明日のために、僕は自分のやりたいことを言葉にまとめる。

言葉が未来を決めるから。拓きもするし、閉じもする。
発した言葉を上回る未来は恐らくやってこない。

そんな自分で決められる仕事はとても緊張感がある。そしてやり甲斐がある。

なんと幸せなことか。

もっと素敵な未来を、また思いをチームのメンバーが共有できるような未来を描こうと思う。

そして邁進していこう。明日ある限り。
自分の仕事がうまくいったこと、新居を購入したこと、そして俊介が生まれたことが2010年のほぼ全てだった。

幸せだと思う。
穏やかな大晦日、今年もあと3時間で終わる。

新しい年がまた楽しみだ。

成長して、もっといい一年だったと言えるようにやるだけだわ。

いろんな全てに感謝。

ビジョンをもつ
深く考える
私はできる
在外勤務の私の両親が7ヶ月ぶりに帰国した。

7ヶ月前に日本を発ったとき、我が子俊介は生後3日であった。

その後、グルジアから毎週のようにスカイプによりその成長の様を見ていたとはいえ、実質的には初の対面であった。

親孝行とは意図して行うものも必要だが、このような自然な、無意識な行いのほうがその効果は大きいのかもしれない。

注目は父の反応だった。彼はパソコンの画面に映る孫の顔を見ては、すすり泣いていた。それも、一度や二度ではない。感激するにしても、泣くとはどういうことか。
そんな人が、本物を抱こうものなら心臓がどうかしてしまわないかという心配すらあった。

白眉はまたまた俊介だ。
スカイプで声を聞いたことがあると理解していたか、空気を察したのか、彼は抱っこされても泣かなかったし、笑顔をふりまき続けた。

父の涙腺は緩みっぱなしで、気色がいいとか悪いとかは言わないが、幸せな光景であった。

俊介の活躍により、親孝行は大成功となった。何につけても笑顔は大事である。

大人だってそう。いつでも微笑みを。
日記 こんなに幸せでいいのかい-IMG_5126.jpg

誰も見ないという前提で。

明日は美沙の誕生日だ。ここ最近、きちんと謝意を伝えているだろうか。ありがとうは、まあまあかな。でもごめんなさ~いの回数がぐっと多いかな。

思えば、今の自分がなんとかまっとうに生きられているのは彼女のおかげでしかない。自分は本当にすてきな人と結婚することができた。そう思わせるエピソードはここには記さないが、ただしその事実すら思っている半分も伝えられていない。
彼女にも、自分と結婚してよかったと思ってもらい続けるようにしたい。

そのために久々に何かで驚かせたい、喜ばせたい。大掛かりなことはできないんで、何かプレゼントを。
コートか何かは、勝手に買うわけにいかないので、花や食べ物を。そうだ、焼肉や牛タンが食べたいと言ってたな。

仙台出張に向かう車中で、そんなことを考えている。

あと、恥ずかしいけど手紙でも書きますか。
日記 こんなに幸せでいいのかい-IMG_4587しゅんサンタ.jpg

サンタクロースの俊介、なぜに笑う。愛嬌のある佇まいが最強だ。

この度ついにベッドからはい出すようになった。つまるところ第一回の転落事故である。怪我はなし、なのでよかった。

急激に活動範囲が広がっていて、部屋のレイアウト変更が始まっている。

一昨日はベッドの足を外して、マットレスを直に床におくようにした。今日は彼が食べそうなパソコン周りのコードも床を這わせないようにした。

いよいよはいはいを始めそう。
また夜は寝入りが悪く、夜の帝王になりつつある。
うーん、最強(^^ゞ
人は成長する。
大人になっても。本人の意欲があり、継続的な努力があれば。とは言うものの私は同じことを上司に何度も指摘され、怒られる。

