今は亡き、某落語家が、弟子にこう言ったそうな。

 

 「現実は事実だ」

 

痛い痛い痛い。耳に激痛でございます。

 

 

そしてまた、我が心の師匠であるミュージシャンは、歌詞の中で、

 

 「舵をとれ」

 

と、歌われました。血の通った己が身と意思でもって、目指す港にたどり着けと。

 

 

おっしゃることはわかります。

いくらイメージを膨らませても、夢の世界で活躍しても、妄想の中で希望をたくましゅうしても、意思をもって行動に移さなければ、現実は何一つ変わらないし、おまえはそのにごった薄暗いぬるま湯に漬かったまま取り残されるのだと。

 

では、逆に問わせていただきたい。

 

 

 目的地がわからない場合はどうすれば良いのでしょう?

 

 

 好きなものがわからない人はどうすれば良いのでしょう?

 

 

探すしかありませんね。その通りです。

ですが、探して探して探して、「これやっ!」と、定め、一直線に努力して、資格なりを取って、本職となり、突然、

 

 

 「ヤバい。これじゃない感がスゴイ」

 

 

と、なってしまうのは何なのでしょう。一度や二度ではありません。呪いにでもかかっているようにこのループから抜け出せません。

 

 

そして今日も、占い依存女は、不毛な「自分探し」から抜け出せないのです。

『本当の自分』などというものは、存在しないというのに……。