福岡県B市立C小学校。僕は多感な小学生時代の6年間をそこで過ごした。
なぜ、わざわざBだのCだのアルファベットで呼ぶのかと言うと、なんとなく、実名だと恥ずかしいし、何らかの踏んではいけないコード(著作権みたいなもの)にひっかかるのでは?という、小心者特有のばからしい理由に対する配慮のためだ。
僕の生まれた年は子供が少なかったらしく、一つ上や下の学年は2クラスあるのに、僕のクラスだけは1クラスしかなかった。当然、殆どの同級生が、同じクラスで6年間顔を付き合わせることとなった。
長年、顔を突き合わせることとなったのは、生徒同士だけではなく、先生も3年生の時分に一度変わっただけで、当時、担任だったM先生とは、3年から6年生までの4年間同じ教室で、同じ顔ぶれの中で過ごした。
このM先生というのが、今考えてもとても厳しい先生で、かつ独特の教育理念を掲げていた。
まっ先に思い出すのが、薄着 である。薄着と言っても、当時既に齢50前後だったと思われるM先生が、薄着で子供達を悩殺していたわけではない。そんなことをすれば、今でなくても問題であろう。
薄着をしていたのは、我々生徒の側だ。M先生いわく、「冬でも薄着をすれば身体が鍛えられ、丈夫に育つ。 」というようなことをおっしゃってたと思うのだが、疑うことを知らない田舎の子供達であった我々は、心のどこかに多少の疑問を抱えつつも、見事にそれにしたがっていた。
おかげで、その4年間の大半は半袖・半ズボン。それも学校の体操服ですごした。むろん、足元は「はだし」である。学校の行き帰りも、遊びに行くのも「はだし」。正直に言って、その間、僕は靴というものを履いた記憶がほとんどないのである。
おかげで足は。。。とくに裏側は、とても丈夫になったと思う。砂利道を駆けてもなんともなかった。一度、学校へ行く途中で、割れたガラスの破片をおもいっきり踏んづけて、痛い思いをしたことがあったが、それにしてもあっとゆーまに自然治癒し、昼休みには、また裸足で、校庭を駆けずり回っていたことがあった。
慣れとは、げに恐ろしきものである。
そして、この薄着の甲斐あってか、現在にいたるまで、風邪というものを殆どひかなくなった。
もう一つ、すぐに思い出されるのが「だるま 」である。
なぜ、唐突に「だるま」なのかとゆーと、その当時、やはりM先生の提案によって、僕らのクラスには赤いだるまの人形が置かれてあったからだ。
それは、「子供達をなごませるため 」とか「先生の好きなキャラ 」だとかのために置かれてあったのではない。むしろ僕らは、その赤い、憮然とした、頑固な九州男児のような表情が嫌でしょうがなかった。
なぜなら、その「だるま」の意味するものは、先生からの「質問に答えなければならないしるし 」であったからだ。
システムはこうだ。。。「だるま」は、机の上の最前列、最も目立った箇所に配置され、その生徒めがけてM先生が詰問をする。答えることができた生徒は、ほっと一安心しつつ、次の(後ろか横の)生徒に「だるま」を回す。もし答えられなかった場合、その生徒は「わかりません!」もしくは「やってきてません!」という自己申告とともに、机から椅子へとくだり、椅子を机に、地べたに正座して、次に浮かび上がるチャンスが来るのを待たねばならないのだ。
だれもが、だるまが近づいて来ると急に「そわそわ」し始めていたものだ。いつも、宿題を忘れていた(とゆーか意図的に回避してきた)僕などは、いつもその時がくると、だるまに睨まれているよーな気がして、気になってしょうがなかった。できることなら、席替えでかわいい子の隣になるとか、もっと別の意味で「そわそわ」したかったのだが。。。
何度も「あんたねー、僕のとこなんかワープしてもっと出来のいい子のところへいっておくれよ。ここにくるだけ時間のむだだよ」。。。などと思ったものだ。
実際、僕は、通信簿に4年間、毎年、「集中力散漫です。いつも外をみています! 」などと書かれた子供だったので、だるまに対するプレッシャーは、並外れたものがあったのだ!
ちなみにどれくらい宿題をさぼったかとゆーと、同じ漢字を延々と百文字綴る「漢字百字」というものがあった。これは、やらなかった場合、次の日は200字に、そのまた次は300字にと加速度Maxで増えてゆくといういやーな宿題だったのだが、半年近くため込んだ僕のそれは、最終的には何千字かに膨れ上がり、母にちくられるといったことがあった。やな思い出である。
今にしてみれば、漢字など書けなくても、こうやって機械が勝手に変換してくれるのだから、無駄なエナジーを省いて良かった!と思う。省エネバンザイだ。
一方で、子供とは現金なもので、だるまが通り過ぎたとたん、すぐに上の空になって、窓の外をみたり、夢想にふけったりして、束の間のバケイションを楽しむのが日課であったことも事実で、がんばったあとの(てゆーか、がんばらなかったんだけれども)緊張感から開放される楽しさ、充実感を覚えたのも、だるまのおかげといえないこともない。
結局、僕は4年間のうち、多分2年以上は椅子を机にして授業を受けていた気がするが、きちんと正座できるようになったのでよしとしようと思う。
あれから、ん十年を経て、そのころ身に着けた強靭な身体と忍耐力もどこへやら、すっかりなまってしまった僕は、今ではあぐらをかきつつ、バナナをくわえつつ、たまにこうしてぼんやりと昔を懐かしんでいる。
M先生のその後は知らないが、恐らくもう存命されてはいないであろう。変わった先生であったことは確かだが、彼女の与えた強烈なインパクトは、今でも僕の中に鮮明にやきついている。