古事記を最初に読んだとき(おっと、いつだったのだろうか?? 中学生?? )
とっても不思議に思ったことがあります。
それは「天地創造」という部分なんです。
わたくしは幼稚園からミッションでしたが、実はそれ以前にも母方の外叔父が
高崎(だったと思います)で、幾つかの教会長をやっており、
いろいろな聖書関係の書物や、上京した際にははなしをしてくれて、
妹などはその影響がすごく大きかったようです。
特に天地創造の話は壮大でした。
映画も観に連れて行ってくれたと記憶しています。
なので、そう考えますと、
日本の創世って、最初は神様が出ては消え、また出て消え、
で漸く、イザナキさま、イザナミさまが色々国土と神を作られましたが、
それは、日本という小さな島国で(あ、その当時に思ったことです)
壮大な宇宙観とか世界観とかないじゃないかって、
とっても残念?? いや、というか不思議な気がしました。
しかし、実はこの疑問こそが、日本の神話たる所以である大きなヒントに
なったことを知ったのは、それから半世紀以上後のことでした。
たとえばギリシア神話では、天地は神によって作られるのではなく、
神が天地そのものであり、神々の誕生系譜が天地の由来とされる「神統記」
という系譜になっています。
また、中国の盤古神話は、狭い天地の間を神や巨人が押し広げて世界を作っていますし、
おなじようにポリネシア神話でも暗黒の混沌が胎動し、最後に天地が生まれています。
日本の政治思想研究の第一人者ともいえる丸山眞男元東京大学名誉教授は、
世界の創世神話の中にあって、日本特有の「語り方」に注目されていました。
氏が提唱されるポイントは三段階あり、それは
①「つくる(作る)」
②「うむ(生む)」
③「なる(成る)」
だそうです。
そして重要なのは「成る」という言葉で、これは例えば「果物が成る」のように、
まったくなにもなかったところに新しい形ができ、現れるという意味があるそうです。
「つくる」や「うむ」は、「創造神が神に似せて人をつくる(うむ)」など、なにかができる
ためにはその主体が必要となる動詞なのです。
「成る」は、自然発生の言葉で、「古事記」は確かにこの動詞に数多く彩られた神話です。
丸山氏は「つくる、生むものはいつか消滅するが、成るものは次々に成る」と表現しています。
そして、これは、ある意味で、日本の肥沃な土壌、また、四方を海に囲まれた
恵まれた環境と無関係ではないと思います。
植物もどんどん育つ、海には豊富な生命の源が。
このような恵まれた自然環境にあったからこそ、独特で、分かりやすい神話を、
さらに八百万の神々という発想に繋がったのだと考えます。
こんな素晴らしい神話を持っている民族としての誇りを、自負したいと思います。