自分自身の癒しのプロセスを振り返って
2013年頃、看護実習をきっかけにうつ病を発症した。
実習中に怒鳴られた時、頭が真っ白になって動けなくなるようなフリーズを初めて経験した。
母性実習では強い恐怖を感じ、実習後には布団から出られないほど心身が落ち込んだ。
それでも単位を取らなければならず、精神科で薬を処方してもらいながら、十分に回復しないまま実習を続けた。
2014年、看護師1年目でも再びうつ状態となった。
常に緊張し、失敗できない、備えていなければならない、というサバイバルモードで働いていた。
夜勤を経験して以降は眠気が来なくなり、不眠が続くようになった。
その後も、仕事、人間関係、家庭、自分自身への否定など、さまざまな苦しさを抱えながら生きてきた。
2023年には、夫婦関係が離婚寸前まで悪化し、自分の人生の中でもかなり大きなどん底を経験した。
今振り返ると、2013年頃から2023年までの約10年間は、
「どうすれば苦しくなくなるのか」
「どうすれば普通に生きられるのか」
「どうすれば自分を変えられるのか」
をずっと探し続けていた時期だったように思う。
そして2023年以降、人生の流れが少しずつ変わり始めた。
宮沢さんとの出会いがあり、そこから仕事や人とのつながりが広がり、さらにセラピーの世界で多くの師匠たちと出会った。
タッチフォーヘルス、原始反射、経絡、五行、アロマ、チャクラ、インナーチャイルド、身体心理、潜在意識、アーユルヴェーダ、音叉など、興味を持った分野を次々と学ぶようになった。
自分では、ASD的な「一つのことを深く掘り下げ、異なる分野同士の共通点を見つけて統合していく力」が、この時期に一気に開いたように感じている。
以前は、自分の発達特性や過集中を「生きづらさ」として見ることが多かった。
しかし今は、
自分が苦しんできたからこそ、これだけ多くの分野を本気で学び、それらを一つにつなげようとしているのかもしれない
と思うようになった。
ここ3年ほどで、
身体症状
感情
原始反射
自律神経
経絡
五行
アロマ
インナーチャイルド
潜在意識
人生の目的
といった、それまで別々に見えていたものが、少しずつ一本につながってきた。
そして最近、自分の不眠や呼吸苦についても、
「どうすれば症状を消せるか」
だけではなく、
「自分は何のために生きたいのか」
というところまで考えられるようになった。
以前の自分には、
「こんな自分には生きる価値がない」
「苦しみ続けなければならない」
という自己処罰的な方向があった。
でも今は、
歌いたい。
アコギを弾きたい。
子どもと遊びたい。
子どもの笑顔を見たい。
子どもたちがやりたいことを応援したい。
家族で旅行に行きたい。
セラピーを育てたい。
学び続けたい。
人の人生に関わりたい。
まだ見たことのない景色を見たい。
だから、生きたい。
という方向に少しずつ変わってきている。
この変化は、自分にとってとても大きい。
「呼吸苦をなくしたいから生きる」のではなく、
生きたい人生があるから、呼吸する。
「眠れない自分を治したい」のではなく、
安心して休み、また明日やりたいことをするために眠る。
そんなふうに、症状中心ではなく、人生中心に考えられるようになってきた。
そして今、改めて思う。
2013年頃から約10年間、かなり苦しい状態が続いた。
2023年には家庭も崩れかけた。
その中で、人生を諦めてもおかしくないくらい追い詰められていた時期もあったと思う。
それでも、自分は生きてきた。
仕事を続けた。
家族と向き合った。
学び続けた。
人に出会った。
自分の身体と心を理解しようとし続けた。
そして、たった3年ほどで、ここまで自分の人生を統合して考えられるところまで来た。
今はそのことを、素直に自分で褒めたい。
よくここまで生きてきた。
よくここまで探し続けた。
よくここまで学んだ。
よく諦めなかった。
自分が「真理そのもの」に辿り着いたとは思わない。
でも少なくとも、
今の自分にとって深く納得できる、生き方の軸
にはかなり近づいてきたように感じている。
そして、この自分自身の癒しのプロセスは、単に自分だけを癒すためのものではないのかもしれない。
自分が苦しみながら、
何が助けになったのか
何が身体を変えたのか
どんな問いが心に届いたのか
どうすれば人は「生きたい」という方向に戻れるのか
を、自分自身で経験していく。
その経験がいつか、
同じように苦しんでいる人の役に立つ形に変わる可能性がある。
自分の痛みそのものに価値があるのではない。
その痛みを通して学び、統合し、人に渡せる知恵へ変えていくことに価値がある。
だから今は、
「なぜこんな人生だったのか」
だけを考えるのではなく、
「この経験をこれから何に使うのか」
を考えて生きていきたい。
過去を罰するためではなく、
未来を創るために。
苦しみを減らすためだけではなく、
喜びを増やすために。
そして、
自分の生命を、愛するもののために使っていきたい。