翻って、俊介のすごいこと、すごいこと。

あまり早過ぎなくていいのに、寝返りも早かったし、離乳食も早かった。

つかまりだちもずりばいも早い。

そしてやけに笑うし、だいたい話が分かってるような顔をする。

ゆっくり成長を楽しませておくれ。

それにしても、土曜日にひいおばあちゃんにハートマーク入りの笑顔をふりまきまくっていたのは驚いた。前はひいおばあちゃんに抱っこされると泣いていたのに。今回は抱っこしてるほうも、されてるほうも幸せそうだった。

ちなみに昨日は、夕方の離乳食を食べ終わったら、分量が足りなかったらしくのどが潰れんばかりの泣き声で抗議していた。その迫力と動機に、軽くひいた。
結局母乳の登場となった。

まあ全て成長ということだ。たっのしー。
まだ息子がいなかった頃、僕は何をして週末を過ごしていたのだろうか。

息子、俊介を抱っこしているとき、今最も幸せを感じる。土曜の朝はとくに一週間仕事を頑張ったことへの何よりのごほうびだと思うのだ。

思えば、彼が妻の胎内に宿ったときも、検診で順調だったときも、生まれてきた日も、ずっと神様か何かに感謝してきた。

生まれて一ヶ月くらいからか、時折笑顔を浮かべるようになった。初めての彼の笑顔は妻からの写メだったがそれを見た刹那の感動は忘れられない。「絶対にこの笑顔が生涯続くように、俺は頑張るのだ」と。

ある日彼にそのことを伝えた。いつも笑顔でいてくれ、と。その言い付けを守ってるのか、彼は本当によく笑う。隣近所や通行人にも愛想を振り撒く。複数の小児科医も、しゅんちゃんは本当によく笑うねとお墨付きを与えているので間違いない。本当にうれしい。

「生まれてきてくれて、ありがとう」と言えば言うほど、子は幸せに育つそうだ。今は問題なく言える。5年後も大丈夫だろう。でも10年後は?15年後は?かなり恥ずかしいだろう。

それでもありがとうと言いつづけることを毎週末の習慣にしている。恥ずかしさの壁を乗り越えるその日まで。



ちなみに、平日は帰宅するころには夜泣きが始まっているため、ありがとうと悠長に話しかけている余裕はない。
いっぱい課題をもらった。いい年して、本当によく怒られるなあ。

まず物事の伝え方を的確にしたい。

ぶれないように、相手によって変えないように。

セールスをとめる判断があったのに、「明確にDMも発送停止」と伝わってない。緩いからか?

今度は常にできるか?のイメージを持ち続ける。嫌なイメージや課題があるなら、抱えたままにしないこと。

一方で、少し結果の出し方を掴んだかも。確信に変えていこう。常に結果を出す人。やっぱりそれだよな。
まだまだ甘い。
リーダーとして、立てるのか。こんなに甘いのか。

勝負の一週間だ。
息子に胸を張って報告できるように真剣にやろう。恐れずに前に進め。

2010。31歳にして、長男が産まれた。名を俊介と言う。馬鹿で不真面目な父親に似て欲しくないのだが、介の字をつけてしまった。独裁的にかわゆい。




もう目の中に入れてもとか、そんな表現が、大げさでも、比喩でもなく、とりあえず目に入らないのなら、うーん食べてしまえと思う。




そして、彼のことを孫と呼ぶ、計4名の祖父母もメロメロである。


グルジアに暮らす私の乳、否、父に至っては、スカイプ(便利な世の中になったものよ)を通して


孫の姿を見ては、すすり泣く。此方、御年60歳、同じ寅年である。




狂想曲と言ってよい。




そして、彼の笑った、泣いたで大人達が一喜一憂し、やがて彼は生後5ヶ月にならんとしている。


周りで彼に関わる人々に幸せを振りまきながら。




何を隠すことがあろうか、私は幸せである。


子供を産んでくれた妻に感謝。


産まれてきてくれた俊介に感謝。


こんな私を育ててくれた両親に感謝。




この世は感謝と幸せで大部分ができている、と思えるならば、もっといろいろなこと、人に感謝をしなくては


いけないと思うのである。