少し休暇があったので、この間に古事記中巻を全部読み、併せて日本書紀も読んでいく予定でしたが...
読書、読解の時間はあまりなく、ほとんどが家族サービスでした。
日頃、出張や旅行も結構バラバラ(圧倒的に筆者が多いのですが...)なので、こういう時間がなくてはいけませんので...
結局、持って出かけた数冊の学術書もPCも、まったく触らず...
ただ、一応ざっと復習した古事記の中巻での率直な感想は、やはり、古事記の解読だけではこの先少々辛いなぁ...と。
やはり正史である日本書紀を併用しないと説明できない部分、さらにまったく穴が空いてしまう部分などもあって。
したがって、ここまでもまったく古事記からの引用を使わなかった訳ではありませんが、この後は、もう少し増えていくと思います。
(現代語訳)
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ命)と五瀬命(イツセ命)が東へと向かっている途中で、亀の甲羅に乗って釣りをして、袖を振って来る人に速吸門(ハヤスイノト)で出会いました。
「あなたは誰ですか?」
と聞くと
「わたしは国津神(クニツカミ)です」
と答えました。
「あなたは、海の道を知っていますか?」
と尋ねると
「よく知っています」
と答えました。
※亀の甲羅に乗っている人
「人」が出てきました。
古事記の神代編では神しか出てきませんでした。天津神と国津神。
でも、ここでは、明確に人だと言われています。
しかし、一方で亀に乗っています。
亀は「海と陸を繋ぐもの」の象徴です。
なので亀に乗っているということは特別な「人」でもあります。
それで「国津神」だと名乗っているのだと分析されます。
因みにこの元話は「山幸彦」だと推測されます。
山幸は綿津見の宮殿に行く時に乗っていたのは「竹で編んだカゴの船」でしたが、恐らくそれが亀になったのでしょう。
そのようにして「浦島伝説」にも繋がっていきます。
※速吸門(ハヤスイノト)について
速吸門の場所は幾つか候補があります。
この地名、現在では大分県の豊予海峡とされてます。
速吸というのは海流が早いという意味合いです。
ところが、前回書いた経路からいくと大分県は外れてしまい諸説あります。
物語が前後しているとか、他の場所なのでないか、あるいは間違いなどとか??
別の場所の候補として、吉備国の児島湾口や、明石海峡だという説もありますが、わたくしはこれらではなく、また間違えたと考えるよりは、日向から高島宮に至った途中での出来事として記述したと考える方が自然だと思っています。
(現代語訳)
その亀に乗って釣りをしていた人に
「わたしたちに従い、仕えないか?」
と尋ねると
「お仕えしましょう」
と答えました。
その人に槁機(=竿)を差し渡して、兄弟神の船へと引き入れました。
そして槁根津日子(サオネツヒコ)という名前を授けました。
この人は倭国造(ヤマトノクニノミヤツコ)などの先祖です。
※イツセとイワレビコは恐らく、海流の激しい場所で立往生してしまったのだえと想定できます。
それを誘導した功績で、なんと「大和の国造」 になってしまうなんて、有り得ない大出世だと思いますが。
古事記においてはサネツヒコに関してはこれ以上の記載はありませんが、この後も神武東征に関わり多くの功績をあげたのだと考えられます。
そして、これは、葦原国において、皇祖神の流れを継いでいるものの、初めての任命であるという言い方もできます。