私が生まれたばかりのしゅんに言ったことは二つでした。

一、生まれてきてくれてありがとう。

二、いつも笑顔でいてね。お父さんもしゅんが笑顔でいられるように頑張るよ。

それだけ。

そうしたら、しゅんはいつも笑う、ときにデヘデヘ笑う、周りにいる人を幸せにする子に育った。

もし、両親の仲が悪かったり、周りに他人の悪口を言う人がいたならば、そうはならなかったのではないかと思う。

明日は週に一度の、父と息子の留守番の日。
鎌倉に行きます。明日もいい日でありますように。まじで。
どこに出してもまだまだ恥ずかしい程度ですがイクメン初級になりました!
週に一度の二人での留守番も板についてきた。
あと、やはり外出から帰ったときの反応では、ママのときより私のほうが嬉しそう。喜びの声が圧勝です。ちょっとヤキモチ妬かれるのが、また気持ちいいです。

28日が誕生日なので、もうすぐ一歳。早過ぎるわあ。

おかげさまで発育順調、しかも成長が早いので、もう赤ん坊はとっくに卒業して、「子供」という感じ。

成長はあっという間と先達が言ってましたが、本当だわ。

ま、どんどん新しい一面を見せてくれるし、笑顔はますますかわいいけども。

さて、いつまで「かわいい」のでしょうか。盛りはいつなのでしょう。

今のところ、まったくピークを感じないとバカオヤは話してます!
土曜、妻が体調を崩して、全身の怠さと、頭痛を訴えた。
それならと、俊介の身の回りの世話を一手に引き受け、妻にはおにぎりを作ったりした。八面六臂の活躍だわ。

しかし、不覚にも日曜、全身のけだるさ、強い頭痛、さらには超下痢に見舞われた。なんとなく妻の症状よりひどい。

久しぶりに寝込んだ。多分俊介が生まれてからでは初めて。

日中は妻と俊介は友達の家に。夜、助っ人で妻の母と三人が帰ってきた。

私がヘロヘロになっていても俊介は廊下を高速でやって来てくれた。

死にそうではあったが、それはそれで幸せを噛み締めた。

家族のために。私はヘロヘロの体にムチをうって、新潟出張に向かったのだった。

道中なんとか回復。
日記 こんなに幸せでいいのかい-IMG_7462.jpg

最近、しゅんは新聞をぐちゃぐちゃに丸めたりせず、じっくりと読みます。

しゅんが妻の実家に遊びに行くたびにじいちゃんがずーっと新聞を読んでいるために、マネが始まったものと思われます。

なぜか顔つきも真面目になるのがおかしいです。
俊介の初節句。母が兜をグルジアから空輸してくれ、祖母は銀座で兜の色紙を買ってくれた。妻の母が鯉のぼりを飾ってくれ、妻は鯉のぼりをあしらったパンケーキを作った。

おー、俊介よ。なんと祝福されていることか。

食事が足りないとわんわん泣きわめいたり、みんなの手拍子にあわせて、喜色満面の笑みを浮かべたり。

傍若無人にかわいいのである。

28日はいよいよ一歳の誕生日です。

剣が峰に来た。

本当になりたかったはずの自分に生まれ変わるために。


課題は明確だ。

絶対にやる。決意を緩めない。


5月で20取る。そうすれば絶対に潮目は変わる。

では、20取るにはどうしたらよいか。


その戦略性と持続性が求められている。


愛する家族にもう会えないとしたら。

おれは変わる。


自信をもって、自分のしごとを背負えるようになる。

それは甘い自己評価ではもうだめだ。


明確に変わったとだれもが言う状況に。追試で、100点をとる。

それにはあほみたいに結果を示すしかない。


まさに剣が峰。逃げないことはもう決めた。

あとは緩めずに、流されずに、戦い続けられるかどうかにかかっている。


これを見返そう。常に、強い気持ちで愛する家族を守れるか。





会社の先輩の結婚披露宴に行った。

幸せで素晴らしい式だった。自然と両家の親の気持ちが吐露されたとき、ぐっとくる。親がどんな気持ちでこの日を迎えたかを想像するだに泣けてくる。

こんな家族の幸せに感動できる幸せ。

これも私自身が感謝に包まれて生きることができているからだろう。

明日もガンバロ。愛する家族に捧げよう。
またやらかしてしまった。「任せられない」「情けない。期待したほうの責任」

未達なら、家族と会えなくなると仮定すればもっと粘れるという。その通りと思う。いろんなアイデアも沸くだろう。

緊張感が持続しない。すぐ緩めてしまう。決意も、腹筋も、だ。

でも比較対象は自分でしかなく、以前の自分、昨日の自分より上がっていることを自分で称えよう。
有り難いことに、体力が落ちたと思うことはあっても、人間力はあがり続けていると、感じている。

なので、月曜の朝も嫌だと思わずに前を向ける。ほら、このことでさえ大きな成長じゃないか!

今日も本当に幸せだ。
仕事
・今の展示会を3倍の規模にする
・メンバーが12人
・20小間の会社を新たに作る
・今の倍の報酬

人格
・健康な体
・体重は72キロ
・今いる友達に年賀状を送りつづける
・目標を達成できる人
・掃除できる人
・常にタスクを整理できる
・半年、一年後になりたい姿を書ける

家族
・息子に夢を語る
・息子の質問には答える
・もうひとり子供をつくる、できればもうふたり
・家族同士が感謝しあえる
・年に一回、両親も含めて集合写真を撮る
・両親を旅行に招待できるようになる



書いておくことが重要だ!
32歳。いいおっさんである。

節目でもなんでもない32歳。俊介が32歳になるとき私は64歳だ。数字としては、ただそれだけのこと。

しかし一方で、親になって初めての誕生日として忘れられない日になった。

32年前、雪の舞う福岡市だった。逆子だったという。すべて母の思い出であり、私は聞いただけだ。2月1日が自分の誕生日ということも、後から教えられたことだ。子供のころ、ケーキが食べられ、おもちゃがもらえる特別な日であったから、みんなに「おめでとう」と言われるから、いつしか私の日になったのだ。いや、私の日だと思い込んでいたのだ。

俊介が生まれた5月28日にも、私たち夫婦はさんざんお祝いをするだろう。俊介、おめでとうと言うだろう。

ただ本当にめでたいのは、その子の健やかな成長を祈り、見守り、叱り、育ててきた、それを365日続けた親たちだと気づいた。

親になってようやく、自分の両親がどんな気持ちだったか知るとよく言われる。

本当にその通りだ。親不孝をしすぎたため、もう今から孝行しても足りないかもしれない。

でも、とりあえず母には誕生日おめでとうの言葉に対してではなく、産んでくれたことへの感謝を初めて伝えてみた。

来年も、再来年も、その先も伝えたいと思っている。