました。
私なんて私なんてと思ってきたけど、私頑張ってきたんと違う?って今はちょっと思う。

この25年の間にも大きな災害は起きていて、辛い思いをしている人は沢山いるけれど、人間というのは強いもので、どんな事があっても残された物達はまた新しく歩き始めます。
気仙沼でもすごく感じた事。
人生は変わるかもしれないけれど、終わらなかったらやっぱり歩むんだなと。
何が起きるか分からない人生、一日一日はその時だけのものだから、大切に生きていきたいと思います。

私の腕枕で寝ている我が子の寝顔を見ながらそんな事にあれこれ思いを馳せておりました。
この子と歩む人生がこれから先も穏やかでありますように。
もし何かが起きても、守っていけますように。