特攻花・テンニンギク | Vanves の毎日 衣食住+et cetera

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本当の贅沢とは何だろう?

大切な思い出備忘録




  


今年も3日後には終戦記念日です

毎年、8月近くなる頃から読み返すこれらの本

自分で購入したもの、父親から貰ったもの、年々増えていきます


私に出来る事はただ、その真実を沢山の本を通して知り

自分が生まれる20年前の悲劇を自身なりに受け止める他ありません

私は戦後20年目に生まれ、高度成長期と共に成長し

何一つ不自由無く育ちました

そしてバブル時期には黄金の20代!!


何も苦労を知らないお気楽主婦です


クローバー     クローバー     クローバー     クローバー     クローバー


つい先日、新聞記事により 特攻花を知りました


毎年実家の庭に咲くテンニン菊

今年も元気に咲いていました

この花に切ないエピソードがあった事は驚きでした

太平洋戦争末期、鹿児島県・喜界島の基地から出撃する

若い特攻隊員に島の若い娘が贈ったとされる

特攻花テンニンギク

受け取った特攻員は「花も一緒に散るのは忍びない」と滑走路脇に置き去ったものが根付いたという言い伝えがあると言うのです


命の価値とは何だったのでしょう。。。


すいとんを作りました

夏になると鶏だしの具沢山のおすいとんを母が作ってくれました

小麦粉のお団子は欠かせません。。。

今ではご馳走スープですね


母は終戦時には5歳なので戦争の記憶は殆どないそうですが

父は昭和7年生まれなので記憶は確かです

 私が子供の頃には、おすいとんは夏のスープとして良く食卓に登場しました

そしてこちらを食べながら戦時中の様々な話を聞いたものです


戦後の大学在学中は米軍内でアルバイトをしていたおかげで

物が無い時代にアメリカ物が手に入るという

恵まれた環境の様でした


↓昭和20年代後半、その頃の写真です(時々登場します)

(さっそうとハーレーを飛ばし帝國ホテルに乗り付けた時の写真)


私はこの写真が大好きでリヴィングのトランク上に飾っています


その後、大学卒業と同時にアメリカ留学に旅立ちました


かつての敵国に夢を抱き横浜港を出航した父22歳・・・



今でも父は言います・・・


「昔の若者には夢があった、夢が持てる時代だった・・・」



3日後には63年目の終戦記念日・・・



ちなみに年下の夫の両親はもちろん戦後生まれです