雨の日は悪くない。
そう思えるようになったのはいつからだったかな。
そんなん覚えてねーけど。

子供のときは、外で遊べないから雨の日が嫌いだった気がする。
でも日曜日の朝早くに起きて野球の試合に行かなきゃなんないときは、
雨降ってくれたら嬉しかったかな。

でもそんなんと違って、雨が趣き深く思えるようになってる、
いつの間にかね。
服が濡れるのはやだけど、なんか雨の日に家でDVDなんか見るのは好きだ。
雨の夜に、銀杏の「夜王子と月の姫」なんか聴くといい。
そんなかんじだ。

世の中に天才はいるのかな。
天才って何だろうと定義を探し始めるとキリがないけど、
最近までは何か好き勝手やってる人で、周りが認めてくれるから、
すごく良いなー、人生楽しそうだなーとか思ってた。

でもそうじゃないらしい。

最近本を読むようになって思ったけど、天才はほんとに紙一重だ。
気が狂うか狂わないかギリギリのところで、いつも悶え苦しんでる。

その悶え苦しみを少しでも発散するために、彼らは小説を書いたり、
音楽を作ったり、彫刻を彫ったり、絵を描いたりする。

それがどれだけ苦しくて、先が見えなくて、
でも、
どこか快楽のようなものを感じるが故に、やめられない。
表現せずにはいられない。表現し続けなければいけない。


そいうことらしい。

自分はその過程の一片を垣間みて、つまりはその天才によって生みだされた
何らかの作品を見て、あーだこーだ言ってるのだ。
おそらく、少なくとも自分は多くの場合その芸術性に気づかないことが多い。

すごく恥ずかしいし、もったいないことだと思った。

先日ある人に、太宰治の「人間失格」を読んだか、と聞いた。
すると彼女はああゆう重い内容のモノを読むと、
気分が憂鬱になって外に出たくなくなるから、今は読みたくないと言った。

自分は恥ずかしかった。自分は「人間失格」を読んでも、憂鬱にならなかったどころか、
正直、その良さも分からなかった。

もっと芸術というものを、天才が作り上げたものを理解したいと思った。
そんな夜だ。


今日の一本:フォーガットン